147『その後』
「う……ん」
目を覚ましたフィーナが白いシーツの上で伸びをする。体のあちこちが悲鳴を上げ、フィーナはその程よい痛みと気持ちよさに思わず艶めかしい声を出した。
襲撃してきたレリエートの三人を追うべく、長距離を走った上に、死線をくぐる戦闘を二度もこなしたフィーナは目立った外傷は無いものの、全身の筋肉痛に悩まされていた。
元々前世でも運動会や体育祭には消極的だったフィーナにとって、森の中のマラソンと激しい戦闘はこの上なく体を虐める結果となった。
しかし、全身を絶え間なく攻める鈍い痛みを感じていても、フィーナの心境は穏やかだった。
あの凄まじい戦闘から数日が経過していた。フィーナはここ数日間、ずっとベッドの上で過ごしている。毎日イーナや村の人達が見舞いに来てくれたお陰で、体を動かせなくても暇を持て余すことはなかった。見舞いに来たイーナにあの戦闘の後どうなったか聞き、今はどんなことをしているかを聞いた。
アレクサンドラとの戦闘の後、フィーナは糸が切れるように意識を失った。白目を剥いて倒れたフィーナを心配したイーナとスージーだったが、魔力枯渇だと気づくと安心したらしい。
イーナがフィーナやデイジーを治療していた時、村や町の消火が終わったサナ達が駆けつけてきて、動けなかったフィーナ達を担いで、村まで運んでくれたらしい。
村の捜索隊によって木のうろに押し込まれていたデメトリアも発見され、今は傷ついた者たちと一緒に治療を受けている。
デメトリア本人は「休んでいられるか!」と半狂乱になって、包帯だらけの小さな手足を振り回し、今こそギルドマスターの役目を遂行しようと躍起になっているそうだ。毎回スージーが言い聞かせて止めているのだが、時間が立つと居ても立ってもいられなくなり、その辺の人達に何か手伝うことはないかと聞いて回るらしい。
現在はギルドマスターの職務をスージーが代行しているので、デメトリアの出番は回復するまでお預けである。寧ろ、忙しいスージーの時間が取られてしまうのでデメトリアには大人しくしててほしいというのが村の総意のようだ。
火災によって家屋を失った人々は急遽仮設住宅となった魔術ギルドに押し込まれた。フィーナやイーナ、デイジーもそれに含まれる。宿場町の方は酷い有様だったが、生き残った人たちには国から手厚い支援が行われ、今は【ウィッチ・ニア町】や他の村で過ごしているらしい。
メルクオール国王の粋な計らいである。今回の襲撃で王都から派遣された兵士が何人も殉職したため、国王はこの件を重く見て、公にすると共にレイマン王国へ圧力をかけるそうだ。国王自体、ガルディアの解放だったり、狩猟大会の医療所だったりとフィーナ達には貸しがあるため、借りは返すと言わんばかりに動いてくれるようだ。
幹部を討ったことでレリエートが報復に来るかと不安だったが、どうやらそうならずに済みそうだ。
捕虜となったアマンダは重要参考人として王都へ移送された。移送中は生半可な魔法じゃ壊されないような丈夫な手枷足枷を嵌められ、かつ一日に二度サイケデリック・バタフライの鱗粉を嗅がせられるというつらい目にあっているらしい。
アマンダは王都で取り調べを受けた後、大罪人として処刑されるそうだ。その際、既に死亡しているアレクサンドラやベラドンナも大罪人として名を残し、一昼夜磔にされるらしい。この話を聞いたとき、フィーナはあまりの恐ろしさと惨たらしさに身震いした。
今も思い出してしまい、背筋を震わせていると、コンコンと扉を叩く乾いた音が部屋に響いた。
「どうぞー」
既に何回繰り返したか分からない気の抜けた返事をして入室を促すと、入ってきたのは頬を膨らませたデメトリアだった。大方、邪魔だからフィーナの見舞いでもしてろと暗に諭されたのだろう。言い分に納得していなくても、スージーの言いつけを守る辺りが幼さを感じさせる。デメトリアは精神的にも幼女化しているのではないだろうかと疑いたくなりそうだ。
「でめちゃん、いらっしゃい」
「でめちゃん言うな! 全く、皆で寄ってたかって私の事を子供扱いしよって…」
ぷりぷりと怒りながらベッドの側にあった椅子に腰掛けるデメトリア。膨らんだ頬がまるで風船のようだ。ぷくっと膨れた頬を突きたくなる衝動にかられる。そんな仕草がデメトリアを子供扱いさせる要因になっているというのに、当の本人は気づいていない。
「怪我はどうですか?」
「問題ない。既に自分の足でも動けるし、痛みも引いている」
「治癒魔法を受けるのを辞退したらしいですね」
「む、まぁ……かすり傷だったからな」
デメトリアは目を逸らして恥ずかしげに頬を染めた。
五体満足で生還したと言っても、デメトリアはそこそこ深い傷を負っていたのだ。体のあちこちに血が滲む擦り傷と、殴られたと一目で分かる青痣が何箇所も出来ていて、今も尚、包帯で全身を簀巻にされている。
強がってはいるが、実際はかなり痛いはずだ。それでもデメトリアが治癒魔法を辞退したのは、デメトリア以上に重傷を負った人達に優先して治癒魔法を受けさせるためである。
イーナは今も大量の負傷者を抱えて、毎日フラフラになるまで治癒魔法と再生魔法を行使している。
フィーナもイーナと共に治癒魔法をかけて回りたかったが、どういう訳か、うまく魔法を使えないでいた。フィーナがこうして全身筋肉痛に悩まされているのも、そのせいであった。
「それで、まだ魔法は使えんのか?」
「……はい」
「デイジーも同じく魔法が使えんらしい。恐らく、あのアレクサンドラとか言う魔女の仕業じゃろう。奴が使っていたナイフに魔力操作を乱す毒が塗られておったらしい」
今はナイフの毒を解析し、解毒方法を探している、とデメトリアは続けて言った。
それを聞いて、フィーナは心の底から安堵した。毒とやらが即効性だった場合、フィーナはあの場で氷の剣を作り出せずに負けていたであろう。それに、死に直結するような毒でなかったのも幸いした。
アレクサンドラが何を考えて致死性の高い毒を使わなかったのかは知らないし、それを確かめる術も、当人が死んだ以上明かされないままだ。
「落ち込むかと思ったが、案外平気そうだな」
「そうですか? これでもちょっとは落ち込んでますよ?」
「ちょっと、か……。デイジーは酷く落ち込んでいたからな。フィーナもそうではないかと心配したのだが……」
身体強化はデイジーが憧れた初代アルテミシアの十八番だったはずだ。故に思い入れも人一倍強かったのだろう。
対してフィーナと言えば、前世は魔法なんて空想上のもので、非現実的なものであり、使えなくなったとしても、それほど苦にはならない。使えたものが使えないというもどかしさはあるが、魔女村に入れている時点で魔力が無くなった訳でもないので、デイジーほど悲観していなかった。
「デイジーと同じ境遇で良かったです。もしデイジーだけが毒を受けていたとしたら、受けていない私では支えられなかったかもしれないですから」
「大した友情だな。私もかつては命を捧げても本望だという友人が何人かいたが、皆亡くなってしまった。私は愚直に生にしがみつく老骨なのかもしれん。……時の流れというものは残酷だな。アレクサンドラも時の流れに取り残された傀儡だったのかもしれんな」
デメトリアも実年齢は五十代であり、それなりに波乱万丈な人生を送っているのだ。苦楽をともにした友人の一人や二人と別れていたとしても不思議ではない。
アレクサンドラも口元を隠してはいたが、声や雰囲気からは結構な歳だと判断できた。デメトリアの言うように、生きていく中で色々な物を失ってきたのかもしれない。
デメトリアの目に哀愁が漂っているのを察し、フィーナは無言を貫く。
「湿っぽくなってしまったな。忘れてくれ」
「いえ、忘れません」
デメトリアは眉を寄せてフィーナに顔を向ける。困惑した表情をぶつけられたフィーナは穏やかに笑い返した。
「でめちゃんにはスージーさんがいるじゃないですか。それに、私達も。村のみんなだってそうです。皆、でめちゃんを大切に思ってますよ。だから―――」
フィーナは固く握りしめられたデメトリアの拳を解きほぐし、しっかりと手のひらで包み込んだ。
「一人じゃないですよ」
一滴の涙が頬を伝って、フィーナの手の甲に落ちた。