110『祝勝パーティー』
「まさかあの中を突っ切って来るなんてね。やるじゃないフィーナ」
「ワタシびっくりしましたよ〜」
王都全体から祝福されるような歓声を受け、感動に浸っているフィーナに、レーナやリリィ、ドナが近寄ってきた。
【サイケデリック・バタフライ】の鱗粉の影響で、フィーナの頭は先程からくらくらとしているのだが、心は多幸感に満ち溢れていた。これも鱗粉の影響ではないと信じたい。
「……おめでと」
ドナが無表情で言い放つ。だが、その言葉には確かな温もりが含められていた。ドナはフィーナの頭を軽く撫でた。
フィーナが頭を撫でられて嬉しく感じていると、レーナやリリィまでフィーナを撫で始めた。リリィは時折フィーナの頬をぷにぷにと触るので、三回目くらいから噛み付いてやった。
『いやー手に汗握る展開でしたね! 解説のグリゼルダさん、かなり白熱した展開だと思いましたが、どうでしょう?』
『コースの形状を変えたり、雲の中に突っ込んだり……正直、反則スレスレさね。今回は初回だから多めに見てくれるだろうけどね。次回は真っ当に勝負してほしいね』
『厳しいお言葉ですが、気持ちはわかります! 私も大魔法が飛び交っていて、死人が出ないか不安でした! けど大丈夫そうだったので安心しました! 明日の魔女村対抗戦もこのまま、事故ゼロで行っていきたいですね!』
ペントはその後も簡単な連絡をしたり、お勧めの露店などを紹介していた。
フィーナは少しかすれてきたペントの声を聞きながら、ふわふわした気持ちでレンツの皆で集まって食事を取っていた。所謂、祝勝パーティーというものだ。
「デイジー、肉ばっかり食べてないで野菜も食べなよ」
「はいはい〜」
イーナがデイジーの皿に野菜を盛り付ける。
デイジーは生意気な顔を作りながら返事をし、牛肉の間に少量の野菜をはさみ、肉バーガーとして貪っていた。それを見て胸焼けしたのか、気持ち悪そうな顔をしているのはドナである。ドナはフィーナから胃薬を貰い、冷たい水と一緒に飲み込んだ。
「ありがと」
「どういたしまして。ドナさんって少食なんですか? デイジーの暴食を見て、食欲無くなりましたか?」
「………違う」
「体調不良とか?」
「……そんなとこ」
実に簡素な受け答えしかしてくれないドナだが、フィーナはゆっくりと粘りながら会話を続けた。
フィーナの献身的コミュニケーションによると、ドナは元々身体はあまり強くないらしい。今日の箒レースだって、無理をして出たらしい。ドナはいつも魔術ギルドの図書室にいたが、身体が弱いこともあって、居心地が良かったのだろう。思えば、ドナを図書室以外で見たことがなかった。
しかし、身体が弱いなどと言っておきながら、あの巧みなムチさばきである。フィーナにはどうしてもドナがか弱いご婦人とは思えなかった。
それに、今のドナはどちらかと言うと、人に酔ってるといった感じだ。このような集まりに呼ばれる事があまり無く、気疲れしたのだろう。
そう考えると、なんだかドナに申し訳なくなった。
「疲れていたら、無理せずに言ってくださいね。皆には私から伝えますから」
「! ……助かる」
程なくしてドナは宿に帰った。ドナの事をなんとなく知っている面々は、特に追求することもなく、そのまま姦しい談義を続けていた。
「ねえ、フィーナ知ってる? リリィったら、ここに来るまで何人にプロポーズされたと思う?」
「やめてくださいよ〜レーナ先輩〜」
「八人でしょ。私も横にいたんだから知ってるよ。それに母さんだって言い寄られてたよね? 年下の爽やか青年っぽい人に。私、妹が欲しいな。あ、魔女からは女の子しか産まれないんだっけ? なら自動的に妹が産まれるんだね」
「え!? 見てたの!? でも私はそんな気はないわよ!」
「あはは、冗談だよ」
「フィーナのこういう所、先輩にそっくりなの〜」
「リリィ……ちょっと話しがあるわ。いい感じの暗がりがあるわ。そこに行きましょ」
「な、なんですか〜。暗がりに連れ込んで何しようっていうんですか〜」
「ふふ……人体の融点、知りたくない?」
「ひっ!」
リリィは小さく息を吸うと、脱兎のごとく逃げ出した。レーナはその後を幽鬼のように歩いて追っていった。
なんだかんだいって、あの二人とサナを含めた間柄は相当仲が良い。いつもあんな感じで子供っぽい争いを始めるのだ。だいたいそれを取り持つのがサナと言ったところか。
レーナはあれでいて、意外に子供らしい一面があるのだ。トカゲの使い魔に炎龍を意味するサラマンダーと名付けたのも、そんな一面があるが故だ。
箒レースの後、フィーナ達は注目を集めたが、特にレーナは遠目からもよく見えるほど、はっきりとコースの形を変えたので、観衆の目にも派手に映ったようだった。どこかにシンパシーを感じたのか、レーナは一部の香ばしい人達から【黒い彗星】と呼ばれるようになっていた。
メルクオール国の魔女服が黒で良かったと、フィーナはこのとき初めて感じた。もし、魔女服が赤だったりしたら、有名なあの人物の異名になっていただろう。フィーナとしては、母親がその名で呼ばれるのは嫌だ。
レーナとリリィが追いかけっ子を始めて、どこかに行ってしまったので、仕方なくフィーナはキャスリーンと話すことにした。
キャスリーンの隣には、いつも通り影の薄いサンディと、大会後からレンツに移る予定のメイがいた。
キャスリーンは【王都郊外大衆浴場改名事件】から、フィーナへの接し方を改めたようだ。あの時、浴室の鏡に映る、自分の形相にひどくショックを受けたらしく、自粛しているのだという。これはサンディから教えてもらった。
今はメイもいるので、フィーナに首ったけ、とはならないようだが、メイと一緒にいることで、変な思考が芽生えないかと不安でもある。キャスリーンがメイに胸のうちを相談でもすれば、メイは勇ましく力を貸すだろう。メイは直情的で基本的におバカなのである。
どうせ「お姉さんに任せなさい」などと自信満々に言うのだろう。鼻高々にドヤ顔するメイが簡単に想起される。余計なお世話である。フィーナはこれからも適切な距離を保ちながらキャスリーンと接するつもりなのだ。
とは言え、キャスリーンが箒を改良してくれたおかげで優勝することが出来たので、お礼くらいは言いたい。
「キャシーのおかげで優勝できたよ。ありがとう」
一番の功労者であるキャスリーンに対して、酷く簡単なお礼の挨拶だが、キャスリーンにとっては恐悦至極と言っていいほど喜ばしいものらしい。現に、その言葉を聞いたキャスリーンはボロボロと涙をこぼしているのだから。
「うぅ……フィーナざん……おべでどうでずわぁ………」
「お嬢様、お鼻が垂れてますよ」
キャスリーンはサンディからハンカチを受け取って、鼻に当てた。サンディのハンカチがあっという間にキャスリーンの鼻水と涙に濡れ染まる。泣きじゃくるキャスリーンに対し、メイはよく分かってないかのように慰めていた。やはりおバカである。
「今日のレースで【リシアンサス】はボロボロになっちゃったから、キャシーには修理をお願いしたいんだけど」
ようやくキャスリーンが落ち着いてきたところを見計らって、フィーナがお願いをする。
「任せてくださいまし! フィーナさんの【キャット・ロール】がさらに栄えるよう、わたくしがきっちり修理しておきますわ!」
「ん? 【キャット・ロール】?」
初めて聞いた言葉だ。サンディが補足するように説明しくれた。
「フィーナさんがレース終盤で見せた、あのひねり込みのことです。今ではかなり広まっているそうですよ。ちなみに広めているのはグリゼルダさんらしいです」
あの箒屋のおばばであるグリゼルダは、フィーナが思いつきで行ったひねり込みを、勝手に名付けて広めているらしい。フィーナの【リシアンサス】の外装に施されているミミの刻印が、その名の決め手なのだろう。他にも、グリゼルダは技名らしいものを付け、箒レースの発展に尽力しているようだ。
平民や貴族、魔女を含めた一大ブームになりそうな予感がする。いや、寧ろもうなり始めている気がする。耳を澄ますと、他の席からの客から、やれ【キャット・ロール】や【リシアンサス】やらの単語が聞こえる。
「キャシー、リシアンサスの改良図案とか資料とか……売っておいたほうがいいよ」
「フィーナさんが言うならそう致しますわ」
キャスリーンは思考停止してにっこりと微笑んだ。全幅の信頼を寄せられるのはいいが、少し重い。声に出すとキャスリーンが泣き、メイがうるさそうなので、苦笑いで誤魔化す。
キャスリーンの箒改良の資料は、頼み込めば、機関から各村の魔術ギルドや王都魔術ギルド、グリゼルダの箒屋等に売られ、キャスリーンの名前が目立つことも無いだろう。それくらいの融通は、フィーナの立場を使えば容易なものなのである。国王から頂いた称号や爵位を少しちらつかせ、「大金が手に入るよ」と機関の執行部に言えばいいのだ。
後にこの箒レースは【リシアンサス杯】と呼ばれ、国民に愛される大会となる事を、フィーナはまだ知らない。