閑話『臆病なアルフ』
ウィッチ・ニア町の町長アルフと、レンツ・ウォール探索でキャスリーン達の護衛をやっていたグレンダの話です。
本編に登場する機会がほとんどないので、閑話で登場させました。
アルフがどういう風にフィーナを見ていたかが語られています。
「ここにある物は全て貴重品だからな。勝手に触るんじゃないぞ」
「町長、これって一体何に使うんです?」
「さてな。私にもわからん。だが、一つでも壊してみろ。お前の年収が丸々吹っ飛ぶぞ」
私が釘を指すと、物珍しげに辺りを見回していた青年はごくりと生唾を飲み込んだ。
「けど、そんなに高い物ばかりなら、盗みに入る人もいるんじゃないですか?」
「【魔女の家】に盗みに入るような馬鹿はこの町にはおらんよ。それに、管理者以外が無理やり入れば、一瞬で丸焼きになる。ここにはそういった仕掛けがいくつもあるんだ」
「お、脅かさないでくださいよ。今季は俺がここの清掃係なんですよ?」
「ハハハ。まあこじ開けて入らない限りは大丈夫さ。魔女自体、優しい人は多いからな。だが―――」
そう言って、私は押し黙る。
この【ウィッチ・ニア町】の【魔女の家】を利用するのは殆どがレンツの魔女だ。
レンツの魔女は総じて博識で、礼儀正しい。この町に厄介事を持ち込むことは少なく、寧ろ助けられているのが現状だ。
だが中には恐い魔女もいる。確かフィーナと言ったか。初めて会ったときは単なる小娘だと侮っていたが、やはり魔女には違いなかった。いや、これまで来ていた魔女とは一線を画すほど規格外の魔女だった。それだけ印象が強く残る魔女だった。正直、今でも恐ろしい。
無理難題の開墾を一日で終わらせ、【根食い】や【菌虫】に悩む農家に特効薬をもたらした。あの見習い魔女たちが開墾した畑を手に入れた豪農の息子は、今や町で一番美味いの野菜を作っている。
そして、極めつけは町付近に出来た厄介なだけのダンジョンを踏破し、息子を助け出してくれたことだ。おかげで返せないほど大きな貸しを作ってしまった。息子を助けてもらったことには感謝しているが、いつ借りを返せと言わんばかりに、無理難題をふっかけられるかと思うと、胃がねじ切れそうになる。
「町長? 『だが』、何です?」
「何でもない」
考えるのはよそう。
あれからあの見習い魔女達には会っていない。貸しを作ったことを忘れているのか、そもそも貸しを作ったなんて思っていないのかわからないが、全く音沙汰がない。完全に忘れ去られているようで、最近は肩の荷が下り、ようやく胃薬を手放せるようになった。
「大きい装置が多いですね。これも全てレンツ産の魔道具なんですか?」
「そうらしいぞ。それはオーブンという魔道具らしい。料理に使うものらしいが、魔力のない私たちには使えん代物だよ」
青年は壊れ物を扱うように、丁寧に掃除しながら、「へぇ〜」と唸った。
【蛇の洞窟】が開放されてから、ここにはたくさんの魔道具が運び込まれた。
町の方にも、ごく限られた場所でレンツ産の魔道具が稼働している。大商人や貴族くらいにしか買えない値段で、さらに魔力の補充の度に魔女を呼ばなければならない為、維持費と費用が馬鹿のようにかかるのだが、欲しいと思っている人間はたくさんいる。かくいう私もその一人だ。冷蔵庫なるものを妻にプレゼントしてやりたいと思っているのだ。
持っていれば“金持ちの仲間入り”とも言われるからな。
【蛇の洞窟】では結晶魔分という、魔女にとって宝石以上の価値がある石がごろごろ産出され、この町はそれのおかげでたんまりと儲けさせてもらっている。
もし盗みが入るとしたら、ここではなく【蛇の洞窟】に入るだろう。まあ、漂う魔分が濃すぎて、私のような一般人では入って数分と持たないのだが。
それにしても、レンツからたくさんの避難民が来たときは驚いたものだ。
あのときはアルヴィンがよく働いてくれた。アルヴィンは「今度は僕が彼女達を助ける番です」と張り切っていたな。我ながらいい息子を持ったものだ。心根の優しい、真っ直ぐな青年となって、今では警邏隊のリーダーを務めている。自慢の息子だが、町長には向いてないかもしれない。あの子は優しすぎる。
アルヴィンも、町長になるつもりはないようだが。私の背中を見てきたからという理由もあるかもしれない。気持ちはわかるが少し寂しい。
「町長、掃除する必要はあるんですか? 正直、俺の家より片付いてますよ」
「頻繁に利用するわけじゃないからな。だが毎年多額の管理費を貰っているんだ。手を抜くわけにはいかんだろう」
「そうですね。あ、そういえば娘さんはどうしてるんです? 最近見かけないんですが」
「……パメラは避難民についてレンツへ行ってしまったよ。避難民を先導した兵士の一人に惚れたらしい」
「え!? 良かったんですか、町長!?」
「パメラが選んだことだ。構わないよ。それに、別に永遠の別れでもないだろう。会いに行こうと思えば、いつでも会いにいけるんだ」
「けど意外です。町長が娘さんを簡単に手放すなんて……」
「簡単ではなかったさ。もちろん相手の人柄も買っているからこそ送り出したんだ。それに、想い人を見つめるパメラの顔が、妻の若い頃にそっくりでね。駄目だとは言えなかったんだ……」
「そう…ですか。まあ町長、掃除が終わったら酒でも飲みに行きましょうよ。付き合いますよ」
「ああ……」
そして私たちは清掃を再開した。
ほとんどの掃除を終え、そろそろ帰ろうかと最後の後片付けをしていると、町の役場から使いの少年がやってきた。かなり急いできたようで、ひどく息が荒い。
「ち、町長。先程レンツから伝言が届きまして、これから【魔女の家】を利用しに来るそうです!」
「随分と急だな。まあ掃除は終わっているから、問題はないのだが……」
私は零す言葉とは裏腹に、急いで片付けを終わらせる。
やはり魔女への恐怖心があるのだろうか。無意識に体が急ごうとしているようだ。いや、単に私が小心者なだけかもしれんが。
使いの少年も手伝ってくれるようだ。実にありがたい。
少年が手伝ってくれたおかげで、手早く済ませることができたと安堵した瞬間、玄関の扉をノックされた。ノックの後、こちらが返事をする前に扉を開かれ、私たちはピタリと動きを止めてしまった。
開かれた扉の向こうに立っていたのは、三角帽子に黒いローブ姿の、紛れもない魔女だった。
魔女はてっきり誰もいないと思っていたようで、私たちの掃除道具を見た後、悟ったように静かに扉を閉めた。
しまった。つい固まってしまったが、私は町長だ。きちんと対応しなければ。
私はすぐに後を追い、玄関の扉を開ける。
「いや、すみません。もうすぐ掃除は終わりますので、しばらくお待ちください」
「いや、こちらこそすまない。なんなら私も手伝おうか?」
「そんな! お手を煩わせる訳にはいきません! これは私どもの仕事ですから」
「そうか。手が必要だったらいつでも声をかけてくれ」
「ありがとうございます」
なんとか失礼のないように対応できたようだ。町民からは腰が低すぎるなんて言われているが、相手は人智を超えた魔法を使いこなす魔女なのだ。気を悪くさせたとなると実力があるぶん、貴族よりも恐ろしいということが町民たちはわかっていない。
私たちは手早く片付けを済ませると、笑顔の仮面を張り付かせ、待っている魔女へ掃除終了を伝えた。
「お待たせしました。どうぞお入りください」
「ああ、迷惑をかける」
「いえいえ、では私たちはこれで」
「……少し待ってくれないか?」
ドキリと私の心臓が跳ね上がったのは言うまでもない。
笑顔の仮面を貼り付けていながらも、流れる冷や汗は止まらない。何か粗相をしただろうか、という考えが、私の頭を駆け巡っていた。
「今、お茶を入れる。【魔女の家】で申し訳ないのだが、くつろいでいってくれ」
「いえ……私たちは……その」
「いいじゃないですか、町長。ご馳走になりましょうよ。俺、喉からからです」
「ぼ、僕も……」
青年と少年が勧められるままにテーブルへと向かう。こうなってしまったら、私だけが辞退することはできない。仕方なく私も席につくことにする。
「美味い! いい香りですね。こんなお茶は初めてだ!」
「ほんとだ……美味しい」
「そうか? まだ私が目標とする味には届いてないのだが、喜んでもらえると嬉しいな」
青年と少年が褒めると、黒衣の魔女は恥ずかしそうにはにかんだ。
確かに美味い。香り高く、それでいて不思議と濃くはない。甘めに味付けされたお茶菓子も贅沢で、さらに茶の美味さを引き出している。
私が思わず感服したように唸ると、魔女は嬉しそうに頬を掻いた。
こうやって見ると、ただ魔女の格好をした純情そうな娘に見える。私は少しだけ魔女に対する警戒心を解いた。
「グレンダさんと言うんですか。いやあ、美しい名前だ。容姿に負けず劣らずのいいお名前ですね。それにこんなに美味しいお茶を入れられるんだ。同僚が知ったら是非お近づきになりたいと懇願するでしょうね」
「ぼ、僕もそう思います」
「そ、そうだろうか? 村では護衛役という汗臭い役目を担っているので、そう言われると恐縮するのだが……」
「そんな! 立派な役目じゃないですか! あなたのような綺麗な人が護衛役なら、俺は凄く喜びますけどね」
「あ、ありがとう。もし護衛が必要なら、言ってくれ。力の及ぶ限り守ると誓おう」
「おお! 嬉しいなあ。でも俺には魔女に依頼できるほどの収入がありませんから……トホホなものです」
「いや、その……なんだったら無料でも……」
むう、いかんな。
青年の奴め。グレンダさんが綺麗だからって口説き始めているぞ。
魔女は女だけの社会だ。成人するまで、男と会話することさえ無い者も多いという。その為、魔女は総じて初心なのだ。
だから、青年のような軽い言葉も鵜呑みにしてしまう。
私は町長として、そんな初心な魔女を守ってくれと頼まれている。ここは止めてやらなくてはならない。魔女は怖いが、いたいけな女性が騙されるのは可哀想だ。
「お前、昨日は同じようなことを別の女性に言ってなかったか?」
「うっ………!」
「え、え……?」
「グレンダさん。こいつは口の軽い男として町娘の中では有名なんです。貴女も注意された方がよろしいですよ」
私の言葉に青年がしどろもどろになる。少年も青年のことを冷たい目で見ている。
グレンダさんはよくわかってないようで、私と青年を交互に見比べ、どちらが正しいか迷っているようだ。
注意するようには言ったが、それで男性に忌避感を持ってしまわれても困るので、ここは話をそらすことにしよう。
「時にグレンダさん。護衛役の貴女がどうしてこれ程美味しいお茶を?」
「あ、ああ。私も元々はお茶に拘りは無かったんだ。しかし、ある日命を救われた際に飲んだお茶の味が忘れられなくてな。それ以来、その時飲んだお茶の味を再現しようと躍起になっているんだ」
「ほお。それは美談ですね。貴女ならきっとその味を再現なさるでしょう」
グレンダさんは頬を染めて俯いてしまった。
いかん。私には妻と子どもがいるのだ。これでは口説いているようではないか。青年の目も問い質すような目になっている。
こんな初老に差し掛かった男にも照れてしまうとは、魔女というのは本当に初心なのだな。
「今日は色々と考えさせられることばかりだ……」
グレンダさんが頬を赤く染めながら呟く。
「私は村で生まれてからずっと外に出たことが無いんだ。護衛役で一生を終えるのもいいか、とそう思っていた。しかし、今日初めて【魔女の家】に来て、あなた達が掃除しているのを見て、話し、考えが浅いのだと気付かされた。私は知らなかったんだ。魔女の為にある【魔女の家】を、町の人が管理しているだなんて。男性がこんなに心を掻き乱す存在だったなんて。外の世界には私が知らないことが沢山ある。それに気付かされたんだ……」
私は素直に驚いた。
彼女は魔女なので、私なんかより余程博識なはずだ。魔物に精通し、生涯を研究に費やす魔女であっても、知らないものがあることに驚いた。それも、私の中では当たり前である、【魔女の家】の清掃という小さなことで。口の軽い青年に注意せよという教えに。
私はようやく理解した。
魔女は強い力を持つが、恐ろしく世間知らずなのだと。前に来た小さな魔女が異端なだけであったのだと。
私には既に魔女に対する恐怖心は消えていた。寧ろ守ってやりたいという義務感が目覚めていた。
「これから学んでいかれるが宜しいでしょう。私達も全力でお助けしますから」
「ありがとう」
そう言って微笑むグレンダさんは、今まで以上に魅力的だった。
「早速で悪いが、頼みがあるのだが……」
「聞きましょう」
グレンダさんには魔女ではない、普通の人間と接する機会が必要だ。その手助けができるならば、この爺にもやれることはあるだろう。
「子どもを授かるために精を受けたいのだが……なんなら、そちらの少年でも構わない」
さも当然と言い放つグレンダさんに、私は頭を抱えた。
これはそういう教育もしなければ、色々と問題が出てしまいそうだ。青年も少年も鼻息が荒い。
グレンダさんにはもうちょっと勉強してもらわねばなるまい。
作者もグレンダなんて見返すまではすっかり忘れていたなんてことは秘密