156『原生物』
王都への移動手段には長距離でも安全な改良型のリシアンサスを使った。一時間続けて飛行しても、全く疲れないという優れものだ。競技仕様のものより数段速度は落ちるが、その分安定して飛行できるようになっている。荷物を載せるスペースも確保されており、野営用の道具や食料なども積み込める。
あまりに乗り心地がいいので、快適な空の旅を満喫してる間に、王都へと着いてしまった。
この一年間で魔女の交通手段は一変した。リシアンサスの開発と流布、その一役を担うキャスリーンには素直に尊敬できる。フィーナが村を離れるのを知って、鼻水を垂らしながら縋りつかないでいれば、すごい人物なのだが、現実はそうはいかなかった。おかげでフィーナのローブはキャスリーンの鼻水でベタベタである。
キャスリーンの性格を知っているため、キャスリーンがどんな偉業を成したとしても、どこか素直に尊敬できないでいる。キャスリーンには心身ともにもっと成長してほしいものだ。もちろん、胸だけを除いて。
王都に着いたフィーナ達は慣れた足取りで魔術ギルドへと向かった。入ってみると、半年ぶりの風景が目に入ってくる。内装はほとんどレンツと同じなところも変わらない。ギルドはいつも通り、程よい忙しさで回っているようだ。
「ペント久しぶり」
「フィーナさん! お久しぶりです!」
見知った顔に話しかけ、フィーナは一息の安堵のため息を漏らす。
どうやら、アメラは予定通り身を隠しているようだ。
王都に来てから「昨日も見かけた」などと言われなくて、心底ホッとしているフィーナである。ドナからの手紙で近況は伝わっていたが、どこでアメラの姿を見られているかわからないので、内心はビクビクしていたのだ。
「ギルドマスターなら執務室にいらっしゃいますよ」
「ありがとう」
人懐っこい笑みを浮かべるペントに手を振って別れを告げ、ヘーゼルの元へ向かう。
「ヘーゼルさーん、入りますよー」
「はい、どうぞー」
扉を開けると、ヘーゼルは執務机に齧り付いて、膨大な書類の山に埋もれていた。真面目に仕事をしているなんて珍しい。てっきりペントに丸投げしてヘーゼルは気ままに過ごしているのかと思っていた。
「早かったね。大変なときに呼んでごめんね」
「いえ、だいぶ落ち着いてきたところでしたから、丁度良かったです」
寧ろ貯蓄が無かったので助かった。しかしヘーゼルにそれを言うと茶化されそうなので、フィーナは心の中で呟くだけに収めた。
成人後はイーナとデイジーの三人で旅をする予定なので、今後のためにも蓄えはなるべく残しておきたい。特にフィーナ達は扱う素材が高額なので、平均より多くの蓄えが必要だった。それに、デイジーの食費という浪費ポイントもある。
「そう、それなら良かった。なんとなく察してるだろうけど、お貴族様から指名依頼が入ってるよ」
やはり指名依頼だったか、とフィーナは頷いた。しかし、肝心の相手には心当たりがない。
「依頼の相手は……国王陛下からだよ」
「ええ!?」
「正確には国王陛下の執事であるピボットさんからなんだけど」
ヘーゼルは肩をすくめて笑った。
国王の第一執事で信頼も厚いピボットからの依頼なら、ほとんど国王の意向をそのまま継いでいるため、国王の依頼として扱っても遜色はない。
寧ろ、大々的に頼めない時はピボットを通して頼むというのが、国王のやり方だ。これはフィーナの想像以上に大変な依頼なのかもしれない。
「内容は聞いてないから、明日お城に行ってみるといいよ。取り次ぎは済ませておくから」
「わかりました」
次の日、城へ向かい、顔馴染みの門番と久しぶりの会話をしてから城内へと入る。
城内のエントランスには目立つところにデカデカと大会優勝者の名前と、優勝した時に贈った賞品を飾ってあった。誰もが目を引くきらびやかな賞品なのだが、それを守る強面の兵士がいるせいで、見ていて落ち着かない気分になる。兵士に守られるくらい豪華な品々を飾る必要はあるのかと問いかけたくなるが、これも国の力を見せるパフォーマンスなのだろう。聞けば、大会のおかげで各国との外交は例年以上に上手く行っているらしい。
「フィーナ様、それにデイジー様とイーナ様、お待ちしておりました」
フィーナ達が大会の賞品を眺めながら、あれやこれやと雑談していると、ピボットが迎えに来てくれた。
凛とした佇まいで、老年だというのに背筋はピンと伸び、姿勢がいい。しなやかな仕草からは全く年齢は感じさせない。まるで今でも現役の近衛兵のようだ。
賞品の護衛をする強面な兵士と並ぶと、朗らかな笑みが余計に眩しく感じる。
「あ、すいません。迎えに来てもらって」
「いえいえ、構いませんよ。この度はフィーナ様方のおかげで我が国は稀に見る好景気となっております。大会前と大会後では税収も二倍ほど違うほどです」
「す、すごいですね」
「ええ、国の財布も丸々と太りましたよ。陛下は毎年恒例の行事にしようと意気込んでおられましたが、大会後に膨大となった仕事に追われ、毎年は無理であるな、と落胆しておられました」
「ははは……」
フィーナは思わず渇いた笑いを零した。
毎年狩猟大会や魔術大会をしていては新鮮味も薄れるし、何より特別感がない。前世で言えばオリンピックを毎年開催するようなもので、準備にも後始末にも絶対に手が回らなくなるだろう。四、五年を目処にすれば、国の一代行事として定着するかもしれない。
「あの忙しさを毎年は遠慮したいですね。五年毎に開催にすればどうですか? それだけ期間が開けば、念入りに大会へ力を注げますよね」
「フィーナ様もそう思いますか。実は議会の方でもそのような話に決まりかけておりまして。フィーナ様の声もあるなら、五年に一度で決まると思います」
メルオール王国の政治は国王一人で回っているのではない。国王をトップとした議会制を取り入れている。議員は騎士の出の者、魔女や大商人などと多様な職種で構成されている。出身も年齢もバラバラで、平民も貴族も議員にはないという。その者たちがメルクオールを動かしているのだ。
フィーナの声が鶴の一声となるのかは疑問だが、会議が早く終われば、その分他の事に余力を回せる。次は是非とも機関の増資について話し合ってもらいたいものだ。
「陛下は忙しいようですが、時間がとれますか? それとも、仕事の手伝いが依頼の内容とか……?」
「いえ、陛下は忙しくても客人をおろそかにすることはございません。それに、依頼の内容は現在陛下がなされている仕事より、余程重要なものです」
「えぇ……そうですか」
フィーナは苦笑いでうんざりした顔を誤魔化したが、口ではついげんなりとした溜息が漏れていた。
しかし、ピボットはそれを諌めることも無く、緩やかな微笑みを抱えたままだ。表情の一つも変えないので、感情が読み取りづらい。
「依頼の内容は陛下が直々に説明されます。立ち話が長くなってしまいました。さ、陛下のもとへ参りましょう」
フィーナはピボットに急かされ、緊張するイーナとあくびを噛み殺すデイジーの手を引いて、先導するピボットの後を追った。
「やっと来たか。ピボットが迎えに行ってから、中々戻って来ないので、こちらから出向こうかと思ったぞ」
執務室に着くと、待ちくたびれた国王に小言を言われた。
「申し訳ありません陛下。少し談笑しておりました」
「いや、いい。ピボットよ、依頼の内容は話したか?」
「いえ、触り程度だけにしか。陛下から申し上げた方がよろしいかと思いまして」
「そうだな。事は王家に関するものだ。それも恥の部分でな。他に漏れてはまずい」
王家の恥と言われるほど大事となると、国王の親族に良からぬ事を企てる者でもいるのだろうか。血縁的にも現国王の後は第一子である王子に継承権がある。そもそも、現国王はまだまだ現役だ。後を継がせるとしても十年は先の話だろう。そんなかっちりとした枠組みに無理やり入ろうとするならクーデター以外にない。
「もしかしてクーデター……ですか?」
「む? そんな危なっかしい事を城内で口にするでない。見よ、近衛が殺気立っている。それに、私がクーデターを許す人間に見えるか? 全て起こる前に終わらせているから心配はない」
フィーナは圧力となって感じる殺気にゴクリと喉を鳴らし、「申し訳ありません」と頭を下げた。いや、下げさせられたと言ったほうが正しいか。国王は自ら狩猟大会に参加するほどおちゃめなところはあっても、歴とした一国の王なのだ。軽々とクーデターなどと言うべきではなかった、とフィーナは反省した。
「まあ、我が早々と説明しなかったためでもあるからな。そう小さくならなくても良い。我はお前たちと対等でありたいと思っているからな」
国王はフッと笑った。フィーナには何故かその笑みが黒く見えた。
「しかし、説明するにしても、何から説明すればいいのやら……」
国王は椅子の背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。ダイエットは続けているようで、体は引き締まっており、それは服の上からでも確認できた。
国王はしばらく目を閉じてうんうんと唸っていたが、やがて頭の中が整理されると、はきはきと説明し始めた。
「まずは事の起こりから話そう。一月前、西のサッツェ王国と我が国の国境にあるネフロ高原にてゴブリンが確認された。それも大規模な集落で、だ」
重大な機密だったのだろう。心なしか国王は小声になり、ピボットも厳しい表情を作る。
「ゴブリンについて知っているか?」
国王からの問掛けにフィーナ達は首を振った。
前世の知識でゴブリンと言えば、ファンタジーなゲームではお馴染みの弱いモンスターのことである。“小鬼”などと呼ばれることもあるが、大抵はレベル1の主人公が苦もなく抹殺する、そんな存在である。しかし、この世界においてはそんな生易しいモノではないらしい。
フィーナ達もある程度“伝承”として知っているが、詳しくは知らないため、首を振るに至ったのだ。
「ゴブリンは魔物の一種だが、その生態系は通常の魔物と異なる。まず第一に、奴らは動物からの魔物化した存在ではないということ。第二に、奴らは優れた知性を持つということだ。動物から魔物化した、いわゆる通常種の魔物は総じて知性も低く、攻撃的だ」
ゴブリンの説明を始めてから、執務室は重い空気に満たされた。その度合いが、事の深刻さを物語っている。
「そして、第三に奴らは“魔法”を使う。人間では魔女にしか扱うことのできない魔法を、ゴブリンは全個体が使用できる」
フィーナ達は目を見開いて驚いた。
今まで魔法を使えるのは魔女だけだと思っていたからだ。
「ゴブリンは総じて狡猾で卑劣だ。腕力は大人の男以上に強く、武器や防具も扱う。特有の言語で会話する知能を持ち、罠を使用する器用さも持ち合わせている。そして凄まじい繁殖力を持っている。我が産まれるずっと前から、人間は長年、ゴブリンと戦ってきたのだ」
人が魔物と戦う伝承を読んだ中に、ゴブリンがいたことをフィーナは気になっていた。村を出て初めて戦う魔物はゴブリンか、と妄想していたが、いざ村の外に出てみて、初めて遭遇した魔物はウサギの魔物だった。
いつかは見かけるかもしれないと思っていたが、そんな事もなく、今まで一度たりともゴブリンの姿を見ていない。
伝承は伝承で、作り話の方が多いのかも、とその頃のフィーナは自己解決したが、ここにきて疑問は解消された。ゴブリンは本当にいたのだ。
「百年前の大討伐でゴブリンは絶滅させたはずだったが、どうやら生き残りがいたらしい。今はどのくらい数が増えているのかもわからない。そこで、我が国はサッツェ王国と協力してゴブリンの討滅にあたるつもりなのだ」
「もしかして、その手伝いをしろと……?」
イーナが恐る恐る口にすると、国王は首を振った。
「ゴブリン……いや、“原生物”の討伐において、我が国は魔女の力を借りないことにしている。サッツェ王国も同じだ」
「どうしてですか? それに、原生物?」
「原生物とは神話の時代から存在が確認されている魔物の別称だ。魔物には二種類いるだろう? いや、今は三種類となっていたか。通常種の魔分によって影響を受けた“魔動物”、魔斑の出た植物を取り入れたことで魔物化する“魔鳥”、そして、魔女の始祖、レファネンや剣神グランヘイトスが活躍する神話の時代から、邪な者として呼ばれる“原生物”。これらを総じて魔物と呼ばれている」
原生物という種別があるということはフィーナも知っていたが、まさか神話の時代から生きているとは思わなかった。そんな長い時間を生き長らえる種族なら、強力な種族なのだろう。国王が警戒するのもわかる。しかし、何故魔女を参加させないのだろうか。
お隣のサッツェ王国も、レイマン王国とは違い、魔女に対して寛容だと聞く。隣国に配慮して、という理由ではなさそうだ。
「原生物が何なのかはわかりました。でも、何故魔女は参加させないんですか?」
フィーナがそう問いかけると、国王は珍しく苦々しげな表情を浮かべた。
「………それを聞いて、我を軽蔑するでないぞ?」
「……? よくわかりませんけど、しないと誓いましょう」
フィーナが頭にハテナを浮かべながらも、理由を聞きたいという欲求にかられ、誰に誓うかもわからない、曖昧な誓いを口にする。
「ゴブリンは魔法を使うと言っただろう? 実はゴブリンだけでは無く、“原生物”と呼ばれる魔物はすべからく魔法を使えるのだ。その為、魔法を使える輩は魔物であるという認識が起こる可能性を避ける為にも、魔女には参加して欲しくないのだ。ここだけの話だが、そういった思い違いを発する者も数は少ないがいるのでな。そういう者は大抵声だけは大きいのだ」
国王は寂しげに言った。
内容的には自国民を信頼してない物言いである為、軽蔑されると思ったのだろうか。
「それに魔物の討伐であれば、騎士団を動かすだけで事足りる。しかし、魔女に武力面で助力を求めるとなれば、話は違う。昔から、魔女が動くのは戦時のみとされている。国民は戦争が起きるのではないかと不安になり、隣国との摩擦も生じる」
「………」
「まあ、故にレイマン王国はあれだけ非難されたのだ。お前たちは知らないだろうが、レイマン王国は今、自国の火消しに躍起になっているのだぞ。それに加え、隣接するメルクオールとスノー・ハーノウェイ、ノータンシアからの圧力だ。先程の話ではないが、レイマン王国では近々クーデターが起きるかもしれん。それ程、魔女を大々的に動かすというのは風聞が悪いのだ」
フィーナは少しばかりショックを受けた。
大会をやったり、平民にも買いやすいように薬を安くしたり、だいぶ魔女以外とも仲良くなれたと思っていたが、人々の思考の根底には、まるで魔女が桁外れな力を持つ核兵器のように思われていると知ったからである。
確かに、魔法は常識を逸した力を持っている。それに、魔女は虐げられたからといえど、過去に国を滅ぼした実績もある。フィーナは国王の言葉をおいそれと否定はできなかった。
「安心せよ。お前たちが培ってきた物はちゃんとある。機関の食堂だって、今では平民達の行列が毎日並ぶようになった。安い薬のおかげで死亡率も低下している。それが分からないほど、我が国民は馬鹿ではない。いずれ、心の底から理解してもらえる日が来るだろう」
「ありがとうございます、陛下」
フィーナは涙ぐみながら礼を言った。少し国王が大きく見えた。
「陛下は魔女の方々のこともしっかりと考えておられます。今回参加させないのも、本当は『魔女は魔物である』という謂れの無い妄言を出させない為なのですよ。その為、原生物は魔法を使うという秘密を、陛下は出来る限り伏せているのです」
「ピボット……それは言わない約束だろう?」
「ほっほっほ、言わなければわからないというものもあるのですよ」
フィーナが原生物の事をよく知らなかったように、国王は昔から原生物は魔法を使うという情報を隠してきたのだろう。たくさんの書物を読み漁っているフィーナでも知らなかったのだから、国王の目論見は成功していると言っていいだろう。
フィーナはなんとなく、国王の目指す国の在り方がわかったような気がした。同時に、ピボットや側近たちが国王に従う理由も。
国王の偉大さに、思わずフィーナはほろりと涙を零す、そんな状況かと思われたが、そうはいかなかった。
「父上! 此度の討伐戦、僕にも参加させて下さい!」
執務室の扉をバンと開け放って乱入してきたのは、国王と同じ白髪を、短く切った活発そうな少年だった。歳はフィーナ達と変わらないように見える。
国王を父と呼んでいるので、王子の一人だろうか。だが、確か第一王子は既に成人していると聞いているので、目の前にいる少年は第二、第三王子辺りであろう。もしかしたら、第二、第三夫人の子かもしれないが。
フィーナが分析しながら見ていると、少年はこちらに気づき、目を向けた。
「ぬ? 新しい下女か? 丁度良い、僕は喉が渇いている。何か飲み物を持って来い」
と、偉そうに命令してきた少年を、フィーナ達は呆然と眺める事しかできなかった。