145『レンツの危機に 7』
フィーナとイーナは傷だらけでボロボロのデイジーの側に立っていた。
フィーナが倒したベラドンナは血のあぶくを吐きながら地面に横たわっている。既に意識は無く、あとは死を待つだけだろう。
「デイジー、遅れてごめんね」
「フィーナなら来てくれるって信じてた」
アマンダもデイジーも今にも倒れそうだったが、精神的にはデイジーが勝っていたのだろう。フィーナやイーナという背中を預けられる友を有していた為に、その気迫は熟達者であるアマンダさえも凌駕していた。
「ベラドンナが殺られるなんてな……」
アマンダは諦観の満ちた声音で言い放ち、どっしりと座り込んだ。胡座を組む、男らしい座り方だが、息は絶え絶えで辛そうだった。
「俺ももう動けねぇ。だがアレクサンドラのやつは先に行ってるからな。今頃国境を越えてるかもな」
この戦闘に参加していない三人目の魔女、アレクサンドラはとうとう姿を見せなかった。アマンダが言うように、デメトリアを連れて国境を超えていたとしても不思議ではなかった。
しかし、ベラドンナとアマンダが戦闘していて、アレクサンドラだけ先に帰還することなどあるのだろうか。
「貴方の言い方だと、仲間を置いて帰ったと言っているように聞こえますけど?」
「ハッ、仲間? あいつは同郷だけど仲間と思ったことなんて一度もないぜ?」
身内同士でも競争が激しいレリエートの性質のせいだろうか。仲間という意識が全くないようだ。お互いに都合の良い駒ぐらいにしか思っていないのだろう。フィーナ達の絆と比べれば、雲泥の差である。
フィーナ達が苦い顔で睨んでいると、アマンダはつまらなさそうに鼻で笑った。
「それで? 俺をどうすんだ? ベラドンナみたく殺すのか?」
「………」
ここでアマンダを殺すのは簡単だ。満身創痍のアマンダは魔力枯渇ぎりぎりで、意識を保つのもやっとといった状態だ。今なら大した苦労もせずに肉塊へと変えることもできるだろう。
しかし、フィーナはアマンダを捕縛するだけに留めた。アマンダを捕らえて情報を聞き出せば、アレクサンドラやレイマン王国に先手を打てると考えていたからだ。男勝りで気が強いアマンダの性格からして、早々口を割ることはないだろうが、些細な情報でも得られれば万々歳である。
「甘えやつらだな……。俺が口を割るとでも思ってんのか? 拷問されても何も吐かねえよ」
「………貴方は何のために戦っていたんですか?」
「俺は強い奴と戦ってみたかっただけだ。その点に関しちゃ、そこのチビは最高だったぜ。だが村の奴らはクズだったな。魔力の欠片もねえような奴らと協力して町なんか作ってやがるから弱くなんだよ。まるで相手にならなかったぜ」
饒舌にレンツの皆を貶すアマンダに激しい怒りを覚えたが、こちらを挑発していることが見え見えだったので、何とか殺意を耐えることができた。
それでも口の中が切れるくらい歯軋りし、爪が食い込むほど手を握りしめても耐え難いものだったが。
フィーナがそこまでして耐えているので、デイジーもまた怒りに震えながらも耐えていた。体中の怪我をイーナに治療されている最中なこともあって、下手に動けないということも、デイジーがアマンダに手をかけさせないでいた。
「……挑発しても無駄ですよ。目と口を隠させてもらいますね。それに薬も使って気を失ってもらいます。【召喚魔法】は使わせませんよ」
フィーナがアマンダの特殊魔法を暴露すると、アマンダは目を見開かせた。
「俺の特殊魔法をどうやって見破ったんだ……?」
「見て、考えたら案外簡単でした」
フィーナの推測ではアマンダの特殊魔法は【召喚魔法】で、主に岩石や土といった無機物をどこからか召喚する魔法だった。推測だったがアマンダの反応からして、間違ってはいなかったらしい。
空を覆うような巨石も、その後の瓦礫を飛ばす手法も、召喚させれば魔力の消費も抑えられる。無尽蔵かと思われたアマンダの魔力は実は召喚魔法によって限りなく消費魔力を削減して発動させていたのだ。
そもそも、あれだけ大きな巨石を土魔法で作り上げたのであれば、地形に何らかの影響が出るはずなのである。だが結果は地面が陥没することも無く、穴が穿った痕跡も無かった。この時点でフィーナはアマンダの使用する魔法が土魔法ではないと確信した。
その後、フィーナは【集中力強化】を使い、考えられる特殊魔法を吟味することで、アマンダが召喚魔法の使い手だと判明するに至ったのだ。
自身の特殊魔法があっさりと見破られ、アマンダは露骨に嫌な表情を浮かべた。
「逃げられそうにねえな……」
そう呟いたが最期、アマンダは高濃度のサイケデリック・バタフライの鱗粉を嗅がされ、意識を失った。レーナ曰く“護身用”と称して持ち歩いている鱗粉だが、使ってみるとなかなか使い勝手がいい。意識が戻ったとしても、激しい目眩や頭痛が三日は続くだろう。その状態では魔力を扱うことも難しく、簡単には逃げられないはずだ。
「私はスージーさんの治療に戻るね」
デイジーの怪我の治療を終えたイーナは途中だったスージーの治療へと向かった。スージーはフィーナが危ないと気づくと、自身の治療を放棄して、フィーナの元へイーナを向かわせたらしく、治療が途中になっていたようだ。脚の骨折などの重傷を負っていたが命に別状はないようで、今は少し安心した顔でイーナの再生魔法を受けている。
「早くデメちゃんを助けないとねー」
「デイジーはまだ動けるの?」
「バッチリだよ! イーナに治してもらったから!」
「そっか。あんまり無理しちゃ――――」
フィーナは言葉を切らした。切らざるを得なかった。
「―――え?」
フィーナは困惑した。無理もない。デイジーの体からナイフが突き出ていたのだから。
「勘のいい奴じゃのう。儂の殺気に気づきおったわ」
デイジーの体からナイフがゆっくりと抜かれ、血の気を無くしたデイジーが腹部を赤く染めながら地に倒れた。
倒れたデイジーの背後に立っていたのはアマンダやベラドンナと同じ、深緑色のローブと三角帽子を身に着けた妙齢の魔女だった。
手元にデイジーの血によって赤く染まったナイフが握られている。口元を布で隠していてもわかる、愉悦を孕んだ口調がフィーナの全身の毛を逆立たせた。
三人目の魔女、アレクサンドラである。
氷のように冷たい目で倒れるデイジーを一瞥し、アレクサンドラは「フン」と鼻で笑った。
「うわああああ!」
デイジーから流れる夥しい血が血溜まりを作り、フィーナの思考は一瞬で真っ白になった。
何故いきなり現れたのか、どうして気付かなかったのかといった思考も全て捨て去り、フィーナはただ目の前の魔女を憎み、呪った。
「許さない」
力任せの火魔法を連打し、強引にアレクサンドラを遠ざけると、フィーナは横たわるデイジーの前に立ち塞がった。
片手でデイジーに治癒魔法を使い、ステッキを持つもう片方の手でアレクサンドラへ攻撃する。残存魔力など気にしない荒々しい攻撃だった。
凄まじい魔法攻撃による音が森に木霊する。
レンツの森は日が暮れ始めていた。