11『リリィの目的』
次の日、フィーナは目を覚ますと朝食を手早く済ませ、すぐに魔術ギルドに向かった。イーナはまだ寝ぼけていて、デイジーはお腹を出して夢の中だった。フィーナとイーナはアーニーおばさんの家に居候しているので、魔術ギルドには三人で行くつもりだったのだが、先日のハーブ達に探究心をくすぐられたフィーナは、二人を置いて、一人で魔術ギルドへと向かったのだった。
(分野長なら色んな薬草知ってそうだし、栽培とかも出来るかも!)
「分野長!!」
分野長部屋の扉を勢い良く開けて、フィーナが乗り込む。分野長のリリィは部屋にいるようで、書類の山の中で突っ伏して軽いいびきをかいていた。
「分野長! 起きてください! 私に薬草のこと教えてください! 若しくはそういった本を貸して下さい!」
フィーナの凄まじい剣幕に、リリィはびくんと身体を震わせて、目をこすりながら頭を上げた。
「ふぁ〜、なになに〜? 何なの〜?」
リリィは両腕をグイッと挙げて長い伸びをした。リリィはなかなかに整った身体をしているらしく、挙げていた両腕の力を抜いて降ろすと、かなり大きめな胸の膨らみが勢い良く揺れた。
フィーナはその脂肪の塊に軽く殺意を抱いたが、気を取り直し、リリィに向き直った。
垂れた目の下に薄く隈が出来ており、不健康そうな青白い肌で唇は薄紫色をしていた。髪は寝癖がついていたが綺麗な銀髪で、纏めていた赤いリボンが緩んで床に落ちた。まるで病人のようだったが、顔は整っていて、胸も大きい。健康状態を抜きにしたらハリウッド女優のように見えそうだ。歳はサナと同じく二十代半ばだろうが、不健康そうなリリィはサナよりも老けて見えた。
「ん〜? フィーナちゃん? レーナ先輩の娘さんだよね〜? 朝早いんだね〜、ワタシはまだ眠いよ〜」
リリィは机に突っ伏したかと思えば、すぐに寝息を立て始めた。
「リリィ分野長!! 寝ないでください!」
フィーナがリリィをガクガクと揺する。
「わわわ〜、脳みそとろけるからやめてぇ〜!」
フィーナが揺するのを止めると、リリィは頭を抱えながら溜息を吐いた。
「ふぅ〜、フィーナちゃん、結構鬼畜ね〜」
「分野長、薬草について、もっと広範囲で詳しく書かれた本はないんですか?」
「ん〜、難しいかなあ〜。昨日渡した本はワタシが一年目に書いた本なの〜。それに載ってない薬草はまだ研究されてないか、危険すぎて手が出せない薬草だったし〜。今もほとんど研究されてないし、本も書かれてないんじゃないかな〜」
「そんなぁ!」
フィーナはガックリと項垂れて肩を落とした。
「でもレーナ先輩は薬師をやってたし、研究資料として残っているかも〜」
「本当ですか!?」
フィーナが凄い剣幕でリリィに詰め寄る。
「ほ、ほんとよ〜。ん〜、多分、おそらくね〜」
リリィは凄い剣幕のフィーナに押されて、目を泳がせた。
(母さんなら絶対残してあるはず! 家をまるごとひっくり返してでも探さなきゃ! それにしても、まだ研究されてない薬草が沢山あるなんて、錬金術分野は何をしているの!?)
「分野長……」
「ん?」
「分野長は何の研究をしているんですか? たくさんの未研究な薬草があるにも関わらず、新人達に好きなようにさせて、勿体無いと思いますけど」
「う……」
「せめて分野長が今やっている研究を教えてください」
「ワタシは魔物の研究をしているの〜」
「魔物の研究?」
リリィはこくりと頷き、山のような書類から一束の資料を取り出して、フィーナに手渡した。
「魔物が野生動物の変異体である事は知ってるよね〜? ワタシはそんな魔物が元の野生動物に戻れるようにする研究をしてるの〜」
「そんなことが可能なんですか?」
「変異した身体を元に戻す事は出来たんだけど、攻撃的な性格が治らなくてね〜、最近停滞気味〜」
フィーナは手元の資料に目を通すと、確かに変異した動物の一部を元に戻すことに成功したと書かれていた。しかし、攻撃的な性格はいっこうに収まらず、むしろ動物に戻そうとすると、さらに攻撃的に反抗するようになったという。
「脳に魔分が浸透しすぎると馬鹿になるって昔から言ってたけど、これがそうなのかもね〜。でも諦められないし〜、諦めるつもりも無いんだよね〜」
フィーナは決意に満ちた目をしたリリィに少し惹かれるものがあった。
「どうしてそこまで魔物を動物に戻そうとしているんですか?」
リリィは微かに微笑んで俯いた。その顔には激しい後悔と苦痛が現れていた。
「ワタシの家はワタシが生まれた時から一緒に育った犬がいたの。ご飯も散歩もワタシが率先してやったの。ワタシに一番懐いたし、ワタシの一番の友達だった」
リリィは先ほどまでのような、ゆったりとした口調では無く、ハッキリとした口調で物語った。
「ワタシが八才の時だった。いつものように村の中を散歩していたの。たまたま村の外に美味しい花の蜜が溜まる花を見つけて、村の外に出たの」
リリィはぎりっと歯を食いしばり、手を握りしめた。青白い手がますます白くなった。
「犬を連れて花を摘みに行かなければよかった。その日は偶然そこの魔分が濃かったの。ワタシは始めて突然変異を目の前で見た。ワタシの一番の友達が魔物になっていく姿を!」
リリィは俯いて苦い顔をした。幼いリリィにとってその光景は激しいトラウマになっただろう。自らの過ちで親友だった飼い犬が魔物になって自分に襲いかかろうとしたのだ。
「レーナ先輩にはその時救われたの。ワタシは殺さないでって懇願するしか出来なかった。……変わり果てた友達がワタシのお腹を引き裂いた時、レーナ先輩は魔物の息の根を止めたわ。………レーナ先輩の治癒魔法と薬でなんとか助かったけど」
リリィはブラウスを捲りあげ、お腹を晒した。凄まじい裂傷の後が残っており、痛々しさを覚える。
「ワタシは償わくてはならないの。あの子の為にも。それがワタシの研究目的」
「すいません……そんな理由があったなんて知らなくて。好き勝手生意気なこと言ってしまって……」
「気にしなくていいの。……見習い魔女達に手が回らなかったのはホントだから」
「………」
フィーナは何も言うことが出来ず、二人の間に気不味い雰囲気が流れる。
「この事は内緒よ〜。誰にも言わないで欲しいの〜」
「………はい」
リリィはいつも通りのゆったりとした口調に戻っていた。フィーナはとても重い話を聞いてしまった事に少し後悔していた。
フィーナはリリィに挨拶した後、一度アーニーおばさんの家に戻った。イーナとデイジーは起きていたが、フィーナが勝手に魔術ギルドに行ったことに怒っていた。
「もう! 私達を置いて一人でギルドに行くなんて! って、フィーナどうしたの!?」
イーナはプリプリと怒っていたが、フィーナの浮かない顔を見て、すぐにフィーナの心配をした。
「うん……ちょっと早く起きすぎたみたい。ちょっと休むね」
「無理しないでね」
「………」
デイジーは訝しんでいたが、フィーナが話す気が全くないのを察すると、アーニーおばさんに頼んで温かいスープをフィーナに出した。
(この世界には私の知らない薬がある。母さんの研究資料を見つけて、私が引き継いでやる!)
フィーナはスープをゆっくりと飲み干し、イーナとデイジーにレーナの研究資料について話した。
「母さんの研究資料かあ。仕事場には入れなかったからね。多分仕事場にあると思う」
イーナは家のことならほとんどのことを知っている。そのイーナが知らないならば、それはイーナの立ち入らない場所に保管されているはずだ。
「私も探すの手伝うよ!」
「デイジーも!」
フィーナ達はレーナの研究資料を求めて、フィーナ達の家に向かった。