120『魔法の使い方』
高台から眼下を見下ろすと、長方形のフィールドに大玉が鎮座していた。ここに人が複数いれば、サッカーの試合か、運動会で行われる大玉転がしに見えなくもない。
ただ、サッカーには欠かせないであろう箱型のゴールは無く、大玉は鉄製だ。紛れもなく、フィーナが知らない異世界ならではの競技だった。それに、フィールドには木々や水辺、砂地、岩山なども配してあり、ちょっとした箱庭となっていた。
長方形で例えるなら短辺部分に大玉を送り込めば、送り込んだ側に得点が入る。無論、相手側に位置する短辺部分にだ。
初戦の相手はトット村という、山間部にある超がつくほどの田舎村だ。レンツも大して人口を抱えているわけではないが、トット村はレンツよりもさらに人口が少なく、魔術ギルドさえないらしい。
しかし、フィーナは油断していない。何を隠そうトット村は、ノンノの出身村なのである。機関でフィーナが面接し、新種の魔物の発生原因を研究していると述べたノンノは、フィーナから即合格を貰うほど優秀だった。
トット村に、まだそういった埋もれた才能があるかもしれない、フィーナはそう予想していた。とは言え、こちらも準備には抜かりない。フィーナ達の魔法武具を始め、大型魔物討伐用のバリスタまで用意してあるのだ。これに魔法矢を充てがったら、さすがの大玉も壊れてしまうのではないか、とフィーナは思っていたが、運営委員は「壊せるものなら壊してみろ」と自信満々に言い放った。
そこまで言われてはと、フィーナはバリスタを使おうとイーナ達に提案したのだ。その時、フィーナの背に黒いオーラが漂っていたのを、イーナとデイジーは見ていた。「ああ、これは腹がたったんだな」と内心気付いてながらも、イーナとデイジーは口には出さなかった。
本来、攻城戦などに用いられるバリスタを、フィーナ達が持ち出してきた事に、流石の運営委員は青い顔をしたが、それは最初だけで、次第に「どうせはったりでしょ?」と疑惑の目を向けるようになっていた。それがフィーナのイライラを更に増長させたのは火を見るより明らかだった。
両陣営は大玉を挟み、睨み合う。が、フィーナだけは大玉に一点集中していた。
試合開始の合図が空に上がり、両陣営が一斉に魔法を放つ。
最初に大玉を動かしたのはレンツ側だった。トット側は、レンツの無詠唱による迅速さに泡を食らった形となった。
レンツ側で誰が初めに魔法を放ったかというと、開始前から一点集中していたフィーナである。
フィーナは大質量の土塊を、土魔法で操り、それを鎮座する大玉にぶつけた。土塊の中にはけして小さいとは言えない石も含まれており、人がそれを受ければ、あっという間に圧死するほど、という威力を誇っていた。
大玉は勢い良く、木々を薙ぎ倒しながらトット側へと転がり、トット側の魔女もそれを阻止せんと魔法を放ったが、開始前からイメージを事細かに反芻させたフィーナの魔法は、トット側の魔女の魔法をことごとく弾き飛ばした。
そして大玉がゴールラインを越え、レンツ側に一点が入ると、フィーナは不満げに舌打ちした。
「ちっ」
フィーナは今の一撃を、大玉を破壊する気持ちで撃った。しかし大玉は傷一つなく、鈍く黒い光沢を放っていた。
荒らされた地面を運営委員が急いで正し、再び中央に大玉が配置される。
「フィーナ、少し落ち着いて、魔力もたないよ」
「わかってる! でも、私はあれを壊したいんだよ!」
正確には、壊して、運営委員に対して鼻を伸ばしながら「あらら、壊れちゃいましたねぇ」などと言いたい、というのがフィーナの本音である。
「でもさ、大玉壊したら、壊した方の負けだよ?」
デイジーの衝撃的発言にフィーナの表情が凍りついた。
「嘘…でしょ…?」
「本当だよ。バリスタを持ち出し時に新しいルールを追加したみたい」
フィーナはイライラしていたので気づいていなかったが、運営委員は裏でこっそりルールを追加していた。
デイジーはトイレに行ったとき、それらしい事を話していた運営委員がいたのだ。
フィーナはがっくりと肩を落とした。
「くっ……口ではああ言っときながら、裏でこっそり準備してるなんて、王都の魔女はやり方が汚いよ!」
「フィーナがバリスタなんて持ち出すから……」
イーナは呆れつつも、魔法を準備していた。
イーナは魔力量が少ない。三人の中で最も少ない。それは【陣地争奪戦】で如実に現れ出ていた。イーナは自身の魔力量に対して卑下していた。そしてフィーナの魔力量を羨み、嫉妬したこともあった。
だが、今は違う。フィーナに魔力量が劣っていて、デイジーに魔法の瞬発力で負けていても、イーナは嘆くことはなかった。
そう考えを改めたのは機関の合同演習で、フィーナ、イーナ、デイジーが共に教官として参加したときのことだった。
機関には各村の優秀な魔女が集まっている。イーナは合同演習中に、そんな魔女達の潜在魔力量を目の当たりにし、珍しくフィーナに愚痴ったのだ。
『フィーナはいいよね。魔法をばんばん使えてさ。私なんか直ぐに魔力切れになるのに。どうして姉妹でこんなに差があるんだろ』
『何言ってるの? 姉さん、もしかして気付いてないの?』
イーナは首を傾げた。魔力量少ないことには気づいているが、どうやらそういう事ではないらしい。
『姉さんは私達の中で一番魔力の扱い方が上手いよ。調整が上手いっていうのかな。少ない魔力で最大限効果を出せるような魔法を、自分で使ってるよ?』
目から鱗が落ちる、そんな気分だった。イーナは、フィーナやデイジーに魔力量で劣っていて、足手まといにならないように、三人で活動する時はいつも残存魔力に注意を払っていた。いつの間にか、フィーナやデイジーが負傷した時に備え、再生魔法の余力を残しつつ、急場を凌ぐような魔法の扱い方を身につけていたのだった。
それは魔力量が少ないイーナならではの特性だった。この時から、イーナは自身の魔力量を正確に捉え、かつ最大限に効果を出せる魔法を、日々、機関の食堂厨房という場所で研究してきたのだった。
機関に所属する魔女達の腹を満たす料理の中で、イーナは自身にとって効果的な魔法をいくつも見つけた。それがイーナの自信へと繋がった。
【陣地争奪戦】では、そんなイーナを上回る扱いをする老魔女と対し、イーナは今よりさらに上があるのかと、刮目した。そして、老魔女の「魔法は環境因子に影響される」という言葉に酷く好奇心をくすぐられたのだ。
そんなイーナの変化は、この試合で如実に現れることになる。
開始直後のレンツ側による速攻で、トット側は失点を許すこととなったが、大玉が再配置され、試合が再開されると、今度は開始直後とはうって変わって、レンツ側とトット側、両陣営による魔法が激しくぶつかり合うこととなった。
トット側は最初の失点を省みて、試合再開前に、予め魔法を詠唱していたようだった。
対するレンツは相乗効果を狙った風と水魔法により、大玉を転がそうとしている。
しかし、大玉はレンツへと転がり始めた。それでもイーナは慌てない。
いくらフィーナの魔力量が多いと言っても、それは平均より少し上という程度である。対してトット側は全員成人魔女である。魔力量は身体の成長と共に増大するので、正面からぶつかった場合、フィーナ以上の魔力量を誇るトット側が優勢となるのは自明の理であった。
大玉がレンツ側へと転がり、誰もがトット側に点が入るだろうと思ったときだった。
「任せて」
イーナが準備していた魔法をようやく放つ。
イーナの魔法が放たれると、大玉はピタリと動きを止め、微動だにしなくなった。
トット側の魔女達が困惑し、次々と魔法を大玉に当てていくが、それでも大玉は動かない。
イーナは大玉の進行方向に小山を作り出していた。よく見ないと判断つかないような小山は、ただそこにあるだけで大玉の移動を妨げていた。
イーナの作り出した小山は、フィーナが大規模な土魔法を使ったことによって抉られた、柔らかい土を使っている。その為、いくら大玉を魔法で押したとしても、土に埋まるだけで山を登っていかないのだ。
トット側が土魔法を使い、小山を崩すせば、この妨げは突破できた。しかし、トット側は大玉を動かそうと躍起になったのか、大魔法をぶつけ始めた。土、風、水の柱が束になって大玉を押し、そこでようやく大玉は山を登り始める。
それを見越したイーナはデイジーに合図し、バリスタを引かせる。
すかさずフィーナが特大の氷の槍を生成し、バリスタへと番える。
イーナは準備が終わったことを確認すると、大玉へと狙いを済まし、のろのろと山を登ってくる大玉に向けて発射した。
蒼い線を描き氷の槍が大玉へと迫り、炸裂した。
大玉が浮き上がるほどしたたかに打ち付けられた氷の槍は、木っ端微塵に砕け散ったが、果たした役割は想像以上に大きかった。
浮き上がった大玉はトット側の魔法から逃れ、高く飛んだ後、鐘つきの音を鳴らしながら二、三跳ね、トット側のゴールラインを割った。
観客が騒然となる中、ペントの甲高い実況が木霊する。
『なんという威力でしょうか! あの巨大な大玉を跳ね上げさせて、一点を追加しました!』
そんな中、フィーナはイーナの魔法の扱いに舌を巻いていた。
フィーナはこの競技を、“魔法で大玉を押し合う競技”だと思っていた。しかしイーナは、目線を変えた攻略をしてみせた。さらに扱った魔法は山を築くというだけの省エネっぷり。魔力は大して使っていないが、フィーナが抉った柔らかい土を選別する精神力は凄まじい。
フィーナがつい手を叩いて称賛すると、イーナは恥ずかしそうに笑った。
『凄いですね〜。しかし、まだ終わってはいません! 再び、大玉が中央に配置され――――、てあれ? なんだか、様子がおかしいですね』
フィーナが背伸びして大玉付近を見ると、なにやら運営委員が頭を抱えていた。
『えーと、どうしたんでしょうか? あ、あーー! お、大玉が、へこんでいます! 遠くからでも判断できます! レンツの強烈な一撃により、大玉が見事に陥没! 規定によってトット村の勝利です!』
「あちゃ〜、やっちゃったね」
デイジーが大して深刻な素振りもせずに呟く。
「ちょっと脆すぎるんじゃない? 抗議してみる?」
「やめてよフィーナ………」
指示を出したのはイーナなので、責任は当然イーナにある。
イーナは肩を落とし、溜息をついた。
客席では、劇的なゴールを見せたレンツがまさかの反則負けという珍事に、ブーイングが巻き起こっていた。
トット側も、予期せぬ勝利に呆気にとられ、喜べないでいた。
だが、フィーナだけは、ニヤニヤと頭を抱える運営委員を遠巻きに見つめていた。
その後、【魔操球】の試合には新たに“バリスタ等の攻城兵器の使用を禁止する”といったルールが追加されることになる。