105『メイの相談事』
「そう、キャシーは機関に所属してるのね。優秀なのね」
「そんなことありませんわ。わたくしも最近は、メイさんのように、村でゆっくり発明や研究をするのも良いなと思っていますわ」
メイとキャシーは湯船に浸かりながら他愛のない話で盛り上がっていた。意外に二人は気が合うらしく、同じ魔道具分野に所属するという事もあって、直ぐに打ち解けたようだ。
「フィーナ、ごめんね? お風呂上がりの果実ジュース買ってあげるから、元気出して?」
「……」
「フィーナ、デイジーの分も……半分あげるよ」
「……」
イーナとデイジーは絶賛フィーナのご機嫌とりの真っ最中である。フィーナは信頼していたイーナとデイジーが助けてくれなかったことに、むくれた。しかも、この期に及んでデイジーは、果実ジュースの半分だけで済まそうとしている。いや、デイジーにとっては最大限の優しさなのだろうが。
「姿を変える魔法……本気で研究しようかなあ。姉さんやデイジーには、キャシーの恐さがわからないみたいだから……」
フィーナは生気の抜けた瞳で虚空を見つめつつ、恐ろしげな事を口走った。イーナとデイジーは、本気で恐ろしくなったのか、特製ハーブティーと最高級のお茶菓子をご馳走すると、フィーナを説得し始めた。
「フィーナさん、さっきは申し訳ありませんでしたわ。わたくし、つい取り乱してしまって……」
「ひぃ!」
「そんなに怯えなくてもいいじゃない。キャシーは本当にフィーナとお風呂に入りたかっただけみたいよ」
「はい、フィーナさんを恐がらせるつもりはありませんでしたわ」
必死に弁解するキャスリーンと、それを擁護するメイ。フィーナはこの二人に対抗する手段を持ち合わせていなかった。
フィーナはこの場から逃げ出したい一心で、人生最速を記録するであろう速さで、体を洗い、浴室を脱出した。
そして、これまた人生最速で着替え、皆が風呂から上がるのを待った。ゆっくり湯に浸かる事は出来ず、カラスの行水となってしまったが、メイが相談事をしたいと言っていたのを忘れたわけではないので、こうして待っているのである。
「フィーナ様、お早いですね」
異常に疲れ切った体を背もたれに預け、放心していると、キャスリーンの取り巻きであるサンディが声をかけてきた。
「サンディさんいたんですか?」
「フィーナ様がここにいらした時からいましたよ。お嬢様がフィーナ様を待つと言って、出てこないので、こうして待っていたんですが……フィーナ様が来てくれて本当に助かりました」
フィーナとしては大変な思いをしたのだが、キャスリーンの付き人であるサンディも、苦労しているようである。それにしても、とんでもない影の薄さである。フィーナ達がここに来た時、サンディがいた事に誰一人気づいていなかった。
「そ、そうですか。そういえば、王都に出てきて大丈夫なんですか? キャシーは公爵家に狙われるんじゃないですか?」
キャスリーンはレイクラウド公爵家において厄介者とされている。貴族街から離れた、郊外の浴場施設とは言え、今は大会期間中である。サンディが付いていても危険なのでは、とフィーナは思った。
「危険なのはわかっているんですが、お嬢様はご自身の出自を知らないので、大会中は王都のほうぼうへ出かけたがるのです。特に、フィーナ様の後を追いたがりますね」
「それは……すいません」
「いえ、謝ることはありません。フィーナ様を追いかけようとするお嬢様は、本当にいきいきとしていらっしゃいます。私はお嬢様の気持ちを優先したいので、止める事はしないでおこうと思っています」
(え、止めてよ……)
サンディはキャスリーンに連れられて、あっちこっちへ出向いているらしい。それも、フィーナが来そうな所を重点的に廻っていると言う。
恐るべきはキャスリーンの執念である。結果的に、大会三日目にしてフィーナと会うことができたので、キャスリーンのストーカー行為は成功と言っていいだろう。
「何にせよ、お嬢様の身はこの私が守ります」
サンディはキリッと顔を引き締めた。サンディの家は親の代からキャスリーンを守護する役目にあるが、ここまで従順になれるのは、サンディの性格のせいもあるだろう。サンディはキャスリーンをかなり慕っているようだ。キャスリーンはサンディの事をどのように思っているのかは知らないが。
サンディと雑談していると、キャスリーン達が戻ってきた。
キャスリーンはメイの背中に隠れるようにして、おどおどとフィーナの元へやって来た。メイは小柄なので、全く隠れられていないが。
どうやら本当に申し訳なく思っているようで、キャスリーンは目に涙を浮かべている。
そういえば、浴室でキャスリーンに襲われそうになってから、一言も会話せずにさっさと出てきてしまったな、とフィーナが考えていると、メイが仲裁役のようにフィーナの前へ躍り出た。
「フィーナ、キャシーの事許してあげなさいよ。キャシーも反省してるんだから」
既にフィーナは落ち着きを取り戻している。キャスリーンに襲われそうにはなったが、自分の危機意識が欠如していた結果、そうなったと言えなくもない。いや、キャスリーンが自制できないのが一番の問題なのだが、フィーナも、キャスリーンとはそれなりの仲であるし、キャスリーンが自制できない事もフィーナは知っている。
許すも何も、フィーナは最初から怒っているわけではない。ただ凄く、心の底から恐怖しただけである。
なので―――――
「別に怒ってないよ。キャシー、ジュース奢りだからね」
「フ、フィーナさぁーん! 何本でも奢って差し上げますわ! いっその事、この浴場ごと買ってあげますわ!」
キャスリーンは「至上の幸福とは、今この時である」と言わんばかりに、喜色満面の笑みを浮かべた。
キャスリーンはサンディのささやかな制止を無視し、本当に浴場の権利書を、その日の内に買い取って、フィーナに譲渡した。
この日、王都郊外にある大衆浴場は【友の湯】と名を変え、その後、友情を育むのに最適な場所として、広く知れ渡る事となる。
――――――「……という訳なのよ」
フィーナ達はキャスリーンの暴走による権利売買に巻き込まれた後、当初の目的であったメイの相談に乗っていた。
メイの話によると、フィーナの予想通り、メイはクロムシートでパシリ扱いされていたらしい。村を離れた事で、ようやく、その柵からも開放されたと思っていたところに、魔術大会に出場するクロムシートの魔女の補佐をするよう、通達が来たらしい。村を出ても村からの命令には逆らえない現在を、メイは鎖に繋がれた犬のようだと揶揄した。
そこでメイが考えたのは『居を移す』という事である。機関で教官を務めるフィーナ達という伝手を使って、他の村に居を移したいのだそうだ。
「それならば、レンツにいらっしゃれば良いですわ」
「いいの……?」
「レンツは人手が足りなくて困っていますの。王都が人手を増やして下さいましたけど、それでもまだ全然足りませんの。ギルドマスターも歓迎するはずですわ」
現在レンツは他の村を遥かに超える勢いで発展している。王都魔術ギルドから優秀な人材が派遣されたが、ほとんど焼け石に水状態らしい。
レンツにとって、魔女の、それも成人の移住者は大歓迎なのだそうだ。
「やった! 居を移すならレンツが良かったのよね」
「レンツはいいところですわ。わたくしが手紙を出しておきますから、メイさんは大会後にお引っ越しなさってくださいませ」
「大会が終わったら直ぐにレンツへ向かうわ! クロムシートの家には大したものも置いてないし、後で送ってもらうことにするよ」
メイは一人っ子らしく、母親も、メイが成人したと同時に病で亡くなったそうだ。
故郷になんの未練もないメイは、晴れ晴れとした顔で果実ジュースを一気飲みした。
空に大会終了を合図する火球が上がったのを見て、フィーナは思い出した様にメイに尋ねた。
「そうだメイ、頼まれた荷物……届けなくていいの?」
「あっ!」
すっかり頭から抜け落ちていたお使いを思い出し、フィーナ達は急いで荷物を届けに行った。縋りつくキャスリーンと別れ、王都の宿屋へと足を運ぶ。
クロムシートの魔女達は半ば忘れていたようで、メイに対して素っ気ない態度を取りつつ、荷物を受け取っていた。
メイはそんな嫌な態度もどこ吹く風で受け流し、「友人を待たせているので」と、新たなお使いを言い渡される前に戻ってきた。
結局メイはこの日、宿に戻ることはなく、フィーナ達と共に機関の寮で夜を過ごした。大会期間中は機関も休みであるため、簡単な見学ぐらいしか出来なかったが、メイにとっては何より楽しい時間だったようだ。
メイやキャスリーンのせいで、折角医療班が用意してくれた休暇をまともに過ごすことが出来なかったので少し申し訳なく思ったが、それなりに楽しい一日だったと、ベッドに入る頃には思うようになっていた。