106『箒レース』
大会期間四日目、今日は魔術大会の一日目である。
狩猟大会の最終結果は大会最後の七日目に、魔術大会の結果と同時に発表されるらしい。国王としては、できるだけ観客を王都に留めておき、この大会特需で国を潤わせたいのだろう。
大会期間中は王都の税金が軽減されている。それが功を奏したのか、遥々遠方からやって来た、割りと裕福な観客は、これを機に、と王都で買い込みに走っていた。
さらに、今回狩猟大会で狩られた魔物は王国や魔術ギルドが買い取り、他国に売却するらしいということが囁かれている。その売却額は幾らになるのか、フィーナでも想像だに出来ない。なにしろ魔物一、二体どころの話ではないからだ。狩猟大会中に狩られた魔物は百をゆうに超える。魔物の素材は貴重で、単に強度が高いというだけでも、武器や建材に利用されるため、価値が高まる。
メルクオール王国は、これだけ大量の魔物を狩ることができる精強な兵士や冒険者を持っている、という事を他国に示し、そして商人が唸るほど綺麗に狩られた素材を、高く売りつけることができる。
その辺の外交は、フィーナには全く知識がない。あの狸国王なら、フィーナが腰を抜かすほどの金銭を払わせるのだろう。
それらによって、メルクオールの国庫は潤沢と言っていいほど潤うだろう。この国にとって資金は力だ。その使い方はどの国よりも秀でている。現に、その資金力で機関を設立し、戦力増強を図っている。
メルクオール王国はできるだけ戦争を避ける志向があるが、他国にとってはそんな事知ったことではない。幸い、レイマン王国以外の周辺国とは友好的な関係を気づけているため、レイマン王国に注力するだけで良いのだが、最悪背後から刺される可能性もある。
今回、狩猟大会と魔術大会は諸外国において、かなり大きなインパクトを与えただろう。
そんなことをフィーナが考えていると、昨日のように空に火球が上がるのが見えた。
四日目開始の合図である。四日目は前日と同じ場所での箒でのレース、五日目からは専用に特設されたコロシアムで行う事になっている。
しかし、その景色は前日とうって変わり、迫力を呈するものとなっていた。
まずコースである。箒でのレースというからには、空を飛んで、その速さや技術を競うしかない。そうなれば必然的にコースも重要になってくる。
しかし空中に木製のコースを張り巡らせるには、時間も労働力も足りない。そこで運営委員である王都魔術ギルドは妙案を出した。雲を利用するのである。
現在、王都付近の平原の空には、巨大な棒状の雲が二本漂っている。見た目はモーニング・グローリーを思い出す。出場する魔女は、この二本の雲の間から出ずに飛ばなければならない。
この二本の雲は、一見綺麗な二重丸を描いているように見えるが、その実はデコボコで、意外にも繊細な操作技術が要求される。
雲の内側に審判の魔女が配置され、雲を横切ってショートカット、などを出来ないようにされている。さらに雲には幻覚作用のある粉が散りばめられている。そう、サイケデリックバタフライの鱗粉である。少々危険なようだが、大量には含んでいないので、雲の中を長時間突っ切ることなどしない限り、本格的な幻覚作用は現れない。
せいぜい、方向感覚が狂うくらいのものだ。だがレースにおいて、それは致命的。そのため、多くの魔女は雲に近づきすぎないように飛行するであろう。
フィーナは上空から視線を移し、目の前の『リシアンサス』を見た。『リシアンサス』を囲むように、最終チェックを行っているのは、キャスリーンとサンディ、そしてキャスリーンの研究室にいた少人数の魔女達である。
キャスリーンは昨日の時点で、フィーナ達の応援をすると言って聞かなかった。貴族の厄介事の種であるキャスリーンには、出来れば機関の寮で大人しくして欲しかったのだが、あのキャスリーンが言うことを聞くはずもなく、フィーナ達は最終調整員として、観客ではなく裏方にキャスリーンを配した。
改良者のキャスリーン自らが手がけたことによって、『リシアンサス』は卸たての新品のような状態である。元々全く汚れてはいなかったのだが、現在は、日の光を反射するほどに磨き上げられている。
フィーナとしては、気分はF1のレーサーである。だが、そんな気分になるのもフィーナだけである。周りの魔女は至って普通の箒を手にしており、フィーナの乗る箒を、ある者は馬鹿にし、またある者は嘲笑めいた薄笑いを向けた。
だが、フィーナと所属を同じくする機関の魔女は、既にこの『リシアンサス』の性能を知っている。魔術ギルドも言わずもがなである。
そのため、フィーナに嘲りの感情以外を持つ魔女の多くは、期待と関心の目でフィーナの飛行を見るだろう。
『さぁ一組目がスタートしました! 各人、愛用の箒に乗って、一斉に大空を駆け巡っていきます!』
ペントの実況が、見える形で繰り広げられる空の戦いに、庶民から湧く歓声をかき消す。大会を実況するのも、今日で四日目に入ったのにも関わらず、ペントは未だ疲れを見せずに声を出し続けている。
よく喉が潰れないものだ、とフィーナは『一組目』の魔女たちの飛行をぼうっと眺めていた。
フィーナはこれから自分のレースが行われることに戸惑う事もなく、緊張することもなかった。理由は明白、『リシアンサス』の性能である。最早従来の箒を遥かに凌駕してしまった技術力で、フィーナは労せず勝ちを得ることができるだろう。
今回はイーナが出場せず、デイジーとフィーナだけの出場である。デメトリアはレンツから誰かを送ると手紙に書いていたが、まだ姿を見てはいない。今日、間に合おうが間に合うまいが、レンツの『誰か』が、この魔改造された箒に勝てる筈もない。フィーナとデイジーの一騎打ちの様相となるだろう。
だがそれではフィーナとしても面白くない。デイジーとは既に、何度も一緒に飛んだ仲である。本体に致死性の攻撃をしなければ魔法を使っていい、大会特別ルールだとしても、コースはカーブの続く円形だ。デイジーの強みは、直線を短時間で飛行する加速力である。今回のコースはオールラウンダーであるフィーナに分がありすぎる。
肝心な魔法の扱いも、デイジーはフィーナに及ばない。足止め、吹き飛ばし、目くらまし、気流操作、こういった妨害を得意とするのは、他ならぬ、フィーナである。
デイジーは謂わば猪突猛進、レースは早いものが勝つと思っているため、フィーナの対策を十二分に練っているとは言い難い。
だが、ここで思わぬ参加者に、フィーナは驚くことになる。
『第三組スタート! おおっと! 速い速い! 他の魔女の追随を許しません! あれは―――』
「母さん!?」
そこにはフィーナとイーナの母、レーナがいた。
レーナは家で埃をかぶっていた、フィーナが庭先を掃くことに使った箒に跨り、正に縦横無尽と言っていいほど雲の割れ目を飛んでいる。
他の魔女からの妨害を悉く弾き返し、フィーナにも出来ないようなアクロバティック飛行を見せている。観客は、まるで漆黒の怪鳥が飛び回るような様を見て、驚きと興奮の声を上げた。
程なくしてレーナはゴールする。もちろん一番にゴールし、今まで出ていた、どの魔女より速かったのは、誰が見ても明らかだった。
「母さん! 何してるの!?」
「フィーナ、久しぶりね。イーナにも会いたいわ」
レーナはフィーナをきつく抱きしめた。フィーナは懐かしい匂いに安堵感を覚えるも、今はそれどころではない。
「母さん、説明してよ。何でここにいるの?」
「何でって、当然、私がレンツの代表だからよ」
「えぇ〜……」
今大会において、各村が代表として送り出した数は、大抵四、五人である。レンツではフィーナ達三人と、デメトリアが送ってくる誰かのはずだったのだが、まさかレーナだとは思わなかった。レリエートに対する村の防備は大丈夫なのだろうか。
「村は大丈夫よ。森にさえ簡単には入ることも出来ないようにしてるわ」
森には新種の魔物を使った伝達網が張られ、異常や不審者があれば、直ぐに村へ報告されるようになっているらしい。村も宿場町も防備は厚く、レイマン王国との天然の防波堤となる【レンツ・ウォール】と、深い森、重要拠点となった村によって、レイマン王国との領界はとてつもなく堅固になったという。
これを裏で指示していたのはメルクオール王国である。国王は大会準備に忙しい中で、レンツの防備まで整えたのだった。まったく抜け目のない国王である。
「そういう訳だから、私以外の魔女も来てるわよ」
「お久しぶり〜」
「………どうも」
「リリィ分野長! ドナさん!」
リリィとドナは二人ともレンツの魔術ギルドに所属する魔女だ。
リリィは錬金術分野の分野長で、レーナの後輩である。フィーナ達にも色々と便宜を図ってくれて、助けられた覚えがある。その代わり山のように依頼を押し付けられたが。
ドナは魔術ギルドの図書室の管理を任されている司書である。無口な性格で、言葉少ない彼女は周囲に怖がられる事が多いが、フィーナだけは初対面の時から対話に成功し、彼女が本当は優しい性格なのだと確信した。
しかし、リリィもドナも、何故レンツの代表なのだろうか。リリィもドナも、謂わば非戦闘型の魔女だった。とても魔術大会で上位を目指せるとは思えなかった。
ともあれ、久々の面々に会えたことは、素直に嬉しい。自然と笑みが溢れてきて、ニヤケ顔が止まらない。
「そろそろワタシの番なの〜」
まったりとした口調でリリィがコースへ向かう。まだ挨拶も終わっていないが、レーナが圧勝したために順番が早く回ってきたようだ。
ちなみに、現在はデイジーが飛んでいる。デイジーは他の魔女たちを跳ね飛ばす勢いでゴールに向かっている。魔法ならば即失格となりそうだが、デイジーの跳ね飛ばしは、純粋な速度による体当たりである。ここで『リシアンサス』が初めて大衆の目に晒されたのだが、その反応はマチマチ。
荒々しい飛行は観衆の興味を引き、特に冒険者や騎士たちの関心を引いたようだ。
「あー! レーナおばさん! ドナさん!」
戻ってきたデイジーは目を見開いて駆け寄ってくる。驚いて状況がうまく掴めないといった表情だ。
「デイジー、久しぶり。元気にしてた? それがあなたの箒?」
「そうだよ! リシアンサス・ライオ! キャシーが作ったの!」
レーナとドナはデイジーの『リシアンサス』に興味津々のようだ。
ライオ、というのは個体名のようなもので、フィーナのは『リシアンサス・キャット』、イーナのものは『リシアンサス・フェアリー』である。当然フィーナの『リシアンサス』も注目を浴びる。
「キャスリーンも頑張ってるようね。マリエッタも元気かしら」
「ええ、お母様共々、毎日楽しくやっていますわ」
マリエッタは大会に来ていない。さすがに貴族の目が多くある大会には、姿を見せることは出来ないと判断したのだろう。
「ただいまなの〜」
リリィが戻ってきた。見ていなかったが、レーナやデイジーと同じくらい早く終わらせてきたみたいだ。次は第六組だが、この組にレンツのメンバーはいない。七組目にドナ、最後の八組目にフィーナである。
それが終われば、各組で一位だった魔女達による最速決定戦が行われる。
観衆は少ない額だが賭けに参加し、勝った場合、胴元である国からレートに準じた倍率の掛け金が戻ってくる。
ちなみに、このレートは一回戦のレースの状況や、これまでの実績、経験、人気などで変化する。当然一人に集中すればするほど倍率は低くなる。
その後、ドナは終始安定した飛行を見せ、危なげなく一位を勝ち取った。飛行パターンはイーナに似ていたが、イーナよりも更に安定しているように感じた。
そして満を持してフィーナの番がやってきた。
懐かしい面々が次々登場です。
フィーナは久しぶりにレンツの空気を感じて、嬉しくなってしまいます。