129『襲来、そして撃沈』
「やーっと終わりましたわ」
「お疲れ様でした、お嬢様」
徹夜明けで辛い体を伸ばし、ふう、と息を吐く。目の下に隈を作り、肩を回すこの女性の名はキャスリーン。機関に所属し、フィーナに対して格別な愛を捧げる見習い魔女である。
キャスリーンに付き添う、どこか影の薄さを感じさせるのはサンディだ。
二人は残務処理のために徹夜で作業していた。
【友の湯】の帳面と睨み合い、大会の特需による収入を今後どう扱うかを考えたり、【リシアンサス】の改良部分を議論したり、現在研究中の内容を纏めたりと、それはもう大忙しだった。
キャスリーンが急いで用件を片付けているのには訳があった。
フィーナがもうすぐレンツへ帰郷するからである。
『フィーナさんが帰るのならばわたくしも帰らなくては』
キャスリーンは至極当然というように言い放った。フィーナ達と一緒に帰りたいがために、寝る間も惜しんで準備する、それがキャスリーンという女である。
それに付き合わされているサンディは、キャスリーン同様に目の下に隈を作っていたが、表情に不満の色は一切ない。忠実な臣とも呼べる姿がそこにはあった。
キャスリーンが片付けた最後の案件は『友の湯』関連の物。夜通しかかった案件ではあったが、朝日を迎えるとともに終わらせることができた。
営業開始の時間となり、前日の酔い醒ましにと多くの客が訪れる。キャスリーンは一番風呂に入りたいのを我慢しつつ、【友の湯】を出た。今は寮に戻って眠ることを優先させたのだ。
「お、開いてるよ」
「朝方なのに結構人が多いわね」
「レンツの人達も誘ったほうが良かったかな?」
「バカポリン、あの子達にも用事があるに決まってるでしょ」
眠りかけたキャスリーンの脳みそが一気に覚醒する。レンツ、あの子達と聞いた時点で、キャスリーンの頭の中にはフィーナの姿が浮かんでいた。恐ろしいほどの推察力である。
「もし、そのレンツの方達がどこに行かれたかわかりますか?」
キャスリーンは鼻息荒く二人の魔女、ローリィとポリンに尋ねた。
「な、何よあんた………」
「教えてくれたら【友の湯】を無料でご案内しますわよ?」
キャスリーンが手を広げると、すかさずシンディから無料券が手渡される。キャスリーンはそれを二人に見せると、二人は目を丸くしてそれを見つめ、ゴクリと喉を鳴らした。
それもそのはず、無料券にはドリンクのサービスやらマッサージのサービスまで含まれていたからだ。前日に散財した二人にとっては魅力的なものだ。贅沢この上ないサービスが受けられると知り、二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
「やっぱり運が向いてきてるんだわ」
「何でも話しますので、ウチらにそれをください」
二人は無料券という飴にすっかり籠絡され、もともと軽い口をさらに軽くした。
キャスリーンは二人の話しを聞くと、すぐさま自分の専用馬車に乗り込んだ。
(フィーナさん達が向かった先は確か、郊外の別荘群がある所……別荘でも買ったのでしょうか)
キャスリーンには既にフィーナのことしか頭にない。レンツの人達とやらがフィーナ達のことだという証拠はなかったが、キャスリーンは第六感めいた嗅覚で、フィーナ達のことであると感づいていた。
「シンディ! フィーナさんの所へ急いでくださいまし!」
「畏まりました、お嬢様」
御者台に座るシンディが鞭を振り上げて馬の尻を打つ。閑静な一帯に特別騒がしい車輪の音がこだました。
「お嬢様、前方にフィーナ様達が見えました」
キャスリーンはその言葉を聞き、馬車が停止すると同時に外へ飛び出した。
視線の先には三人の魔女が仲良く歩いており、キャスリーンは自然と足速に歩を進めた。
「フィーナさーん!」
キャスリーンが呼びかけると、三人の魔女が振り向く。三人の魔女の内、イーナとデイジーは途轍もなく嫌な顔を浮かべていたが、キャスリーンの目には写らなかった。フィーナの姿をしたアメラに目を奪われ、盲目的になっていたからだ。
「あ、キ、キャシーおはよう」
「おはようございます、イーナさん」
イーナは酷く狼狽した様子で朝の挨拶を振り絞った。見る者が見れば怪訝に思う程に怪しい所作だったが、キャスリーンの目はアメラだけに向いていたのが幸いした。
「おはようございます、フィーナさん」
満面の笑みでこの出会いの喜びを心から表すキャスリーンに、アメラはニコリと微笑んだ。
「おはよ」
たった一言の短い挨拶だったが、キャスリーンの胸を撃ち抜くのは簡単だった。いつもなら無理やり浮かべた苦笑いを向けられているキャスリーンにとって、アメラの純真無垢な笑顔は破壊力抜群だった。
「うひっ……」
キャスリーンは奇妙な声を上げながら鼻を抑えた。久しく噴き出すことのなかった鼻血が、未体験の笑顔を向けられたことで噴出したのだ。
「だいじょーぶ?」
アメラはいきなり鼻血を出し始めたキャスリーンを心配し、持っていたハンカチを差し出した。
キャスリーンはそれを恐る恐る手にし、鼻に当てると、今度は白目を剥いて失神した。
倒れるキャスリーンをシンディが素早く担ぎ、イーナ達に礼をして、そそくさと馬車の元へ戻った。その間、キャスリーンはうわ言のように「フィーナさんの匂い…」と口にしていた。
――――「ふぅ……危なかったー」
「ヒヤッとしたねー」
「アメラのお陰でなんとかなったよ」
イーナは冷や汗を拭い、大きく息を吐いた。普段些細なことでは動じないデイジーでさえも、この時ばかりは胸を撫で下ろしていた。
キャスリーンには後々、アメラがレンツへと移ってから説明することになるだろう。だが、今は万全を期すために明かすことは出来ない。
それにしても、とイーナは考える。アメラに笑顔を向けられ、心配されただけで失神するなんて、普段フィーナはキャスリーンにどのような目を向けているのか。
氷のように冷たすぎる目を向けられているであろうキャスリーンに、イーナは少しばかり同情した。