閑話『ドナの願い』
私はドナ。歳は五十を越えたあたりでしょうか。私はあまり年齢に拘りがないため、覚えていません。デメトリアとスージーの同期なので、二人の年齢で自分の歳を推測しています。
私は周りから「恐い」「苦手」と思われることが多いです。私としても、非常に愛想が悪いと自覚しています。
しかし、昔はそうではありませんでした。今でこそ厳格な司書として周知されていますが、昔―――私が二十くらいの頃は、それはもう明るく快活で麗しい乙女だったのです。自分で麗しいなどと、驕り高ぶるのも甚だしいとは思いますけどね。
少し昔話をしましょう。
あれは私がまだ肌に張りのある十代の頃のことです。
私は村の魔術ギルドで学を収めた後、国内を旅していました。
当時、祖曽の期待を背負った若手魔女の筆頭として教育を受けた私は、国内でも優秀な魔女として名が通っておりました。
国内のあらゆる地を巡り、自慢の鞭さばきで多種多様な魔物を打ち倒し、富と名声を手にしました。あの頃の私は輝いていた、と今でも思います。
当時の王、現メルクオール国王の父君である先代メルクオール国王にもお会いしたことがあります。
まさに順風満帆な人生を送っていたと言っても過言ではないでしょう。
そんな人生に転機が訪れました。女ならば誰もが通る道というのでしょうか。私は恋をしたのです。
相手はなんの変哲も無いごく普通の村の青年でした。驕っていた私は些細なことで怪我をし、青年の手によって治療を受けたのです。
伸びすぎた鼻っ柱を折るように、青年は私を叱りました。それまで、畏れるようにしか見られなかった私としては、目も覚めるような出来事でした。
「名前を聞いてもいいかい?」
「ドナ……です」
手厚く看病してくれる青年に、男性と接する機会の乏しい私が恋に落ちるのは当然のことでした。名前を口にするだけでも頬が熱くなった事を、今でも覚えています。
私は治療を終えても、青年のいる村に留まり、淡い恋心に身を焦がされつつも、青年とともに過ごしました。
意中の相手である青年に振り向いてもらおうと、私はあらゆる努力をしました。
自分磨きに精を出し、青年のもとに積極的に通いつめ、年齢とともに備わってきた色香を振りまく。当時は盛りの付いた雌猫と、陰口を叩かれることもありました。
それも、青年を狙う女性が多かったためです。青年は誰にでも優しく、温厚で知的。村の医者代わりとして働いていた青年は、端正な顔立ちも相まって、多くの女性から好意を寄せられていました。
しかし、私はそんなライバル達を退け、青年と恋仲になる事ができました。
「一目惚れだった」
青年のその言葉を聞いたときは、嬉しさで涙が止まることはありませんでした。
それから青年と過ごした日々は輝かしく、幸せに満ちたものでした。いつまでもこの幸せが続けばいいのに、そう願っていました。
しかし私は魔女。産まれる子どもは必然的に女児で、魔力を持って産まれます。魔女が身籠れば、故郷であるレンツへと帰らなければなりません。
二年ほど青年と過ごした私は、自然と身籠りました。青年と離れるのは辛いものがありましたが、青年から「元気な子を産んでくれ」と言われ、私は帰郷する決心をしたのです。
しかし、レンツに戻り、待ち受けていたのは深い絶望でした。お腹の子が流れてしまったのです。私は枯れるまで泣きました。お腹の子が流れてしまったことを、青年に伝えるのが怖くて、青年のもとへ行く事さえできませんでした。
ふさぎ込んでしまった私に、二年の間で魔術ギルドのギルドマスターとなっていたデメトリアに、司書の役目を与えられました。
静かな図書室で過ごす日々は穏やかで、高く積み上げられた本を一冊一冊読むうちに、次第に傷ついた心が癒えていくように感じました。
それでも、鬱屈した気持ちは残り続け、誰に対しても無気力、無感情に接し、いつからか、私は「感情を忘れた魔女」として囁かれるようになりました。
そんな私をデメトリアやスージーだけは気遣ってくれました。ギルドの魔女からどんなに不満が出たとしても、デメトリアは私を図書室の司書から外すことはしませんでした。
司書の仕事をし、合間にたくさんの本を読み、膨大な知識を学び、ついに私は自身の気持ちに整理をつけることができました。その時、レンツに戻ってから既に十年の年月が過ぎていました。
ある日デメトリアが恋仲にあった青年に会ってみては、と言いました。会いたい気持ちは破裂しそうなほど膨らんでいましたが、それ以上に恐怖心の方が勝っていました。しかし、本当の意味で私を救うことができるのはあの青年だけ。私は意を決して、青年の村へと赴きました。
久しぶりに訪れた青年のいる村は懐かしく、楽しかった日々が想起されました。
私の目線の先にはあの頃から少し大人びた青年が、知らない女性と仲睦まじく過ごしていました。
私は青年に声をかけることもなく、レンツへと戻りました。レンツへと戻る間の記憶はほとんどありません。愛していた青年が、他の女性と添い遂げていた光景が脳裏に焼き付いて離れませんでした。
レンツに戻り、デメトリアとスージーに会って、ようやく私は泣きました。十年前に涙した時と変わらぬ量だった思います。デメトリアとスージーは、縋り付くようにして泣く私を優しく抱きしめ、慰めてくれました。
以来二十年、私は司書として長閑な日々を過ごしています。
このまま老い、朽ち果てるようにして死ぬのだろうと思っていたのですが、ある日、一人の見習い魔女が図書室を訪れたのです。
忌避されていた私に近づく見習い魔女なんて、そうはいません。長年、人との関わり合いを避けていた私は、久しぶりに会った子どもに「嫌われたらイヤだな」「泣かれたらどうしよう」などと、不安になっていました。
その見習い魔女はしばらく目当ての本を探しているようでしたが、見つからず、あろうことか私に聞いてきたのです。
「浴槽の研究をしていた魔女の本はありますか?」
「浴槽?」
この時、私は「ああ、やってしまった」と後悔しました。目の前の見習い魔女が怯えているように見えたからです。
私としては、珍しい本を欲しがるなと思い、聞き返しただけなのですが、こんな仏頂面で聞き返されれば、不機嫌になっていると思われてもしかたないでしょう。
私は弁明の意味も込めて、本を探し出しました。計三十年もここに入り浸っている私には、それほど苦労するものでもありませんでした。
「あの、お名前を教えてもらっていいですか?」
驚きました。名前を伺われたなんていつ以来でしょうか。思い出されるのは、青年と出会ったあの日、名を聞かれた優しい声。高ぶる気持ち。
「ドナ」
振り絞った声は少し震えていたと思います。それが長年の人付き合いの少なさ故なのか、愛しい青年の姿が思い起こされた故なのかわかりません。
「ドナさん、探している本が見つかりました! ありがとうございます!」
見習い魔女は嬉しそうに微笑んで感謝の言葉を述べました。
気づいたときには遅く、私は見習い魔女の頭を撫でていました。またやってしまったと後悔しましたが、目の前の見習い魔女は嬉しそうに笑ってくれました。
私の中に何か温かいものが流れ込むような、そんな感じがしました。
その後も見習い魔女、名をフィーナと言うのですが、度々図書室へと顔を出してくれました。
彼女はデメトリアやスージーが認めるほど優秀な魔女らしく、来る度に難しい本や資料を探していました。私は彼女の欲しがっている本を探し、時に他愛のない雑談をしました。
彼女は荒んだ私の心に涼やかな風を流し込んでくれました。
彼女と接しだしてから、険がとれたと言われ、他の魔女たちとも会話するようになりました。まだ人付き合いは苦手ではありますが、以前よりも毎日が楽しく感じています。
そして今、私には我が子のように可愛いアメラがいます。フィーナに似た顔立ちなので、ついつい頬が緩んでしまいます。
もし、お腹の子が流れなかったら、アメラに対してと同じく、砂糖菓子のように甘やかしていたでしょう。
自制しなければと思ってはいるのですが、アメラの可愛さには勝てません。これからもアメラとフィーナに対しては、砂糖菓子のように接してしまうでしょう。
願わくば、アメラとフィーナに、元気に育ってくれと、思うばかりです。
次回は本編!