148『レンツ復興計画』
ひとしきり涙を流すデメトリアに、フィーナは黙って片手を貸した。握り締められた手がデメトリアの思いの強さを表すようだった。
涙を拭いて立ち上がったデメトリアの表情は、どこか憑き物が落ちたかのようにスッキリとしており、溌溂とした勇ましい顔がそこにはあった。
「私が泣いたことは内緒だぞ……」
去り際に俯いて恥ずかしそうにするデメトリアに二つ返事で肯定する。
デメトリアが部屋を出たことで元の静まり返った室内になったが、窓の外に目を向ければ、焼け落ちた家や建物の瓦礫を片付けている人達が忙しなく動き回っている。きっとこの窓を開ければ、復興の喧騒が聞こえてくるだろう。
「ミミ」
フィーナが呼びかけると、影から黒猫のミミが出て来て、ベッドの上に飛び乗った。
飛び乗るのはいいが、場所が悪い。その場所はフィーナの太ももにあたる場所だ。いくらミミが軽くても、全身筋肉痛の状況で衝撃を加えられれば、予想されるのは―――
「あううう〜」
「あ、ゴメンニャ。ご主人」
ぴょんとフィーナの太ももから降りたミミに、ムッとした表情を向ける。
一番激しく筋肉痛になっている太ももに着地するなんてどういうつもりなのか、小一時間説教してやりたくもなったが、命を救ってくれた忠実な使い魔でもあるので、大目に見ることにした。
使い魔は動けなくなるような怪我を負っても、主の影に入っていれば自然と治癒するようになっている。ミミもかなりの深手だったが、フィーナの影に入ってから、翌日には元気な姿を見せるようになった。
あれ以上の攻撃を受けると、いくら使い魔と言えども死ぬらしい。死に方としては全身を形作っている魔力が霧散する煙のようになって消えるらしく、姿形を似せて再召喚しても、同じような見た目になるだけで性格や趣向は変わってしまうという。
数日前、フィーナが目覚めて最初にしたことはミミの名前を呼ぶ事だった。影の中で養生していたのだろうが、呼んでも出てこないミミに、フィーナはその日、夜まで泣きじゃくったのだ。
そのまま泣き疲れて寝てしまい、朝になって起きると、目の前でミミが前脚で顔を洗っていて、思わずフィーナは歓喜の雄叫びを上げてしまった。フィーナの声に驚いたミミが飛び跳ね、ベッドから転げ落ちるというアクシデントもあったが、とにかくミミが無事で良かった、とフィーナは安堵した。
「ミミ、窓を開けてくれる?」
「ミミにお任せニャ〜」
ミミが軽快な動きで窓に駆け寄り、小さな体躯を器用に使って窓を開ける。
涼しくて新鮮な空気が入ってきて、フィーナは思わず、すぅっと息を吸った。焼けた残骸の片付けは大分片づいているらしく、何かが燃えたような煙たい臭いはもうしない。
フィーナは傍らで欠伸をして寝転がるミミを撫でながら、心地よい風に目を細めた。
ふと空を見上げると、何かが物凄い速さでこちらに向かって飛んでくるのが見えた。翼らしき物を広げているので、生き物であるのは間違いない。見たところ、鳥のように見える。大きさはフィーナの頭くらいと、そこまで大きくはないが、とんでもなく速い。さっきまで豆粒のように見えていた姿が、どんどんと大きくなって近づいてくる。
「ちょ、ちょっとミミ! あれ何!?」
「んニャ? ご主人、そんなに慌ててどうし―――フギャ!」
ミミに説明する前に、鳥は窓から侵入し、凄まじい勢いで微睡んでいたミミに激突した。
空気を吐き出したミミと鳥が一緒くたになってベッドから転げ落ち、そのまま床を滑って壁に激突する。病み上がりに手痛い仕打ちを受けたミミを心配するフィーナだったが、筋肉痛で動けないため、ベッドの上であわあわするだけであった。
「ミミ…? 大丈夫?」
「うニャ〜、世界が回るニャ〜」
どうやら無事のようだ。
それにしても、この鳥は何なのだろうか。ミミと一緒に床で目を回し、脚をピクつかせる姿は前に捕獲したエロ鳥を彷彿とさせる。
「ん? 何か足に括り付けてる?」
鳥の足には細長く折った紙が結びつけられていた。
「ミミー、起きてー!」
「ニャ……」
フィーナが声をかけてミミを起こそうとするが、ミミは生返事をするだけで一向に起きる気配はない。フィーナはため息を吐いて、ボソリと呟くことにした。
「ササミをあげるよ……」
「――――んニャ! ササミどこニャ!? ご主人、早く出すニャ! ニャ!? この鳥は何ニャ!?」
現金な使い魔である。
もう何度も同じ様にササミを与えてきたというのに、飽きもせずこうやって過剰に反応する。
最近はミミが寝ている時、耳元で「ササミ…」と呟いて反応を伺うのがフィーナの密かな楽しみになっている。呟くと、決まって涎を垂らし始めるので、顔の下に布を敷いて置かなければならないのだが。
「おはようミミ。そこの鳥が足につけてる紙を持ってきてくれない?」
「お安い御用ニャ〜。でもササミはくれるのかニャ?」
「はいはい、後でね」
と言っても、体が動かない間は無理なのだが、そこには触れないでおく。
鳥の足に付けられていた紙は、どうやら手紙だったようだ。
「何が書いてあったのニャ?」
「うーんとねー……」
手紙の差出人はドナだった。さらに、現在床でのびている鳥はドナの使い魔らしい。
内容的には八割がフィーナ達の心配で、残る二割が王都の近況とアメラについてだった。
レンツ襲撃の報を受けて、王都にはドナとアメラが残り、レーナとリリィ、そしてマリエッタとキャスリーン、さらにメイがこちらに戻ってきているらしい。分野長の二人が戻ってくれば、かなりの助けになるだろう。
キャスリーンが戻ってくるとすれば、お付きのサンディも戻ってくるはずなのだが、手紙にはサンディの事が書かれていない。こんな所にもサンディの影の薄さが現れているのか、とフィーナは苦笑した。
「キャスリーンが戻ってくるみたいだよ」
「………ご主人、ミミは暫く影から出ないと宣告するニャ」
「ふぅん、ササミはいらないんだ」
「ニャ!?」
キャスリーンを苦手としているミミを弄りながら、フィーナはこの日を過ごした。
フィーナもキャスリーンを苦手に思っていたが、デメトリアと話してからは無性に顔を見たくなった。気を抜くと危なげな親交を計ろうとするキャスリーンだが、それでもフィーナのことを思ってくれる友人に違いない。それが変態チックなキャスリーンであっても、フィーナは仲良くしようと思うようになっていた。
しかしメイには大変な時に村へ来てもらうことになってしまったものだ。発展したレンツを期待していたメイには悪いが、今は猫の手も借りたい状況だ。謝罪して、メイにも復興を手伝ってもらうとしよう。
二日後、ようやく寝不精から解放され、体を動かせるようになったフィーナは同じく働き始めたデメトリアの元で書類仕事をしていた。
「フィーナ、市場の被害報告のまとめと損害費用のまとめはどこにある?」
「ここにありますよ」
フィーナは棚から資料を取り出すと、デメトリアの執務机の上に置いた。受け取ったデメトリアは「おお、これだこれだ」と、フィーナの迅速な対応に目を輝かせ、またしばらくすると―――
「フィーナ、復興依頼を受諾した者の一覧はどこにある?」
「……ここに」
「流石だな」
「……どうも」
「あ、それとな。町の広場の修繕について書かれている―――」
「でめちゃん! それ五分前にどこに置いてる聞いてきたよね!?」
「いや、その、忘れてしまってな」
「右の棚! 今回の襲撃に関してはそこにまとめてあるから自分で探して!」
かれこれ十回くらい場所を聞くやり取りが交わされ、一向に場所を覚えられないデメトリアに、ついにフィーナがキレた。
今までギルドマスターとして村を仕切っていたとは思えない体たらくだ、とフィーナは憤った。最早年齢的な上下関係すら危うい。それ程までにフィーナの中で、デメトリアの実務面での信頼は失墜していた。
実際、デメトリアの事務能力は壊滅的だった。計算しては間違え、文字は書き損じる。
それでもボロが出なかったのは補佐していたスージーが優秀だった為だろう。
スージーは連日、外に出て復興の指揮を取っているため、代わりを成すのはフィーナしかいなかった。今まで村の運営を滞りなく進めていたのがスージーだと知って、フィーナは影の功労者を不憫に思った。
「す、すまん。だがな、言い訳させてくれ」
デメトリアは垂れた頭をすぐに上げて、反論を口にする。
「私がこの部屋を使っていたときと今で、物の位置が結構変わっているのだ。慣れていないから仕方ないであろう? それに今は復興の真っ只中で、以前とは比べ物にならないくらい忙しい。資料や報告書も山のようにある。これをどうやって覚えろと?」
「位置が変わっているのはスージーさんが整理したからでしょう。それに、忙しいと言っても、でめちゃんに割り当てられた仕事は私の半分もないじゃないですか」
「ぐぬぬ……いや、フィーナはレンツのアルテミシアだ。だからこなせるのだろう?」
「私がアルテミシアなら、私達が手伝うまで一人でやっていたスージーさんは始祖レファネンですかね。知ってますか? スージーさんにはお姉さんがいるらしいです。始祖レファネンの如く完璧なスージーさんのお姉さんですから、さぞ素晴らしいお人なんでしょうね」
腹黒さを全開にしたフィーナはデメトリアの痛いところをこれでもかとつつくり回す。次第に涙目になって「私だって頑張っているのだぞ……」と零し始めたデメトリアに、悪い事をしたかなと反省しようとしたところに、コンコンとノックの音が響いた。
悪くなった雰囲気を切り裂いたのは昨日レンツに戻ってきたマリエッタだった。
「失礼しますわ。……なんですの? この空気」
「フィーナが私をいじめるのだ」
「でめちゃん! 反省してないよね!?」
涙目でつーんと頬を膨らませたデメトリアにマリエッタが苦笑する。
マリエッタは分野長の職務についているので、デメトリアとの付き合いはフィーナより遥かに長い。デメトリアの仕事の出来なさを知っているマリエッタはすぐに事のあらましを察した。
「随分と仲が良くなりましたね」
朗らかな笑みを浮かべたマリエッタが上品な佇まいでデメトリアに話しかける。
「フィーナがこんなに厳しい人間だとは思わなかった。わかっていれば一緒に仕事なんてしなかったぞ」
ぷい、と顔を背けたデメトリアだったが、フィーナにもマリエッタにも、恥ずかしがる顔を見せたくない為だと判断できた。林檎のように真っ赤な顔がそれを物語っていた。
恥ずかしがるデメトリアに、フィーナは怒る気力も失せ、ため息を一つ吐いて仕事を再開した。
さも当然のように持ってきた新たな書類をデメトリアではなくフィーナに渡すマリエッタ。
マリエッタもいい性格をしている、とフィーナは書類を受け取りながら思った。
戻ってきたマリエッタ達、王都組は帰ってくるなり素晴らしい働きを見せた。レーナはイーナと共に何十人もの負傷者を手当し、リリィは魔法の才を活かし家屋建築をスムーズに行い、キャスリーンとシンディは機関で学んだことを遺憾なく発揮して、数々の魔道具を提供し、マリエッタも町や村の緩衝となって動いている。メイは……まあ頑張っている。
レンツに来たメイは最初こそ呆気にとられていたが、次々と依頼や仕事が舞い込み、今は人一倍頑張ろうとしている。
頼み事を断れないメイの気質も相まって膨大すぎる仕事量に大変そうにしているが、本人は仕事を任せられるのが嬉しいようで、嬉々として働いている。その頑張りが結果として出ているかは推して知るべしなのだが。
「うーん……村はそれほど被害が大きくないですけど、町の方は大変みたいですね」
フィーナが書類を片手に呻く。
住む場所を焼かれ、家族を失っても、引き続き町に住みたいという申し出が多く、家屋の再建は急務だった。だが、思った以上に進みが遅い。
単純に人手が足りないのだ。町人達は避難したままだし、戻ってこようにも住む場所が無い。村へは不可視の魔法で入れず、テントを張っても魔物から襲われる危険が付き纏う。
村の魔女達も襲撃によって数人が死亡し、多くの魔女が負傷したため、現在建設に従事している魔女は町や村のライフラインを復旧するので手がいっぱいという状況なのだ。
「そうなんですの。町の人たちには元通りの生活を提供したいのですけれど、何ヶ月先のことになるやら………」
「よし! 私が家の一軒や二軒、ささっと建ててやろうではないか!」
「資料によると、百軒以上ありますよ。それに今でめちゃんがやっている仕事も重要ですよ。ギルドマスターという立場でしか承認できない案件もありますし」
「ぬ……」
勢い勇んで立ち上がったデメトリアがフィーナの言葉を受けてしずしずと座り直す。
「仕方ないですね。王都の機関に依頼しましょう。一流の頭脳と腕を持った機関の魔女なら短期間で再建も成し遂げてくれるでしょう」
「それは私も考えましたわ。けれど、資金はどうしますの? ギルドの予算は既にギリギリですわよ?」
「寄付金を募りましょう。魔女は大体金持ちですし、使い道もあまり無いですからね」
「そうですわね。私も手持ちでそこそこ持ってきていますわ。娘にも出させましょう」
「ありがとうございます、マリエッタさん。私やイーナ、デイジーの名も出せば、力を貸してくれる魔女も増えるかもしれません」
「ふふっ、フィーナさん達は人気者ですもの。きっとたくさんの人達が来てくれますわ」
フィーナとマリエッタはそうして笑い合った。
話についていけず、置いてけぼりにされたデメトリアは寂しそうに、書類に承認の判を押していくのだった。