108『本戦』
レース本戦は予選を抜けた、実力者同士の闘いである。
参加するのはフィーナ達を含めて八人。レンツ出身以外は知らない顔である。しかし、各々村の代表に選ばれる実力者達なので、油断は禁物だ。
「私は娘が相手でも、手は抜かないわよ」
レーナがスタート地点で、横に並ぶフィーナに対して油断はないことを告げる。
「私だって、簡単には負けないよ。これでも、村を出てから頑張ってきたんだから」
「ふふ……楽しみね」
レーナは昂りを抑えられない、といった表情で呟いた。
つまらない物になるだろうと思っていた箒レースだが、本気を出すレーナの他にも、能力未知数のリリィやドナがいるのだ。情けない姿を見せるわけにもいかないので、フィーナとしても、ここは負けたくは無い。
予選とは違う緊張感に、フィーナは心臓が早打つのを感じた。
審判の合図が下り、横並びであったフィーナ達が一斉に飛び出す。
まず真っ先に飛び出したのは、加速力が自慢のデイジーである。風を切り裂く音を響かせながら、弾丸のように飛んでいる。
フィーナはデイジーの後ろにつく形をとった。デイジーを風除けに使い、魔力の温存を図るためである。
「ふっ!」
デイジーは「ついてこれるかな?」と言わんばかりに笑みを浮かべ、速度を上げていった。
直ぐにデイジーとフィーナは集団となっていた他の面々を抜き、突出した位置に出る。
これならデイジーとの一対一になりそうだと思い始めた瞬間、『リシアンサス』からガツンという音ともに、大きな振動がフィーナの手を伝った。
フィーナは音と振動が後部から来ているものだと判断し、振り返った。
「ワタシも混ぜてほしいかも〜」
フィーナの後方には、いつも通りおっとりとした表情のリリィがいた。しかし、そんな表情とは裏腹に、リリィはフィーナの『リシアンサス』に追突するような形で、ガンガンと迫っていた。
リリィによる追突攻撃で体勢を崩したフィーナは、勢い余ってデイジーにぶつかった。
「うわわ!」
「ひゃ!」
フィーナとデイジーが絡み合うようにして姿勢を崩した。その隙をついて、リリィ、レーナ、ドナの順で追い抜かれてしまった。大幅に遅れを取ることになってしまったフィーナとデイジーは、慌てて後を追う。
幸い、多少姿勢を崩しただけで、直ぐに復帰することはできたが、かなり距離を開けられてしまった。
現在はリリィが先頭で、そのすぐ後ろにレーナとドナが先を争うようにして飛んでいる。フィーナとデイジーの後ろには他の魔女も迫ってきていて、フィーナとデイジーに攻撃しようとしているのか、魔法を発動させようとしていた。
フィーナは即座にステッキを持ち、飛来する魔法の迎撃を準備する。
箒レースでは、追いかける方が有利とされている。前を行くものは、後ろからの魔法に対応しなければならず、前方不注意になりがちなのだ。追いかける方は前を向きながら攻撃できる為、集中して攻撃に専念できる。
飛んできた魔法は基礎的な魔法だったが、数が多く、息つく暇もない。追ってくる魔女達には詠唱しているような様子もないので、無詠唱で発動しているのだろう。連続で魔法を放っているところから、かなりの実力者であると、フィーナは再認識した。
フィーナは飛んでくる攻撃魔法を相殺させ、デイジーは体をひねって躱した。
半周ほどしたところで、攻撃魔法が散発的になった。残りの魔力と相談しているのだろう。フィーナはこの機を逃すまいと、リシアンサスに大きく魔力を込めた。『リシアンサス・キャット』の特性である小回りの良さを活かし、フィーナは雲すれすれを飛び、最短コースを抜ける。
雲に混じるサイケデリック・バタフライの鱗粉が、フィーナの眼下でキラキラと光を反射している。ここまで近くに寄ってしまうと、ちょっとした弾みで雲の中に入ってしまう。そうなれば、サイケデリック・バタフライの鱗粉がフィーナの体に入り込み、方向感覚を狂わせて、気がつけばコースの外を飛んでいました、という事になり兼ねない。
しかし、後方からの攻撃を躱し、かつレーナ達に追いつくには、如何に速くして、コースの最短距離を行く他ない。
デイジーはフィーナの様に小回りの効いた飛び方が出来ないので、妨害なぞ目に入らないかのように、ひたすら魔力をリシアンサスに込めていた。デイジーは迎撃や攻撃に使用する魔力を、全てリシアンサスの制御にだけ費やしたようだった。
デイジーは、空気に亀裂が入ったかのような、張り詰めた集中力を見せ、フィーナの先を飛んでいた。
レース序盤と同じ様に、デイジーの後ろにつくことも考えたが、また接触事故が起きてしまっては、取り返しのつかないことになりそうだ。
ゴールまで残り三分の一の距離となったところで、ようやくリリィ達の集団を捉えた。
リリィはいまだトップの座に君臨しており、レーナやドナが前に出ようとする度に、箒を寄せ、弾き飛ばすようにして阻止していた。
リリィの場合、攻撃は物理的に行い、迎撃は魔法を使っているようだ。リリィの専用スタイルなのだろうか、手慣れた感じが伝わってくる。
「やぁーー!」
デイジーが声をはり上げ、先頭集団に向かって猛追する。既にデイジーの残りの魔力量は枯れかかっている。額に玉のような汗を浮かべ、歯を食いしばりながら、なおも魔力を込めるデイジーは、まるで飢えた獣のようである。デイジーはかなりの負けず嫌いなのだ。
「はやかったね〜、でも、前には行かせないよ〜」
すかさずリリィがデイジーの行く手を阻む。リリィの箒は何度もぶつかったせいか、枝の繊維が剥き出しになっている。それでも、箒で飛ぶために必要な魔法陣は傷つけずにいるのだから、たまげたものである。
デイジーは速度を緩めることもせず、リリィに激突した。身体強化が出来るデイジーは大丈夫だろうが、リリィは生身である。激突の風圧がフィーナ達にも来るほどなのだが、あろうことか、リリィはピンピンしていた。
デイジーは魔力を使い果たしたのか、ぐったりとしながら、落下している。審判の魔女がデイジーの元へ向かっているのが見える。地面に激突する前に救助してくれるだろう。
デイジーの突撃を防いだ理由は、リリィの箒にあった。
リリィの箒は一見、普通の箒に見えるが、特殊な樹脂で表面を覆い、衝撃に強い形状をとっているのだ。しかし、デイジーの突撃もかなりの威力があったのか、表面の樹脂に亀裂が入っていることが確認できた。それでも箒は折れずに、その形を保っている。リリィもフィーナ達と同じく、箒を改良していたのだろう。
リリィの力の逃し方も絶妙だった。空中という事を考慮し、吹き飛ばされそうになる体を風魔法で支え、突っ込んでくるデイジーのベクトルを上向きにずらしたのだ。およそ錬金術分野とは思えぬ身のこなしである。魔法分野の魔女のように、戦闘に長けていなくては、ここまでの動きは出来ない。
「箒の上なら、先輩にも負けない自信があるよ〜」
「言うわね、【空中要塞】のリリィ」
「その呼び名はやめて下さい〜」
こうして先輩後輩がじゃれ合っている間にも、レースは続いている。レーナやリリィ、ドナといった面々にはまだ余裕があるように見える。しかし、【空中要塞】という呼び名は何なのだろうか。凄く気になる。後でレーナに教えてもらおう。男達のアイドルであるリリィが、そのような無骨な呼び名を与えられたきっかけを。
「うわ〜!」
レーナとリリィのじゃれ合いの隙を突いて、ドナが仕掛けた。ムチのような武器を取り出し、リリィの箒に絡めたのだ。ドナがぐんとそれを引くと、一気にリリィは減速し、突然のことに体勢を崩した。一瞬のことだったが、ドナに先頭を譲るには充分な猶予であった。
ドナの後ろにつこうとするレーナだったが、ムチによる牽制が苛烈で、思うように近づけない。
レンツでは物静かな図書室の史書であるドナが、今では巧みにムチを操る、猛獣使いのように見えた。こちらもかなり手慣れた様子だ。
「ドナさん…さすがね。でもこれなら!」
突如レーナから閃光が発せられ、フィーナの視界を白く染め上げる。フィーナも知っている閃光魔法だ。多少目が眩むが、どんな魔法か知っているので、直ぐに対処できた。ドナも同じようで、あまり効果があるように見えなかった。
しかし、その思いは一瞬で覆される。
フィーナ達の前方に、突如として白い壁が出現したのだ。