132『アルテミシア』
「―――正確には五百四年前です」
テッサはフィーナの視界外からすっと現れ、冷たい風に揺れるロングスカートを持ち上げ会釈した。気品を感じさせるその所作に、フィーナは一瞬面食らい、その後慌てて会釈を返した。前世の日本人としての性だろうか。丁寧な挨拶をされると、つい腰を折ってしまう。
テッサは頭を上げると、上品な微笑みを浮かべた。眩しさを感じさせるほどの美しさで、テッサが立つ場所だけ色鮮やかに見えた。
「五百四年前、九代目の魔女王は、それまで各地を転々としていた先祖とは異なり、この地に居を構えました。九代目魔女王は初代メルクオール国王の后でもあり、晩年、政界から引退した初代国王とともに、ここで余生を過ごしたとされています。その後、十三代目の魔女王が城の老朽化を――――」
「あー、テッサ、歴史の勉強は後でもよかろう。長旅で疲れておるでな、先に城へ案内してくれんか? それにテッサが全て説明してしまっては、ヴィオ様の役目がなくなってしまうぞ?」
目をキラキラさせて説明していたテッサに、イムがあれこれと理由をつけて止める。テッサは説明したりない―――しかしイムの言うことも最もだという葛藤が入り混じった表情を浮かべ、やがて残念そうに城へ向けて歩きだした。
フィーナとしては遥か昔の歴史に興味を引かれたが、あのまま聞き続ければ日が暮れてしまいそうな気がしたので、黙ってテッサの後に続くことにした。イムが咄嗟に止めに入ったのも、テッサが話し出すと止まらないのを知っていたからだろう。フィーナはふと小学生の時の「校長先生のお話し」を思い出し、吹き出しそうになるを堪えた。
城は王都にあるメルクオール城と同程度の大きさがあり、造りもメルクオール城に似た部分が多くあった。メルクオール城は幾度も改修や修繕が繰り返され、少しアンバランスな様相を呈していた。それに比べて、ヴァイオレット城は今にも朽ち果てそうな儚さを感じさせるも、何故か崩れることはないと確信させるような不思議な強固さがあり、歴史と芸術をともに実現させた、風光明媚な城だった。
美しい城を前に立ち止まり、フィーナが感嘆の溜め息をついていると、テッサが説明したそうにモジモジとし始めたので、フィーナは城へ向かう歩を速めた。説明する機会を失ったテッサは、見るからに落胆していた。
「久しぶりじゃのう。テッサも相変わらずじゃし、ヴィオ様も変わっておらんかものう」
「あれから背が伸びましたよ。それにニンジンも食べられるようになりました」
「ふふ……細かく刻んでも吐き出しておったヴィオ様がのう……会うのが楽しみになったわい」
イムとテッサはよく知った間柄のようで、昔話に花を咲かせていた。イムにそっちのけにされたポリンとローリィは下唇を突き出し、「とんでもない所に連れてこられた」と不満顔を浮かべていた。
城へは通用門から入るらしく、城門は永らく開かれていないのか、蔓植物が門を覆うように繁っていた。
城内部は思ったより綺麗で、清潔だった。ただ人の気配が全くせず、イムとテッサの和やかな話し声と、デイジーのまるで上達しない鼻歌だけが響いていた。
長い廊下には歴代の魔女王と思われる肖像画が飾ってあり、一番端に、フィーナが見たときよりも幼いヴィオが描かれていた。つんとした生意気そうなヴィオに、フィーナは思わず苦笑した。
歩いていると、デイジーの鼻歌が唐突に止み、どうしたのかと振り返る。
「どうしたの? 先行くよ?」
「あ、うん」
デイジーは肖像画から目を離し、難しい顔をした。デイジーの鼻歌は、ヴィオの部屋につくまで再び響くことは無かった。
「ヴィオ、入りますよ」
ヴィオの返事もなしに、テッサが扉を開ける。
「よう来たの。イム、久しぶりじゃの」
「お久しぶりです。ヴィオ様」
どうやら、この部屋はリビングとして使っているらしく、レンツにおけるフィーナの実家のような居住空間が広がっていた。
魔女王と言っても、意外に庶民的な暮らしをしているんだな、とフィーナは辺りを見回しながら思った。
「お主達も入り口でぼうっと立ってないで、こっちに座りなされ」
フィーナ達はフカフカのソファに思い思いに座った。
「ん? 見慣れん者がおるが……」
ヴィオに紫色の瞳を向けられたポリンとローリィは、ビクッと背筋を伸ばした。
「二人はメインエーキで有望視されている者達です。ヴィオ様を師事するにはまだ早いので、今回は勉強だけさせにきました」
「ふむ。勉強ならテッサに任せればよいな。妾はフィーナ達の相手で忙しい故」
「お任せください、ヴィオ! 早速お勉強致しましょう! まずは歴代の魔女王の功績から始めますよ!」
ポリンとローリィは泣きそうな顔をしつつ、テッサに手を引かれて部屋を後にした。イムは苦笑いしながら部屋を出て、フィーナ達だけが残された。
「ヴィオ……様」
「ん? 確かデイジーじゃったか。なんじゃ?」
「ヴィオ様は……アルテミシアなの……?」
フィーナとイーナは首を傾げた。アルテミシアは英雄譚などで登場する、架空の人物のはずだ。絵画などは残されているが、それも伝え聞いた話を絵に起こした物で、実際の年代から数百年も後になって描かれたものだ。
救世のアルテミシアが活躍したとされるのはメルクオールが建国される五百年前よりもっと前、およそ八百年前だとされている。
いくら英雄と言っても、八百年も生きられるはずがない。
フィーナは冗談かと思ったが、言った本人のデイジーは、真剣な表情だった。
「如何にも、妾こそアルテミシアの名を冠する者じゃ」
「「え!?」」
フィーナとイーナは部屋中に響き渡るほどの声で驚愕し、デイジーは「やっぱり」と言う風に頷いた。
「正確にはアルテミシア二十五世じゃな。もっとも、その名で呼ぶ者は殆どおらんのじゃが。しかし、よく気づいたのう」
「廊下の肖像画にアルテミシアの絵があったから」
フィーナは気づかなかったが、数多に並んだ肖像画の中に、アルテミシアの自画像があったらしい。
ヘーゼルから貰った『終末の日』と題されるアルテミシアの絵画は、寮のデイジーの部屋に飾ってあるため、デイジーが気づくのは簡単だったのだろう。
「デイジーはアルテミシアに憧れてるからね……」
「そうなのかや?」
「アルテミシアに憧れて身体強化の魔法まで身につけてますから……」
「ほお……」
デイジーは気恥ずかしいのか、頬をポリポリと掻いた。
ヴィオはそんなデイジーに興味を引かれたのか、腕を組んで不敵に笑った。
「初代アルテミシアは九つの特殊魔法を操ったと言われておる。その一つが怪力、身体強化の魔法じゃな。他にも治癒、再生、召喚、魔眼、変身などがあるのう。初代アルテミシアは九人の仲間達にその力と【二つ名】分け与え、仲間と共に悪魔が蔓延る暗黒の時代を救ったというのが通説じゃ」
「す、凄い。九つなんて……」
イーナが唖然とした表情で驚きの言葉を漏らす。それもそのはずだ。特殊魔法はその性質上、死に直面した時、打開するために発現する。九つという数はそれだけアルテミシアが窮地に落ちた回数を物語っている。
ヴィオは素直に驚くフィーナ達に喜悦の笑みを浮かべるも、直ぐに表情に影を落とした。
「暗黒の時代が終焉し、人々は救われた。アルテミシアはその直後に亡くなったが、平穏な時代が訪れるはずじゃった。じゃが……愚かな人々はアルテミシアのような絶大な魔女の力を欲した。そこで起きたのが『魔女の大火刑』じゃ」
ヴィオの声のトーンが落ちる。
フィーナは前にデメトリアから聞いた話を思い出した。
かつて特殊魔法に目覚めさせるために、今は無き亡国は魔女達を火炙りにした。多くの魔女が火に焼かれ、灰となったが、特殊魔法に目覚めた魔女も少なからず存在した。その時目覚めた特殊魔法は大半が活性魔法と総称される、炎から逃れるための身体強化魔法や、復讐するための肉体変異魔法で、フィーナが使う治癒魔法も、その頃から代々受け継がれてきたものである。
輝かしい英雄譚の後日談は、とても悲しいものだった。
「『魔女の大火刑』によって親、姉妹、友人等を失った魔女達は、激しい憎しみと悲しみの元に一丸となり、国を滅ぼした。……皮肉なものじゃろう? 初代アルテミシアと仲間達が命を懸けて救った国と人々は、アルテミシアと同じ魔女に滅ぼされたのじゃ」
「……」
「無論、妾がここにおるように、アルテミシアにも子がいた。アルテミシアの子、後のアルテミシア二世は九人の仲間達とともに逃げ、隠れておったそうじゃ。『魔女の大火刑』を行った国は滅びたが、それ以外の国がアルテミシアの血を欲したのじゃな。九人の仲間達はアルテミシア二世を守る為に一人、二人と減っていき、アルテミシア二世が成人する頃には九人いた仲間達も、たった一人となっていたそうじゃ」
ヴィオはふう、と息を吐き、テッサが用意していたであろう紅茶を一口飲み、喉を潤した。
「恐るべきは人の欲深さよ。アルテミシア二世はその生涯の半分を追われる身として過ごしたそうじゃ。各地を転々とし、人目につかないよう不可視の魔法をかけて住処を隠したが、それでも一つのところに留まっていられたのは長くないとされておる」
「不可視の魔法って……まさか!」
「そう。現在魔女たちが住む『魔女村』、これらは全てアルテミシア二世の逃亡生活から生まれた副産物じゃ。長い時の中で、各地の不可視地域に魔女が住み着くようになったのは偶然ではなかったのかもしれんのう」
次々と語られるアルテミシアの史実は、魔女と密接に関わっており、フィーナは頭がくらくらとするほど混乱した。自分たちの生活の場が、そんな凄惨な場所だったなんて知らなかったからだ。気持ちの整理が追いつかず、フィーナは少しでも落ち着こうと、用意された紅茶を一息で飲み干した。
「じゃがな、欲深い人間ほど愚かというものでな。アルテミシア二世を各国が狙ったために、今度は国同士で激しい戦争となったのじゃ。まあ、そのお陰でアルテミシア二世は平穏を手にするのじゃがな」
ヴィオは自嘲気味に笑い、また紅茶を一口飲んだ。紅茶を嗜むヴィオの顔には憂いと無情さが滲み出ていた。
「アルテミシア二世がこの世に絶望する事なく子孫を残したくれたお陰で、妾はここにおる。テッサも仲間の最後の一人の末裔として、妾に尽くしておるのじゃ。どうじゃ? デイジー、幻滅したであろう?」
デイジーは涙をこらえすぎて赤くなった目を擦り、ブンブンと首を振った。
ヴィオが自分の成り立ちを教えてくれた理由はわからないが、この大きな城を持て余すほど人が少ない理由はわかった気がした。
デイジーの様子を見たヴィオは嬉しそうに目を細めた。
「湿っぽい話をしてしまったのう。今度はフィーナ達の話を聞かせてくりゃれ」
フィーナはヴィオの重い話の後に、何を話そうかと苦慮しつつも、なるべく明るく話そうと、口火を切った。