142『レンツの危機に 4』
「アマンダって戦闘になるといつも没頭しちゃうのよね。キャハ、ほんと嫌になっちゃう」
言葉とは裏腹に、目の前の魔女は全く嫌そうな素振りは見せていない。
振り乱したように整えられていない髪は色が抜け落ちたかのように真っ白で、肩にかかった荒れた毛先がくるりと癖によって内側に曲がっている。
瞳はマリーナと同じく青色だが、マリーナのサファイアのような澄み切った青空色とは違い、この魔女の瞳は冷たく深い海の底のような色をしていた。瞳孔は常に開き、滲み出る狂気も常時孕んでいる。
目元は濃く重いグレー系のアイシャドウを何度も塗り重ねたように黒黒としており、薄い唇には血が固まったような赤褐色を基調とした紅が塗られている。
死人のように白い肌で、常に不敵な笑みを浮かべるこの魔女を、フィーナは本能的に拒絶した。
生理的嫌悪、言いようのない不快感がフィーナの顔を顰めさせる。
この不快感がなんなのか、フィーナは身を引きつつ考え、ようやく合点がいく。
目線。
この魔女はフィーナに話しかけておきながら、フィーナの方を全く見ていない。いや、見てはいるが、フィーナを“人”として見てはいないといった方が正しいか。ハエやアリといった矮小な生物を見る目である。明らかに異常と言える据わった眼であり、侮蔑、嘲笑の混じった度し難い目線である。
異常者、狂人、乱心者、人によって様々な言いようはあれど、その全てがこの魔女だけに用意された言葉なのではないか。フィーナはそう思わざるを得なかった。
「ねえ、聞いてる?」
「――――ぁ」
絞り出した声は殆ど呼吸音と変わりなかった。しかし、それでも狂人はお気に召したようで―――
「キャハ、キャハハハ。何よ、話せるじゃない。そうよね。当然よね。まだ死んでないんだから話せるに決まってる。キャハ」
何がおかしいのか、とフィーナは目線で訴えかける。この狂人とは言葉を交わしたくない。話したくない。そんな気にさせる相手だった。
「キャハ、ヒヒヒヒ。ああ、可笑しい。ベラはね。人を殺す時が一番楽しいの。だ・か・ら、今は楽しみが目前にあって……それが本当に楽しいの。楽しみを後に残し続けて、楽しいを持続させるの。ベラ、賢いでしょう?」
異常だ。人格が破綻している。
口調も段々と崩れてきている。見た目以上に精神年齢が退行してきている。
「アナタの死に顔はどんなのかな? 苦悶? 苦痛? 恐怖? 想像するだけで……あぁ楽しい! キャハハハハ!」
ベラドンナは両手を天に掲げ、その場でくるくると回った。風に乗ったローブがふわりと浮き上がり、波打つように揺れる。
「うっ……」
フィーナは思わず嘔吐いた。
風にのったベラドンナのローブ、そこから濃密な死の匂いが感じられた。
最早、体臭までもが死臭と成り果てたベラドンナは、一体何人の人を殺してきたのだろうか。
リーレンやアマンダ、ましてやマリンからは到底感じられなかった異常なまでの狂気の気配。ベラドンナからはそれが濃密に、死の匂いと共に感じられる。
「キャハハハハ―――ハァ、ベラはね。死の魔法が使えるの。ベラが“死んで”って頼むと、みんな死んでくれるの。凄いでしょ? 褒めてもいいよ?」
死の魔法―――。あり得るはずがない。
いくら魔法といっても、できること、できないことは存在する。
デメトリアが研究し、失敗した若返りの秘術。肉体的年齢は若返ったとしても、寿命は何故か変わらない。肉体的年齢の若返りも制御は効かず、まるで戒めのように子供の姿になってしまう。
祖曽が行った【魂呼び】の秘術もそうだ。祖曽の魂を使っても、フィーナの魂は戻らず、ヒカリの魂が呼び寄せられた。死神という人智を超えた存在を介しても求める結果には至らなかった。
さらに言えば、前にレンツの錬金術分野が躍起になっていた金の創造。全く成果は出ず、周りからは白い目で見られていたことは記憶にも新しい。
不老不死、死者蘇生、原子改変といったおおよそ“人の手に余る”行いはフィーナの知る所では須らく失敗している。
ヴィオも『研究するだけ時間の無駄じゃ』と言い放ち、機関の方針も同じくして『禁忌、タブー』の象徴となっている。
故に、人の尊厳を踏みにじる死の魔法とやらも、ベラドンナの狂言なはずである。
だがフィーナはどうしようもないほどの不安感に煽られていた。
ベラドンナは紛うことない狂人である。しかし、フィーナにはベラドンナが“嘘”をついているようには見えなかったのだ。
絶対の自信。ベラドンナが言い放った狂言にはそれが隠れることなく現れていた。
「最初はいつも怒ってベラを叩いたママ。次はベラを虐めた隣の家のリジー。その次はベラを裏切った幼馴染のアイラ。その次はその次は……」
次々と出てくるベラドンナに殺されたであろう人の名前。それに付随して、ベラドンナが狂気に呑まれた理由が少しずつ明かされる。ただただ、ベラドンナの懺悔とも自慢とも違う独白は死にまみれていた。そして、独白を続けるベラドンナの表情は非常に晴れやかだった。
「――――その次は名前も知らない人達をいーっぱい。そして次がアナタ」
数え切れない程、多くの名が語られた後に、恍惚とした表情でベラドンナがフィーナを指差す。
名前も知らない人達というのは十中八九、宿場町の町民たちのことだろう。宿場町に放置されていた大量の死体の中には全く外傷がないにも関わらず、壮絶な形相で息絶えていた者が散見された。
ベラドンナの言う死の魔法なのか、三人目による仕業なのかは現時点では判断がつかない。しかし、ベラドンナが町民達を少なからず殺したことは事実で、最後の締めを飾るようにフィーナをも殺そうとしている。
フィーナはベラドンナから溢れ出してきた殺気に後ずさり、額の汗を拭った。既に口の中はカラカラに渇き、飴玉の余韻もない。かすれた喉を潤そうと唾液を飲み込もうにも、渇き切っていて空気を飲むばかりだ。
「アナタなら思い出に残る死に顔をしてくれると思うの。だから―――」
ベラドンナは嫌悪感を募らせる目線でフィーナを包み、嘲笑いながら言った。
「お名前、教えてくれる?」