160『ガルディア視察』
エリオの教育依頼を受けてから数日が経った。
高慢だったエリオの性格はすっかり角が取れ、謙虚で素直な少年へと様変わりしていた。あまりの変わり身の早さに、エリオの世話をする執事や侍女達は度肝を抜かれていたが、同時に無茶な要求もされなくなったので、胸を撫で下ろしてもいた。
しかし、国王の役に立ちたいというエリオの思いは変わらなかった。元々、役に立ちたいが為に稽古や習い事をやっていたエリオである。寧ろ、日に日に自身に実力が備わっていくことで、以前より増してそう思うようになっていた。
無論、その事に気づかないフィーナ達ではない。今は訓練や勉強に身が入っていないわけではないが、近い将来、エリオの鬱憤が爆発することは明らかだった。
「というわけなんです」
「なるほどな……」
そんな訳をフィーナ達は朝っぱらから国王へ説明していた。国王は寝起きで少し乱れた髪を乱暴に掻きあげ、眠そうに目をこすった。目の下の隈が酷い。あまり寝ていないのだろう。見るからに体調が悪そうだ。
「しかし、急に仕事を回せと言われてもな……。エリオの立場では大した役目は任せられんぞ」
「簡単なものでも構いません。お使いを頼む程度のことでも、言い方を変えれば大げさに聞こえますから」
ただのお使いでも“物資調達任務”などと言われれば、エリオのことだ。目を輝かせて引き受けるだろう。
「そういうものなのか……。ピボット、何かないか?」
国王は寝起きで頭が回らないのか、そばに控えていたピボットへと話を振った。国王はあくびを噛み殺すこともなく、大きな口を晒している。
「ガルディアへ行かせてみてはどうですか? 先日、視察の予定を取りやめましたから、丁度良いと思われますが……」
「ああ。ゴブリンのせいで行けなくなったアレか。まあ、報告書も届いているし、行かなくても実情は知れているから、別に中止になっても支障は無かったが……。エリオに外の世界を見せるのも一興か」
ガルディアと言えば、フィーナ達がヘーゼルと共に魔分から解放した荒廃都市だ。今は魔分も薄まり、復興の真っ只中だと聞く。五十年ほったらかしにされ、かなり自然へと還りつつあったが、現状はどうなのだろうか。
王都からはスラムに住んでいた貧民達がこぞって居住地と職を求めてガルディアへと向かった為、治安の悪化が懸念されている。
「多少治安に不安はあるが、お前たちが付いているなら大丈夫だろう。一応、騎士の中から暇なやつを見つけて護衛につかせる」
国王は目を瞼の上から指でほぐしながら言った。
ゴブリンの討伐が控えているというのに、暇な騎士などいるのだろうか。
エリオを連れて行くとしたら、手段は陸船か馬車になる。エリオは陸船に慣れていないので、必然的に馬車になりそうだ。大した距離ではないが、馬の扱い方はわからないので、騎士に御者の代わりをやってもらうのもいいだろう。
「護衛につく騎士で何か希望はあるか?」
「うーん……出来れば顔見知りがいいです」
「ふむ……。一応考慮するが、約束はできんぞ」
フィーナはそれでも満足そうに頷いた。
元から期待していない要求だ。イーナが人見知りなので、出来るだけ顔を知った人であればいいと思っただけだ。
最近のイーナはだいぶ男性にも慣れ、二、三回顔を合わせれば話せるくらいにはなっている。ただ、贔屓目に見てもイーナは可愛いので、ちょっかいを出されないか心配だ。もしイーナやデイジーに何かあれば、相手を消し炭に変えてしまうくらい怒る自信がある。爵位持ちのフィーナ達にちょっかいを出す騎士なんて、そうはいないと思うが。
次の日、フィーナ達とエリオは王城の正門前に集まっていた。
「先生、今日は何をするのだ? 着替えや食料を用意させて……」
「今日は外に出ます」
「え!? いいのか、先生!?」
「陛下から“ガルディアの視察”依頼が出てます。エリオ殿下も同行するよう言われているので、くれぐれも勝手な行動は慎むように」
「父上が……! うぬ! わかったぞ!」
エリオは見るからにウキウキとしだし、荷物の確認を始めた。やはり訓練漬けの毎日には鬱憤が溜まっていたのだろう。遠足とまではいかないが、この依頼で羽を伸ばしてほしいものだ。
「おや、私が最後かな? 遅れて申し訳ない」
「あ〜、いえ」
背後から話しかけられ、フィーナは振り返る。今回護衛をしてくれる騎士のようだが、運悪く太陽を背にしていて、顔が見えない。フィーナは眩しさから目を細め、手でひさしを作ると共にどっちつかずな挨拶をした。
「久しぶりだね。大会の表彰式以来かな?」
騎士が握手を求めてきたところで、ようやく目が慣れ、顔を見ることができた。
「お久しぶりです、ブラウン副長。まさか護衛が貴方なんて思いませんでした」
「ハハハ。実はサボっていたところを団長に見られてしまってね。暇ならこの依頼を受けろと強制されたんだ。魔女と一緒と聞いていたけど、顔見知りで良かったよ。短い間だが、よろしく頼む」
ブラウンは背の低いフィーナの前で膝をつくと、しっかりと握手をしてきた。無骨な甲冑に覆われているが、変わらずかなりのイケメンだ。きっちりとフィーナの目線に合わせるあたり、手慣れた感じが否めない。
「ブラウン副長? 第一騎士団の副長であるレイノルド・ブラウンか?」
「はい、殿下。今回は私、レイノルド・ブラウンが護衛を勤めさせていただきます」
「筆頭騎士である第一騎士団の副長が護衛とは心強いな!」
エリオは興奮してブラウンに駆け寄った。
「筆頭騎士?」
「フフフ。王国騎士団は一から十までの隊で構成されてるのだよ、先生。単純に数字が若いほど実力と出自を兼ね備えていると言われている。中でも第一騎士団は筆頭と呼ばれる程の精鋭。騎士団の中で団長と呼ばれるのは“鬼剣”のゼノン・マグナス、副長と呼ばれるのは“惨断”のブラウンだけなのだ!」
「く、詳しいんですね、殿下。でも、それだと他の団長職はどう呼ぶんですか?」
「隊長だったり、それこそ名前で呼んだりすると聞いている」
「へえ」
つまりブラウンはフィーナの知る以上に凄腕で、高貴な身分だということだ。あの狩猟大会で優勝しているし、考えてみなくても凄腕なのだとわかる。一振りの剣で魔物を何体も倒す技術にも納得だ。
「団長にはまだまだ及ばないけどね」
そう言ってブラウンは恥ずかしそうに頬を掻いた。エリオから手放しで称えられ、気恥ずかしいのだろう。もしくは“惨断”とか言う通り名みたいなものをつけられているせいかもしれない。
「エリオ殿下、はしゃぐのはいいですが、準備は終わっているのですか? ブラウン副長が護衛についていても、魔物や山賊は見境なく襲ってきますよ」
「ぬ、そうだな。とうとう魔物と戦う日がやってくるのか……」
エリオはごくりと生唾を飲み込んだ。もう緊張し始めているようだ。
エリオに危険な魔物の相手をさせるわけにはいかないが、弱い魔物相手なら戦わせてもいいかとフィーナは考えていた。イエローフロッグやビッグフットラビットくらいの魔物なら、エリオでも充分相手できるはずだ。
もし難しそうでも、こちらにはデイジーとブラウンがいるので、途中で助けに入ることができる。おまけにブラウンからは旅の間、剣の手ほどきを受けられる。エリオに経験を積ませるには絶好の機会だった。
「先生、思ったのだが、さすがに旅の準備は王子である僕がやらなくていいのでは?」
「それ、姉さんの前で言ってみますか?」
「ゴメンナサイ」
こうして旅の準備を済ませ、一行はガルディアへと出発した。