154『二つの魂、一つの体』
ヴァイオレット城からレンツに戻ってきて三ヶ月が経過した。
デイジーはヴィオの言いつけを守り、全身での身体強化の特殊魔法は週に一回に留めている。限定的に体の一部分を強化する方法も編み出し、だいぶ魂への負担は軽減できているようだ。
訓練は以前から毎日欠かさず行っているので、デイジーは生身の状態でも普通に強い。磨き上げられた近接戦闘に通常の魔法を混ぜたため、近接戦が苦手な魔女にとってはこの上なく厄介な存在となった。
フィーナでさえ、デイジーとの模擬戦では何度か負けている。戦闘に特化した特殊魔法を持っていないとはいえ、集中力強化と転移魔法を使った奇襲攻撃、さらに二つの魂による豊富な魔力量があっても、純粋な戦闘力ではデイジーに一歩劣るのだ。
イーナの場合は言わずもがな、デイジーに矢を当てる前に負けてしまう。それでも、フィーナとイーナの二人がかりならばデイジーには負けたことが無いので、まだまだデイジーはヴィオには及ばないだろう。
レンツでの日々は一言でいうと平穏だった。
仕事量は膨大だったが、復興も落ち着き、今では休みをとることもできるようになった。休みの日の過ごし方は日によってバラバラで、サナの狩りを手伝ったり、レーナと一緒に薬を作ったり、マリーナと薬草園の世話をしたり、デイジーの訓練に付き合ったりしながら過ごしている。
半焼した市場も復旧し、フィーナ達も新しい家へと引っ越した。新居でもお隣はデイジーの家なので、それほど変化したことはない。
そんな平穏な生活を送るフィーナは今日、石碑の前で一人、手を合わせ座っていた。
「…………」
丘の上に位置する大きな石碑にはたくさんの色鮮やかな花や酒、果物等が供えられている。石碑の正面には多くの人名が彫られている。まだ真新しく、定期的に掃除をする人もいるようで、石碑の周りは綺麗に片付いている。
『それはヒカリちゃんの世界のお祈り?』
ふいに頭の中で声がした。
フィーナはゆっくりと目を開け、石碑の人名を一つ一つ指でなぞった。この石碑には襲撃で亡くなった被害者の名が彫ってある。百人以上にのぼる死者への鎮魂として、この石碑は建てられたのだ。
「うん。私が住んでた国はね、こうやって死んだ人を弔うんだ」
フィーナは指の先についた埃を払い、風魔法で文字の溝を掃除していく。
『そうなんだ……。ねえ、私もやっていい?』
「うん。いいよ」
フィーナは手を止め、もう一度目を閉じ、手を合わせた。
静寂が訪れ、風に吹かれて木々が揺れる音や、小鳥のさえずりが静まり返った丘の上に響く。
『……ありがとう、ヒカリちゃん。もういいよ』
フィーナは目を開けると、立ち上がってすうっと息を吸い込んだ。御供の果物の香りや土の匂い、植物の匂いなどがフィーナの肺を満たす。
『風が気持ちいいね』
「わかるの?」
『なんとなく』
「そっか」
軽い掃除を終えたフィーナは丘を下って、整備された森の中の道を歩く。
今日はイーナもデイジーも連れてこなかった。何故かは自分でもわからないが、ようやく建てられたこの石碑だけは一人で見たかった。彫られた名前も、知らない名前のほうが多いが、中には顔を思い出せるような人物の名前もあった。
『お祈りの時って、どんなことを考えればいいのかな。私、何も思い浮かばなかったよ』
「うーん……」
『謝るのは違うでしょ? 労るのも違うもんね。悲しいと思うには時間が経ちすぎてる。感謝するのもおこがましいし、どう思うのが正解なんだろう』
「……私にもわからない。でも、わからないからって、お祈りはやめちゃ駄目なんだと思う。きっと、身近な人が亡くなったら、どう思うのが“正解”なのかわかるんだと思う」
『……そうだね。私もヒカリちゃんも、石碑に刻まれた人達と同じで、本当はお祈りされる側だもんね。お母さんやお姉ちゃん、デイジーちゃんはきっと“正解”がわかるんだろうなあ』
ずきりと胸が痛んだ。フィーナとして転生などしなければ、『フィーナ』にそんな気持ちをさせずに済んだのではないかと思うと、胸が苦しくなった。
フィーナもヒカリも、一度は死んだ身だ。こうやって息を吸い、心臓が動いていても、死を経験したという事実は覆せない。
『気にしないで、ヒカリちゃん。私、祖曽様とヒカリちゃんには感謝してるんだ。おかげでまた皆に会えたんだもん。だから、ヒカリちゃんが気に病むことはないよ』
「うん……ありがとう、フィーナ」
フィーナは考える。
前世の親も、ヒカリが死んだとき、墓の前で祈っただろう。無愛想な父親も、口うるさい母親も、同じ思いで祈ってくれただろうか。不出来な娘に対して、“正解”の気持ちで祈ってくれただろうか。
フィーナの頬に一筋の涙が溢れる。
『元気出して、ヒカリちゃん。一緒に“正解”を探していこうよ』
「うん……!」
フィーナは俯き気味だった顔を起こし、涙を拭った。つんと鼻の奥が熱くなり、冷たい風が熱くなった目元と鼻の奥を冷やした。
村へ戻るとイーナとデイジーが待っていた。
二人は戻って来たフィーナに手を振り、柔らかな笑みを浮かべる。フィーナは手を振り返し、二人のもとへ駆けていった。
走る勢いそのままに二人へ抱きつくと、フィーナはこう言った。
「お姉ちゃんもデイジーちゃんもだーい好き!」
「いきなりどうしたの? それに懐かしい呼び方ね」
「デ、デイジーもフィーナのこと大好きだよ!」
イーナは驚きながらも抱きついてきたフィーナの頭を撫で、デイジーは首を締められて苦しそうになりながらもフィーナに笑いかけた。
「ちょっと寂しくなっちゃってさ。『フィーナ』の頃の呼び方で呼んでみたくなって」
そう言ってフィーナは恥ずかしそうに頬を掻いた。
イーナとデイジーには頭の中で『フィーナ』と話せることは伝えてある。だが、どんな話をしたかは教えたことがない。
【伝心】。それがフィーナの新しい特殊魔法だ。フィーナにしか持ち得ない、たった一つの魔法である。二つの魂を有するフィーナだけに許された、過去にも未来にも発現しないだろう、そんな魔法である。
フィーナはこの特殊魔法が目覚めたとき、ある決心をした。
いつか、イーナとデイジーが知る『フィーナ』として、二人の前に戻ろうと。
この事は当の『フィーナ』でさえ知らない。ヒカリが勝手に決めたことだ。『フィーナ』には二人に対して話した内容を伝えないのは単に恥ずかしいからと言ってある。そんな苦しい言い訳を、『フィーナ』は笑って受け入れてくれた。『フィーナ』も何かに気づいているかもしれないが、ヒカリに問いただしてきたことは無い。
(待っててね、フィーナ。いつか必ず二人に直接会わせてあげるから)
フィーナの決心は鋼より固く、炎より熱かった。