149『悩み』
王都の機関へ人材派遣の依頼をしてから二週間後、依頼を受けた魔女の一団がやってきた。
総勢二十人。
王都からレンツまで、それなりに距離があるし、拘束時間も月単位と長期間なため、正直、受けてくれるか不安だった。だが、思いの外沢山の魔女たちが依頼を受けてくれたようである。
本来ならば、これ程長期間の依頼となると、それ相応の依頼料が必要なのだが、寄付を募っても機関に依頼できる金額には及ばなかった。この依頼自体、人手が必要な案件なのにも関わらず、受ける人が増えれば、その分一人辺りの取り分も少なくなるというジレンマを抱えた依頼である。国内トップクラスの技術を持った機関の魔女への依頼料としては、この上なく安価になってしまう恐れがあった。
そもそも、寄付自体あまり集まらなかったこともあったが、フィーナは思うように集まらないことに対して強要することも非難することもなかった。
村のみんなだって、町の復旧を急ぎたい気持ちはあるのだ。しかし、焼失した自分達の家や店の建替え、修理にいくらかかるか分からないので寄付したくてもできないのだ。
そんな訳で、塩漬け依頼として放置されるかなと落胆していたところに、まさかの受注殺到である。
何故、と思うフィーナだったが、思わぬ助け舟があったのだ。
「ノンノ?」
「フィーナ教官! ご無事でしたか!?」
「なんとかね。ノンノは依頼を見て来てくれたの?」
「はい! それもありますけど―――」
そう言ってノンノが取り出したのは、なんと国王からの書状だった。機関の上層部から持たされたらしい。ただの研究員には重い荷でした、とノンノはホッとした表情でそれを渡してきた。
フィーナは目を丸くしながら受取り、中を検めると――――
『フィーナ教官、並びにイーナ教官とデイジー教官、そしてマリエッタ教官はレンツにて、新種の魔物の研究を行ってもらいたい。同時に、この時よりレンツは最新技術研修先となる。応募してきた者から二十名を選抜した。好きに使うといい。なお、あくまで研修なので、費用はこちらから出す』
フィーナの目には王族の印が輝いて見えた。
なんて粋な計らいだろう。だが、国王のことだ。どうせまた代わりに厄介事を頼んでくるのだろう。
フィーナは国王の大きすぎる助け舟に素直に喜べず、泣き笑いするような微妙な表情を浮かべた。
“研修”とされているからして、最終的には成果をきちんと残さなくてはなるまい。しかし、期間は決められていない為、実質無償で二十人の助っ人を送ってくれたようなものである。
「応募数は五十を越えていたそうですよ。大会も終わって、丁度暇な時期だったというのもありますけど、それ以上にフィーナ教官達の人徳が大きかったからです」
ノンノに満面の笑みで言われ、思わずフィーナの顔が熱くなる。
来てくれた面々を見れば、見覚えのある顔がいくつもある。キャスリーンと同じ研究室の面々やデイジーが指導する魔法分野の魔女達、中にはイーナの料理が食べられないなんて死んでしまうという理由で参加している魔女もいる。
「みんな、ありがとう」
機関が設立してまだ日は浅いが、所属する魔女たちと少なくない信頼を重ねられていたと気付かされ、フィーナは思わず目頭が熱くなった。
翌日から、二十人のエリート魔女による町の復興が始まった。それも凄まじい速度で。
町の地図通りに建物が日毎に建て直され、一月経つ頃には廃墟と化した町が整然と並んだ町並みに変化した。以前の町より明らかに立派になっていた。
避難していた住人達が戻り始め、半年を過ぎる頃には少しばかり活気を取り戻すようになった。
復興が進み、人々は少しずつ元の生活を取り戻し始めていた。
ただし、フィーナとデイジーが魔法を使えないことを除いて―――。
フィーナはデイジーやイーナと共に森の中を歩いていた。
この半年でデイジーとフィーナは十一歳となり、イーナは十二歳となった。背丈もだいぶ伸びたが、この三人の中では変わらずデイジーの背丈が一番低い。肉ばかり食べていたデイジーだったが、今では野菜も少しは食べるようになった。それでも好物は肉、それも鶏肉なのは変わらなかったが。
初夏の程よい暖かさの中、森の中を慣れた足つきで歩き、三人は採集場所へと向かっていた。フィーナとイーナが先を歩く中、デイジーは時折足を止めて、大地に深く根を下ろした木の、逞しい幹に向かって拳を打ちつけていた。愛用のグローブに指を通し、いつもの要領で拳を突き出す。
しかし、木は微動だにせず、デイジーを嘲笑うかのように悠然と立っている。悔しく思いつつもデイジーは拳を突き出すのをやめられなかった。こうして手を動かしていないと、肉体強化の感覚を忘れてしまいそうな気がして。
「デイジー……」
一心不乱に突きを繰り返すデイジーに、フィーナとイーナは悲しげな表情を浮かべた。
襲撃以降、デイジーはフィーナ達と一緒にいる時でさえ気丈に振る舞っていた。しかし、アーニーおばさんによると、ふとした時に顔を曇らせていると言う。
「あ、ゴメン。先行こっか!」
デイジーが振り向いて鼻歌混じりに歩き出す。いつものようなよく分からない鼻歌では無く、子どもの頃によく聴く童謡だったのは、デイジーがいつもの調子ではないことを意味しているのだろう。
いつも以上に無邪気に振る舞うデイジーのグローブには殴打した拳から滲み出た血が染み込み、赤い斑を作っていた。
採集所へ着くと、三人は薬草やハーブを摘み始めた。初めてきた時はサナが一緒だったが、あの頃に比べたら慣れたものだ。
今はイーナがサナの代わりにフィーナ達を守ってくれている。魔物が現れると、イーナは冴える弓使いで的確に駆除していった。そんなイーナをデイジーが羨ましそうに見ていたのをフィーナは気づいていた。
「レモンマートル、ニワトコ……これで全部かな?」
「うん。けど、補充の度に採集場所に来るのも大変だね」
「しょうがないよ。ギルドの鉢植えだけじゃあ限界があるし…」
フィーナがイーナと話しながらデイジーに目を向けると、デイジーは木に寄りかかって、ぼうっと空を見つめていた。
まだグローブは着けたままだ。あれでは化膿してしまう。
「デイジー! ちょっと来てー!」
「どしたの〜?」
「姉さん。デイジーの手、診てくれる?」
イーナが言われた通りデイジーの手に視線を移すと、デイジーはサッと手を後ろに回して隠した。罰が悪そうな顔でデイジーの視線が右往左往している。
「デイジー、見せて」
イーナの強めの口調に仕方なく手を差し出すデイジー。グローブを取り外されたデイジーの手は血に濡れて真っ赤だった。
肉体強化を使えない為、グローブに守られていてもデイジーの拳は傷ついていた。
「どうして? こんなになるまで―――」
「イーナにはわからないよ!」
イーナが治療しようと、手をかざそうとしたが、デイジーはその手を振り払った。
パシンと乾いた音が鳴り響き、サアっと採集所に風が吹き抜ける。色とりどりの花が風に揺られ、花弁を撒き散らした。
「イーナには……わからないよ。デイジーには肉体強化の特殊魔法しか無かったもん。それだけがデイジーの取り柄だったもん」
デイジーが嗚咽混じりに言葉を吐き出す。悔しさと苦痛を含めて。
「そんなこと無いよ。魔法が使えなくたって、デイジーには良いところがいっぱいあるよ!」
イーナは泣き出したデイジーを慰めるが、デイジーは頭を振って否定した。
「そんなの……ないよ。デイジーはイーナと違って料理も出来ないし、フィーナと違って頭も良くないもん。デイジーには……体を張って二人を守ることしか出来無いんだよ!」
「それ以外にもあるでしょ? デイジーは明るくて元気で…皆を笑顔にしてくれるじゃない」
「……無理して明るく振る舞っているのに?」
「………」
「わからなかった? デイジーは二人に心配させたくないから無理して笑ってたの! ほんとは笑いたくなんてなかった! 泣きたかった! でも二人が心配するからってデイジーは………」
血の付いた手で溢れた涙を拭い、デイジーの頬が赤く汚れる。
「……イーナが羨ましかった。治癒魔法で傷ついた皆を癒やして回って、今もデイジー達を守ってる。皆がイーナに感謝して、皆がイーナに『ありがとう』って言う。デイジーには『大変だったね』とか『頑張れ』なんて同情や励ましばっかり! デイジーは特殊魔法が使えなくなったら、ただの頭の悪い子なだけ? 皆は見てないかもしれないけど、デイジーだって頑張ったよ? 悪い魔女だって倒したよ? どうして誰もデイジーには『ありがとう』って言ってくれないの?」
地面に膝をついたデイジーのローブに涙がポタポタと落ちる。陽光を受けて反射する涙の粒は輝いていて美しく、そして儚げだった。
「……だからデイジーは木を叩いたり、殴ったりして鍛錬するの。だってデイジーはこれしか知らない。特殊魔法が使えなくても、続けてればいつかまた使えるようになるかもしれないから」
そう言ってデイジーは血に濡れた手を固く握った。
拳が壊れようと、脚が折れようと、デイジーは諦めないだろう。
デイジーはフィーナとイーナの前衛に立つことをこの上なく誇りに思っていた。勇敢で果敢な英雄アルテミシアに憧れたデイジーは、敵の矢面に立つことこそが誇りであり、誉れである。そう思っていた。それは襲撃の時に、村を守る義憤へと変わった。敵の前に立てるのは自分、自分しかいないと。そう思っていた。
デイジーはレンツを守った救世主の一人だが、魔法が使えなくなるという犠牲者でもある。
もし、レンツの人々がデイジーに惜しみない感謝だけを送ってだけいれば、デイジーはここまで思い詰めなかったかもしれない。しかし、魔女として魔法が使えなくなるという現象はデイジーの予想より重く周囲に捉えられ、人々はデイジーに憐れみと同情を向けた。
こんなことを望んでいたのではない。英雄の凱旋がこんな哀れみと同情を向けられたものではあってはならない。
それは取り柄のないデイジーの『褒められたい』という幼い欲望だった。
そんなデイジーを分かってあげられるのは同じく同様な目で見られたフィーナと、誰よりも二人を理解しているイーナだけだった。
「デイジー、聞いて」
「フィーナ……」
「レリエートの魔女と戦ったあの時、デイジーは私が倒れたのに気づいても、アマンダとの戦闘をやめなかったよね? 姉さんが叫んでも、ベラドンナが勝ち誇ったかのように笑っても。それはどうして?」
「え、と、フィーナが負けるはずないって思ってたし、イーナもいたから大丈夫かなって……ごめん」
「ううん。責めてるんじゃないよ。寧ろ、信頼してくれて『ありがとう』。デイジーが信頼してくれるくらい、私や姉さんもデイジーを信頼してるよ。それはデイジーが特殊魔法を使えなくても変わらない」
「ッ………!」
「デイジーは皆がデイジーの頑張りを知らないって言うけど、デイジーがあの時どれだけ頑張ってたか、私や姉さんは知ってるよ。もちろん、スージーさんもね。でめちゃんだって知ってるよ」
「うっ……」
「フィーナの言う通りだよ、デイジー。それにあの時だけじゃないでしょう? いつだってデイジーは私達の前に立って頑張ってたよ。前に立つデイジーの背中に、私達がどれだけ勇気を付けられたかわかる? デイジーはもう立派な私達の『英雄』なんだよ?」
「“勇猛で果敢、先頭に立って人々を先導し、常に強く高潔なアルテミシア”……。アルテミシア英雄譚の冒頭の言葉。私はまるっきりデイジーのことだと思ってるよ。だから……」
「「おかえりなさい、デイジー。よく頑張ったね」」
「うん……ただいま」
三人は日が暮れるまで抱き合って涙を流した。
既に悲しみの表情は無く、純粋で無垢な笑顔だけがそこにはあった。