128『世界で一番の姉』
「どうしたの? デイジー、そんなにニヤニヤして」
「……! 何でもないよ! アメラ、行こー!」
そそくさとアメラの手を引き、弾むように朝焼けの道を歩き出すデイジーに、イーナは腰に手を当て「もうっ」と頬を膨らませた。
勝手な行動は謹んでもらいたいと思うイーナだが、デイジーに手を引かれ、小走りになるアメラを見て、小言は鳴りを潜めた。
二人が揃って笑顔で道を行く様はレンツでよく見た光景で、今はもう見ることができない懐かしき光景だった。
デイジーが違和感を感じていたように、イーナも早くから違和感を感じていた。
寧ろ、イーナは姉という立場にいるためか、妹が別人になったとさえ感じていたのだ。
当然、イーナは心中穏やかではいられない。レーナが目を覚ました後、レリエートとの一件でゴタゴタしていたが、イーナはフィーナに何が起きたのか聞かずにはいられなかった。
当時、問いかけたイーナに対して、レーナは苦い表情をつくった。
レーナは絶対に他言しないことを条件に、フィーナに施した儀式めいた魔法を教えた。長年祖曽が秘匿していた禁術である。レーナはその全容を理解している訳ではなかったが、現象や状況から推察することはできた。推察ではあったが、暴論ではなく的を射た理論だった。
『フィーナの中には別の魂が入っている』
レーナからそんな言葉を聞いたイーナは暗闇に突き落とされるような絶望感を味わった。レーナの言葉の意味、それはフィーナという個人は死に、別の人格が備わっていることを意味していた。
病に苦しむ変わり果てたフィーナに対し、なすすべの無いイーナは恐怖し、半ば逃げるようにフィーナの元を離れたときのことは忘れようもない。
しかし、フィーナはそんなイーナを許し、慰めた。自慢で尊敬できる姉だと言い、イーナは感じていた罪悪感から解放され、滂沱の涙を流した。
その時は救われたように思えたイーナだったが、それ自体フィーナとは違う人格に言われたのかと思うと、さぞ滑稽で無様だっただろうと、イーナは自嘲した。やり場のない怒りを感じていたイーナはフィーナに対して詰め寄ろうとも考えていた。
それをさせなかったのはレーナだった。詰め寄ろうと考えていたイーナを諭し、自身の胸中を語った。
フィーナが別人格を持っていたとしても、レーナは生きているだけで嬉しいとまで言ってのけた。フィーナが死の瀬戸際にいるとき、レーナは徐々に小さくなっていく娘の鼓動に絶望と焦りを感じていた。フィーナの血の気は薄く、もうダメかと、何もかも投げやりになってしまいそうになったとき、禁術は行われた。
禁術後のフィーナはまだ安心できる状態にはなかった。だが、治癒魔法をかけ続けていると、徐々に呼吸を取り戻し、心の鼓動が強くなっていった。
フィーナがようやく安定した呼吸をするようになった頃、レーナは深い安堵とともに意識を手放した。極限まで魔力を絞り尽くしたレーナは、しばらくの間、目を覚ますことはなかったが、目覚めたとき、元気になった愛娘を見て、祖母に感謝するとともに歓喜の声を上げたのだった。
当時の思いをイーナにぶつけたレーナの目は視線を逸らしたくなるほど真っ直ぐで、力強かった。
イーナは初めて吐露された母の思いに狼狽した。
納得はできなくても、そこまで思う母のために、イーナは行動に移すことはできなかった。
イーナは胸の内で悶々とした気持ちを抱えたいた。時にはボロを出しそうなフィーナに対して露骨に訝しむ目線を送ったりした。怪しむイーナに、フィーナは穴だらけの言い訳を使い、いつもはぐらかしていた。
フィーナは懸命にはぐらかしていたが、どこか悲しそうな表情を浮かべてもいた。そんなフィーナを見て、イーナは段々と心を許し始めた。
悩んでいたイーナが『フィーナ』を妹と認めたきっかけは、リーレンとの戦闘後、サナと話していた時まで遡る。
フィーナはサナに対してお姉さんみたいだと言い、イーナは息が詰まるような感覚を覚えた。
確かにサナは包容力もあり、時には厳しい言葉をくれたり、手放しに褒めたりと、イーナたちの良き理解者であった。フィーナは半分冗談で言ったのだと理解はしていたが、イーナは“姉”という立場が足元から崩れるような気がして、酷く不安になった。
いつの間にか、イーナにとって、フィーナは大切な存在となっていた。イーナはもしかしたら姉の立場を無くすかもしれない、と思い始めたとき、ようやくフィーナが大切だと気づいたのである。
それだけに、フィーナの口から、他の人に向けて“姉”という言葉を言って欲しくなかった。たとえサナであろうと、傷つく心はイーナを苦しめた。
しかし、その後にフィーナは、イーナが世界一の姉ですけど、と自慢げに述べ、今度は胸の支えが取れたような気分になった。
自分の事のように誇らしげな顔をするフィーナはとても清々しく、かつてないほど愛らしく見えた。
フィーナが何を思い、周りに自身のことを話さないのかわからないが、出来るならフィーナが話してくれるまで待とうと、イーナは心に決めたのだった。
「ふぅ〜」
イーナはチラホラと道行く人が見え始めた王都郊外の道を、先を行くデイジーとアメラを見守るようにして歩く。
半ば振り回されるようにして手を引かれるアメラは、昔のフィーナにそっくりだ。
思わず涙腺が緩みそうになるが、大きく息を吸って堪える。
今のところ厄介な相手には会っていない。少々問題はありはしたが、なんとかフィーナとレーナの我儘なお願いを叶えてやれそうだ。
「ホントお姉ちゃんは大変だよ」
イーナは深く溜息をついた。少し離れた所で、デイジーとアメラがイーナに向かって大きく手を振っている。“世界一の姉”は小走りになって、手のかかる“妹達”の元へと向かう。
朝日は三人を迎えるようにして、温かい陽射しを送っていた。
次回はちゃんとストーリーを進ませます