113『変換の儀』
「次ーレンツチームの方〜」
運営委員が事務的に声をかける。フィーナは遂にきてしまったか、と重い腰を上げる。
召喚戦の決勝が終わった後、フィーナ達は盛大な歓声と拍手の中、会場を後にした。
そして、召喚戦が終われば、待っているのは使い魔の変換である。召喚された使い魔は、役目を終え、魔力へと変換される。今回使った魔法陣は、規模が大きく、召喚された使い魔も強力な個体が多いため、安全の為にとそのような措置が取られていた。
しかし、これに異を唱えずにはいられない人物は少なからずいる。短い時間といえど、自分達が呼び出した使い魔である。使い魔につぶらな瞳で別れを惜しまれると、大抵の場合、愛着が湧いてしまい、変換したくなくなるのだ。
返還ではなく、変換という言葉を使われているとおり、古来より使い魔は魔女にとって道具として扱われていた。だが、それは昔の話で、現在はペットよりもさらに上位の存在、所謂、家族として捉えられてきている。
いざとなったら変換を拒む魔女も多く、この変換の儀は、牛歩めいていて、まるで進まなかった。が、ようやくフィーナたちの番が来たようである。泣きじゃくる魔女を、目の端に涙を浮かべながら慰めている運営委員の姿がある。
運営委員も魔女である為、気持ちは痛いほどわかるのだろう。
フィーナは隣のレーナを見て、深いため息をついた。レーナはこの世の終わりを見てきたかのような、深い絶望の顔をしていた。月曜日の朝の、ブラック企業に務める社畜の方がまだいい顔をしている。
フィーナとしても、アメラを変換する事に何も感じていないわけではない。それなりに心を痛めてはいるが、こればかりは仕方ないと思っているのだ。
アメラは誰が見ても強大な力を持っている。それが、一つの魔女村に収まるものではないことも、フィーナは気づいていた。持て余す力を手にすれば、自身は増長し、他者は恐れるだろう。アメラを連れていきたいのは山々だが、そう出来ないのは、アメラが何らかのトラブルに巻き込まれる可能性が高いからである。
フィーナ、そしてドナはその事に早くから気づいており、心の準備をしていた。
しかし、レーナは違ったようだ。レーナは念願のドラゴンと会し、言葉を交わせたことで舞い上がっていた。いや、レーナも内心は気づいていたのかもしれないが、敢えてそのことを考えないように、無理やり気持ちを昂ぶらせていたのかもしれない。
とは言え、アメラと一緒にいられるのもあと少しである。レーナには、変換が始まるまでに、決意してもらわなければならない。
変換の儀が行われる部屋は、急ごしらえで作った割には立派で、神秘的な雰囲気を漂わせていた。中では悲痛な面持ちの運営委員が、胃のあたりを押さえながら待っていた。たくさんの別れのシーンを見せられ、運営委員のハートもぼろぼろだろう。
変換の儀は特に難しいことを必要としない。召喚者の血を魔法陣に垂らし、魔力への変換の意を唱えるだけだ。
アメラは既に覚悟を決めているようで、悠然とした態度で魔法陣の上に座っている。巨大アルマジロから受けた傷は、フィーナとレーナによって既に治癒されている。
アメラと目があったが、アメラは納得していると言いたげに、瞳を閉じた。精神力の強いドラゴンである。もっとも、この精神力の強さもレーナが“設定”したものだが。
「…………待って」
レーナが掠れた声を絞り出した。フィーナとドナは変換の儀の準備を止める。
「最期に……最期にお別れだけさせて……私達だけで」
運営委員に対して、暗に出ていってほしいと不躾な頼みをしたレーナだったが、運営委員も感じるところがあるのか、素直に出ていってくれた。
「フィーナ、ドナ」
レーナの棘が入った声が、儀式の間に響き渡る。覚悟を決めた、そんな気を思わせる鋭い口調だった。
「私、決めたわ。アメラを連れて帰る」
「ちょっと! 母さん!?」
フィーナ、ドナ、そしてアメラまでもが、レーナの言葉に驚く。いくらなんでも無理がある。最悪、国家反逆罪で処刑コースである。
「母さん、いくらなんでもマズイよ…」
「わかってるわ……でも、アメラを手放すことなんて出来ないわ。フィーナもドナも、アメラを気に入ってるでしょう?」
フィーナとドナはその言葉に対して、口をつぐむことしか出来なかった。気持ちはわかる。だが、大会の決定は王都魔術ギルド、ひいては国王の決定でもある。いくらフィーナが国王と知己の仲と言っても、身分も立場も違う。フィーナ達を例外として見なせば、多くの魔女からの反発を招くだろう。あの国王なら、そんな拙い状況になるくらいなら、フィーナ達の首を切る事を厭わないだろう。
「大丈夫、手は考えてあるわ」
レーナはフィーナの考えを察したように言い放った。レーナの表情は悪代官もびっくりの極悪顔である。自身の娘と、目上の立場にあるドナに対して、大犯罪へと誘おうとするとは、レーナも相当にイッてしまっている。
「聞かせて」
フィーナは驚いてドナを見る。いつも通りの無表情だが、ドナの目は異様なまでに力強い。レーナの言う“手”の出来次第では、力を貸すと言わんばかりだ。
「アメラを召喚する上で決めた項目、その八十七――――」
「あ―――」
フィーナは考えてしまった。レーナが言うように、本当にアメラを連れて帰ることができるかもしれないと。
“其の八十七、かのドラゴン、時に少女となりて、人の和に溶け込む事を可能とす”
フィーナとしては、気分を盛り上げるための、フレーバー要素でしかないと思っていたが、レーナはそこに活路を見出したのだ。
「でも、どうやって? アメラは――――できなそうだけど」
フィーナは確認をとるようにアメラを見たが、アメラは首を振っただけだった。
「アメラの保有魔力が少ないのよ。召喚者である私達が魔力を分け与えてやれば、可能なはずよ」
レーナはそう言いながら、アメラに近寄った。そして、座っているアメラの頭に手を置き、目を閉じた。魔力を送っているのだろうか。
「くっ……人化はかなり魔力を喰うのね……私一人じゃ、とてもじゃないけど足りないわ。二人とも、どうする?」
レーナは魔力を送りながら振り返った。フィーナ達に選択を迫る口ぶりだが、表情からは懇願の意を読み取れた。
カツン―――
石畳の変換の間に、足音が響いた。踏み出したのはドナである。軽い足音を響かせながら、ドナはゆっくりと進み出た。そして、レーナと同じように、アメラの頭に手を当て、目を閉じた。
「フィーナ、あなたはどうする? ドナが加わっても、まだ足りないわ。フィーナが加われば、ギリギリで足りると思う」
フィーナは頭を抱えた。論理的に考えれば、いや考えずとも、犯罪であるレーナの所業に手を貸すことは出来ない。が、感情的にはアメラを連れて帰りたい方に傾いている。
程なくして、フィーナは歩み出た。決め手はアメラが希望の篭った瞳をフィーナに向けていたからである。
「よし、いくわよ。アメラ、どんな少女になりたいのか、よくイメージするのよ。フィーナを参考にしてもいいわ」
「ちょっと、母さん!」
「グオオオオ!」
フィーナの制止も虚しく、アメラは人化を始めた。アメラの体がみるみる縮み、鱗が無くなり、白い肌が現れる。大きく裂けた口は小ぶりで柔らかそうな人の口に変わり、剣山のように尖った牙は、少し長い犬歯程に小さくなった。剃刀のように鋭かった目も、クリクリとした愛らしいものとなり、小さな鼻は慎ましく少女らしい。髪はフィーナと同じく茶色だが、メッシュを入れるように、アメジスト色の髪が混じりこんでいる、サラサラと流れるような長髪だ。
背丈はフィーナより小さく、デイジーより少し大きいといったくらいだろうか。なんにせよ、本当に人に変化してしまった。しかも、フィーナによく似ている。妹と言っても疑われないかもしれない。
「……成功よ。おかえり、アメラ」
「あ……あ」
「まだ上手く話せないようね。……フィーナ、ローブを貸してあげなさい」
アメラは裸体を晒している。ドラゴンの時は何も着ていないのだから当然だ。
フィーナはローブと帽子を貸してやった。靴は無いが、ドラゴンなら我慢できるだろう。それとも、人化している時は、能力も人間レベルになるのだろうか。そうだとすると、裸足は辛いかもしれないが、今は我慢してもらう他ない。
「母さん、さっき出て行った運営委員はどうするの? もうすぐ戻ってくるでしょ?」
「これを使うわ」
レーナが懐から取り出したのは粉らしきものが入った瓶だった。キラキラとした粉はどこか見覚えのあるものだった。
「まさかそれって……」
「護身用に持っておいて良かったわ」
レーナが護身用と言い張る粉は、紛れもなく【サイケデリックバタフライ】の鱗粉だった。レーナはその鱗粉を少量ハンカチに取った。あれを吸わされる運営委員の魔女は気の毒である。
運営委員に鱗粉を吸わせて昏倒させ、後は悲痛な面持ちで変換の間を出ればいい。運営委員は心労により倒れた事にし、騷ぎになると同時にドサクサに紛れて脱出を図る。
正直、かなり穴だらけな計画だったが、意外にも滞りなく事は運んだ。
果たして、フィーナ達はアメラを連れ出すことに成功した。