151『偉人、ノンノ』
「ノンノ、進展はどう?」
「ひゃい!」
フィーナに話しかけられたノンノは、没頭していた資料から顔を上げ、わたわたと机周りを片付け始めた。リリィの部屋ほどではないが、中々のごちゃごちゃ具合だ。研究肌の人間は皆こうなのだろうか。
ノンノがレンツに来てから半年。レンツの復興に力を貸してくれた機関の魔女達は、本来の目的である“新種の魔物”について研究を始めていた。全員がその研究についている訳ではないが、主軸は“新種の魔物”についてだ。
新種の魔物の研究においては誰よりも詳しいノンノは、その研究グループのリーダーを務めている。
地元や機関で同様の研究をしていたノンノに、フィーナが助力を求めたのだ。
教官であるフィーナ達を差し置いて、自らがリーダーなど烏滸がましい、と恐縮していたノンノだったが、フィーナがどうしてもと言うと、渋々ながら了承してくれた。
長い年月をこの研究にかけたノンノの知見はフィーナの想像以上に深く、研究は日進月歩の勢いで進んでいた。
「フィーナ教官の言う通り、トット村周辺の植生と、レンツの森周辺の植生を比較したことで、原因となる植物が絞り込めました」
ノンノはリスト化された資料を取り出し、フィーナに差し出した。至るところに書き込みがなされ、ノンノのこの研究における意気込みの深さが伺える。
フィーナはそれを受け取ると、顎に手を当てながら「んー」と唸った。
リストを見たところ、だいぶ絞り込めたようだ。数百種あった候補が数十種類に激減している。後は地道に観測し続けていれば、原因となる植物が判明するだろう。
フィーナがうんうんと満足げに頷くと、ノンノは気を良くしたのか、嬉しそうに続きを話し始めた。
「他にも、新しいことがわかりました。ご存知の通り、近年急増している新種の魔物は魔斑の影響によるものです。魔斑は魔障が現れた植物を食べた動物に現れることはわかってましたが、最近は魔物化と言うのとは違うのではないか、という意見が増えています」
「というと?」
「本来、魔物というのは魔分の濃い地域に生息する生物の突然変異で、特徴は攻撃的で身体のどこかが異常発達しているものとされています。しかし、魔斑の影響とされている魔物は攻撃的ではあっても、時間をかければ人に慣れるんです。魔物の使役は歴史的にみても数少ない例です。特に鳥類系は前例がありません」
ノンノが説明しながら分厚い資料を更にフィーナへ渡す。
ノンノは機関にいる間、国内の魔女村で使役された魔物について調べ上げたようだ。こんな根気のいる作業をさらりとやってのける辺り、ノンノはやはり優秀である。
確かに、歴史を紐解いてみても、疎らだった使役の報告が近年になると数を増しているようだ。それも鳥類系ばかりだ。報告した村もレンツを中心にトット村やその他、近場に限定されている。
レンツでは一時期、魔物の使役化が流行ったことがあった。おかげで魔物に投与する鎮静剤が大量に売れたので、よく覚えている。
「それにおかしいんです」
ノンノが腕を組んでこてりと首をひねった。継ぎ接ぎだらけのローブがふわりと揺れる。
かなり稼いでいるというのに、ノンノのローブは古いままで、買い替えずに繕い直した箇所がいくつもある。機関の試験を受け、面接をした頃とほとんど変わらないままだ。あの頃もノンノは継ぎ接ぎだらけのローブを着ていた。
今ではあの頃と違って、気の弱さは多少克服したようだが、貧乏性は相も変わらずらしい。給料の殆どをトット村に仕送りしていると人伝で聞いたことがあるので、ノンノにはお金への執着がからっきし無いのだろう。
「おかしいって、何が?」
継ぎ接ぎの糸のほつれが気になるが、無理やり目を離して考え込むノンノに目を向ける。眉を寄せた考える表情が泣きそうな表情に見えるので、悩んでいるのか悲しいのか分からず、少しややこしい。
「魔物化しているのに、どの魔物も異常発達した身体の一部が見当たらないんです。体躯が大きくなったり、羽の色が変わったりはしてるんですけど……」
フィーナはレンツの魔女たちが使役している魔物を思い浮かべた。その中にはエロ鳥の姿も―――。いや、直ぐに掻き消されたようだ。
ノンノの言う通り、新種として使役されている魔物には従来の魔物のような体の変化は無い。総じて羽色の変化や体の成長は見られるものの、翼が大きく肥大化したり、脚が何本も増えたりといった現象は見られなかった。
「確かに、それはおかしいね」
「フィーナ教官もそう思いますか?」
「うん。私もたくさん魔物を見てきたけど、どの魔物も何らかの発達があったよ。それに、おかしいところはもう一つある」
フィーナは人差し指を立てて、ノンノの顔の前に指を持っていった。指を向けられたノンノはきょとんとして、目をぱちぱちとさせている。
「新種の魔物から交配種、いわゆるラ・スパーダやジ・スパーダが生まれていない」
「言われてみれば……」
ノンノはそう言って深く唸った。
魔物として、異色である交配種はキメラのように親となる魔物の特徴を受け継ぐ。かつて、レンツ・ウォールにてデイジーが【魂の覚醒】に至った原因のトータスモールや、ガルディアで討伐したグリフォンは交配種だった。
近年、数を増やしている新種の魔物だが、その割にはラ・スパーダやジ・スパーダの報告は少なかった。推測では、新種の魔物のせいでラ・スパーダの発生増加が危惧されていたが、報告の数は一向に増えなかったのだ。
王都にいた当時、レンツからそのような手紙を受けた時は当てが外れて、盛大に首を傾げたものだ。
「本当に魔物なんでしょうか……?」
「魔物の定義は“魔分に影響を受けたもの”だから、広義的には間違ってないね。魔斑も元は魔分に染められた植物が原因だし」
魔物は大きく分けて二種類存在するのだが、そのうち一種類は五十年以上存在が確認されていない。
もし、今回の新種を“魔物”というカテゴリに入れるとしたら、三種類にするべきなのかもれない。
「魔鳥……って分類にしようか」
「えっ!?」
「いつまでも新種の魔物なんて言えないでしょ? 魔物の分類として、新しく魔鳥類を加えればいいと思わない?」
「そうですけど、いいんでしょうか?」
「詳しい原因が判明すれば、一緒に発表すればいいよ。凄い反響があると思うけど。良かったね、ノンノ。ノンノの名前がこの国の歴史書に載るよ」
ノンノの顔から血の気が引く。
ノンノが青くなるのも無理はない。何しろ千年越しに発見された新しい分類になるのだ。歴史上の偉人に並ぶ世紀の大発見だ。アルテミシアの功績が載った歴史書に、ノンノの功績が新しく載る日も近いかもしれない。
前世的に言えば、メンデレーエフやグーテンベルクといったところか。そうそうたる顔ぶれで、胃が痛くなりそうだ。ノンノに擦り付けられそうで安心、といったところか。ノンノには後で胃薬を処方してやろう。
「そんな! フィーナ教官が発表してくださいよ!」
「この研究のリーダーはノンノだからね。私じゃダメなんだ。いやあ残念だなあ」
「酷いですよぉ……。絶対フィーナ教官の名前も載せますからね!」
「私はおまけみたいな物だから。メルクオール国王陛下にもよろしく言っておくね」
「やめてください………」
ノンノが胃のあたりを押さえ始めたので、そろそろ弄るのは辞めておくことにする。
実はフィーナ、既に何度かこういった功績の擦り付けを行っている。
キャスリーンが開発したリシアンサスは魔女の箒というアイテムを全く新しい物へと変えたため、近い将来歴史書に載ることが確定しているのだ。今は貴族関連の事情でキャスリーンの名を出すわけにはいかないので保留となっているが、その案件が片付き次第、キャスリーンの名は歴史に刻まれるだろう。無論、開発も製作もキャスリーン主導と国王には吹き込んである。まあ、実際その通りなのだが、キャスリーンはフィーナのアイデアのおかげと言って譲らないので、遠慮するにしても仕方ない措置とも言える。
更に、ガルディアを解放した件でも、フィーナはほとんどをヘーゼルの功績とした。ヘーゼルならば誰も疑問に思うことはないだろう。いつもサボってばかりいるが、王都魔術ギルドのマスターに相応しい功績となったはずだ。
未来の歴史家達は、所々に出没するフィーナの名前に疑問を持つだろう。
個人的にも、歴史の影に隠れた偉人は好きなのだ。前世ではよくテレビドラマで脇役をしていた渋いおじさんが演じる生き様に憧れたものだ。こんな人生を送れたらな、とも思っていた。
現実的に、他国の襲撃者を撃退し、国王から気に入られてる時点で渋い生き様なんて夢のまた夢なのだが。
「冗談はさておき、魔斑の原因となる植物の特定は任せたよ」
「じ、冗談だったんですか……。まあ、はい。それはわかりました。任せるってことは、フィーナ教官はどこかに行かれるんですか?」
「まあ、ね」
先日テッサが「ヴィオが寂しそうにしているので、遊びに来てやってください」と、わざわざ転移までして伝えに来たのだ。
フィーナも、そういえばあれからヴィオには何の報告もしなかったな、と思い返し、復興も落ち着いてきている今ならば良いだろうと二つ返事で了承した。
テッサは去り際に「ヴィオへのお仕置きを考えておいて下さいね」と言っていたが、フィーナには何のことかわからなかった。
そんな訳で、明日は半年ぶりとなるヴァイオレット城へと、いつものメンバーで向かうつもりなのである。