135『魂呼びとヒカリ』
ヴィオに別室へと誘われたフィーナは、物々しい雰囲気に戸惑っていた。
イーナやデイジーも、ヴィオの不穏な雰囲気に気づいており、フィーナを心配する顔で見ていた。
別室はがらんとした物置で、年代物の調度品がところ狭しと置かれていた。あまり使われていない部屋のようだが、全体的に埃っぽくなく、掃除は行き届いているようだった。
ヴィオは物置に置かれた木箱に「よいしょ」と座り、床に届かない足をプラプラと揺らした。
「そう緊張せんでいい。ちと聞きたいことがあっただけじゃ」
ヴィオの瞳は紫色に戻っていたが、明かりの乏しい物置部屋では光量が少なく、深い闇色に見えた。まるで瞳の中に小宇宙があるようだった。フィーナはヴィオの瞳から目を離すことができず、ごくりと息を呑んだ。
「フィーナ――――いや、お主、本当にフィーナかや?」
ドクン。心臓が跳ね上がる。
声を出そうにも、金縛りにあったかのように口が開かない。手は凍えたようにふるふると震え、胸は締め付けられて息が苦しくなった。
吸っても吸っても息苦しい。フィーナは額に汗をかいてうずくまった。
「これ、落ち着かんか」
ヴィオが慌てて木箱から飛び降り、フィーナの背中を擦る。
じわりと温かい感触が背中から伝わり、フィーナの乱れた呼吸が治まる。
フィーナが落ち着くまで、ヴィオは背中を撫で続け、「しっかりせぬか」、「ゆっくり息を吸え」と声をかけた。
「あ、ありがとうございます」
ようやく絞り出したフィーナの声は微かに震えていた。
フィーナ自身、こんな症状に陥るなんて思っておらず、「どうしたんだろう?」と身の内を疑問に思った。
「少し荒唐無稽すぎたかの。まずは“何故、妾がお主をフィーナではないと思ったか”を説明せねばならんの」
ヴィオは先程の木箱に座り、フィーナは地べたに座り込んだ。フィーナの視点では、ヴィオは高座に座る王のように見え、見上げるフィーナは傅く従者のようだった。
「妾の【妖精女王の目】は魔力の流れ、魔力量、余力以外に、魂を見ることができるのじゃ。魂は魔力の源であり、その大きさは潜在魔力量を表しておる。デイジーの魂、イーナの魂は大きさこそ違えど、特に異常はなかったのじゃ。しかし――――」
ヴィオの瞳が薄緑色へと変わる。太陽にかざし、日の光が透き通るエメラルドのような瞳は、フィーナの一挙手一投足を全て見極めるが如く、煌々と輝いた。
「お主の魂は一目で見たところ、異常に大きい。いや、歪じゃと言っていいかもしれん。とにかく、通常じゃありえん形になっておる」
フィーナは自身の胸元を見た。
魂がどこにあるのか知らなかったが、ヴィオの目線はフィーナの胸元を捉えており、フィーナはそれに習って見たのだ。しかし、当然フィーナに魂など見えるはずもなく、荒い息遣いと共に上下する薄い胸板を、ローブ越しに見ることしかできなかった。
「そのように歪な魂は、禁呪と呼ばれる【魂呼び】が行われた者にしか起こらん。【魂呼び】は術者の魂と引き換えに、死後数時間内の対象の魂を引き戻す術と謂われておる。百年ほど前に先々代と弟子達が生み出したこの術式は、当時、絶賛されたらしい。―――じゃが、実際は獣や虫などといった魂が入り込むため、直ぐに禁呪として扱うようになった。お主、何か心当たりはないかや?」
フィーナは既にヴィオがフィーナの事を“お主”と呼んでいることに、悲しさなのか、悔しさなのかよくわからない感情を抱いた。
フィーナになりきって、築き上げてきた“家”のような物が足下からバラバラと崩れていくように感じて、その喪失感に混乱した。
「わ、私の命は祖曽様が救ったと聞いています。どんな術式を使ったかというのは聞いてません……」
「なるほどの。ベルクオーネが死んだというのはその為じゃったか………。ベルクオーネならば禁呪を知っていてもおかしくはないのう。あの術式は先々代とベルクオーネ、そしてイムが協力して作ったものじゃからの。しかしお主、単なる動植物の魂ではないな? 明らかに人の魂が入り込んでおる。これは前例のない事じゃ。どういうことじゃ?」
「は、はい。私は人間です。名前は黒川ヒカリ。前世では、こことは違う世界で生きていました」
フィーナはこの世界に来て初めてヒカリの名を言った。言い慣れているはずなのに、どこか辿々しい、そんな名乗り方だった。
「前世に違う世界か……。その話が本当だとしても、ますますフィーナの身体にヒカリの魂が入り込むことに説明がつかなくなる。繋がりは希薄なはずじゃが、フィーナとヒカリの魂が溶け合うように混じり合っておる。本来の術式ならば、左様なことは起こりえん」
フィーナはヒカリとしての死の直前、ザハテと名乗る死神が現れ、転生体としてこの身体に入り込んだことを話した。
「ザハテ……どこかで聞いた名じゃな。先々代からじゃったか……うむ。フィーナの身体に入り込んだのは、そのザハテという死神の力のせいでもあったのじゃろう。先々代に聞いたことがある。【魂呼び】の術式を使うと死神を呼び寄せる、と……」
事実、祖曽ベルクオーネが使った【魂呼び】の術式の使用時、死神は現れている。側で活性魔法を使用していたレーナであれば知っていたであろうが、フィーナはその時、気を失っており、この世界の死神を見ていなかった。
『先日契約を交わされた人が居ましてね。一応こちらの規定にも反しませんし、仕事もすぐに片付けられるので、あなたの要望には答えたいと思います』
言動からして、こちらの世界の死神と、ザハテは同一人物の可能性が高いとフィーナは思った。そして、仕事を早く片付けたいという理由に、今更ながら「それはどうなの?」と思わざるを得なかった。
「うむ。納得はいった。しかし、一つ尋ねなければならぬことがある」
フィーナは顔を上げ、首を傾げた。見下ろすヴィオの表情は真剣そのものだった。
「イーナとデイジーには話しておらんのじゃろう?」
フィーナの心臓が再びドクンと跳ねた。
「妾の見た限り、お主達は昔から付き合いがあるように親しげに見えた。フィーナの魂が残っておるということは、記憶も残っておったのじゃろう。人格は違ったであろうに、よくイーナやデイジーと疎遠にならずやっていけたものじゃ」
胸が苦しかった。
この苦しみ、痛みはフィーナがずっと抱えていた罪悪感だった。
始めは軽い気持ち、そう深く考えず、ただ死にゆく自分が恐ろしく、すがった結果だった。
この世界に転生し、新たに母親、姉や親友ができ、感じたことのない心の安らぎを味わった。
しかし、鏡を見れば『ヒカリ』としての顔はなく、あるのは『フィーナ』としての顔だけ。周囲は自身をフィーナと呼び、『ヒカリ』も『フィーナ』であろうと頑張った。
イーナやデイジーがこちらに向ける笑顔は全て『フィーナ』の物、そう考えるとどうしようもなく苦しくなった。
いつかは本当のことを話さなければと思っていたが、出来なかった。話せばイーナやデイジーが離れていってしまうのではないか、そう思うと不安で、怖かった。
だから、ヴィオに“お主はフィーナではない”と見抜かれたときは、不安に押し潰されそうになった。頭をよぎるのは笑顔の消えたイーナやデイジー、悲しそうな顔をするレーナだった。怖い、恐い、どうしようもなくコワイ。
伝えれば最期、後戻りはできない。
だってフィーナはもういないのだから。
きりが悪かったので一気に2話更新