99『開催準備』
国王が魔術大会を開くと宣言してから一週間が経った。翌月の狩猟大会と魔術大会に向けて、王都は大勢の人に溢れかえっていた。
狩猟大会は王国騎士団が取り仕切り、魔術大会は王都魔術ギルドが取り仕切っている。王都の外れ、メルクオール平原では会場の設営が急ピッチで進められていた。
魔術大会が行われる場所は、ここメルクオール平原以外にないと、魔術ギルドの満場一致で決まった。
メルクオール平原では魔物の出現頻度も少なく、大勢の人々が集まったとしても、収容できる十分な広さを確保できた。
「ここの資材は第一作業現場に、あっちは第二作業現場に運んでくださーい!」
元気な声を張り上げているのは、魔術ギルドに所属しているペントだ。会場設営の模式図を見ながら、あちこちに指示を飛ばしている。
「ギルドマスターはどこに行ったのですかー!? 手伝ってくださいよー!」
ペントは姿を見せないヘーゼルに対して、懇願の気持ちを込めて空へ叫んだ。
当のヘーゼルはというと、機関の食堂でクリームシチューを食べていた。魔術大会の運営委員長という立場にありながら、全て部下に任せて、自分は前々から食べに来たかった、機関の食堂にお邪魔していたのだ。
「お肉やわらか〜い」
ヘーゼルはペントの嘆きを余所に、クリームシチューに舌鼓をうっていた。
―――――「シャロン! 父様も狩猟大会に参加するぞ!」
デーブ伯爵邸では、狩猟大会なるものを耳にしたデーブ伯爵その人が、愛娘、シャロンに対して声高に宣言していた。
「お父様は現役を退かれたのですから、辞退された方がいいのではないですか?」
「何を言う! フィーナ殿のおかげで、今や父様の体は現役の頃より引き締まっているぞ! 見てみよシャロン、この肉体を。素晴らしいと思わんかね」
「お父様が元気になられた事は嬉しいですけど、私は少し不安です」
「不安などありはしないぞ。日頃から生ぬるい訓練ばかりしている最近の若造に、元騎士団長の父様が、騎士の何たるかを教えてやらなければな! はっはっは!」
シャロンはすっかり乗り気のデーブ伯爵を見て、ため息をついた。それと同時に、友人であるフィーナ達に小言の一つでも言いたくなった。
憧れの魔女で、友達であるフィーナ達には父親を救ってくれた恩がある。しかし、今やデーブ伯爵は現騎士団長が霞むほどの戦士になっていた。優しかった父親を少し懐かしく思うシャロンであった。
――――とある王都の宿では、一人の魔女が忙しなく動き回っていた。見習い魔女と勘違いされそうなほど幼く見えるその魔女の名はメイ。
フィーナ達とメルポリの街で会った、クロムシートの成人魔女である。
メイはクロムシートからやって来た魔女達のお使いを任されていた。この魔女達がやってきた理由は無論、魔術大会に参加する為である。
哀れなメイは、クロムシートからの参加者である魔女達のお使いをしろと、クロムシートの魔術ギルドから依頼されたのである。
「はぁ……王都に来てまで使いっぱしりなんて……」
メイは自身の不遇を嘆いた。
メイはクロムシートで、いつも便利な使いっぱしりにされていた。やっとのことで王都に出てくることが出来たのに、未だ村のしがらみから逃れることができないでいた。
「もう使いっぱしりなんてこりごりよ。これは本気で移住することも考えなきゃね……」
メイの頭に浮かんだのは、噂に聞くレンツの村の事だった。フィーナ達の故郷であり、驚異的な発展を進めているレンツに対して、メイは行ってみたい、という思いを募らせるばかりだった。
機関に所属することも考えたが、自身の頭脳では到底無理だと早々に諦めた。それよりも、結晶魔分を豊富に扱える、レンツに居を移したほうがいいのではないかと、最近はそればかり考えていた。
「フィーナに会ったらお願いしてみようかな」
爵位を持つフィーナ達の紹介となれば、平凡な魔女であるメイであっても、レンツへと移ることができるかもしれない。
既にフィーナ達が魔術大会に参加するという事は風の噂で聞いていたメイは、一抹の望みをかけて、大会期間中にフィーナ達にお願いすることにした。
「メイー! お酒買ってきてー!」
大会の一ヶ月も前から王都に来ているクロムシートの魔女達は、半分観光目当てで来ていた。村の魔術ギルドから資金を提供され、小金持ちとなったことで、いつもよりも財布の紐が緩み、こうして王都を満喫していた。
「……はーい」
力の無い返事を送り、メイは宿を出る。クロムシートの魔女達が泊まっている部屋からは、楽しげな笑い声が通りを歩き出すメイの耳にも届いていた。メイはつんと鼻の奥が熱くなるのを感じるも、大きく深呼吸して通りを走り出した。
夕暮れの光によって、赤く染まる王都の細い通りを、一人の魔女が決意を込めた表情で走っていた。
――――「だからウチではできないって言ってるだろ! 良いかんげにおし!」
怒りを込めた声色で発奮するのは『箒屋』を営む老魔女、グリゼルダだ。
叩き出されるようにして魔女が店先から転げ出てくる。叩き出された魔女は肩を落として、トボトボと箒屋を後にした。
グリゼルダはここ最近ある種の頼みごとで来店する魔女達に辟易していた。
「まったく、なんだってんだい」
グリゼルダが憤る理由は他でもない『箒を改良して欲しい』という頼み事であった。ここ数日でかれこれ十件以上は同様の頼み事をされた。
普段滅多に店から出ないグリゼルダは、近々魔術大会が開かれるという事を知らなかった。
グリゼルダとしては箒に興味を持ってくれることは嬉しかったが、店の業務にない箒の改良は願い下げだった。
箒の改良はできない事ではないが、箒にも一本一本個性があり、それを改良するとなれば、相応の時間と資金が必要になる。要するに割に合わない仕事なのだ。
グリゼルダは「やれやれ」という言葉をため息と共にこぼし、椅子に腰掛けた。連日の、箒改良依頼に応対していたせいで、新聞もろくに読めていない。
王都の新聞は週に一度発行される。今回の新聞は通常よりも早く発行されたので、王都にとって緊急の出来事があったのだろうとグリゼルダは判断した。大方、王族の誰かさんが結婚したなどという、どうでも良い内容だろうと、目を通すグリゼルダである。しかし、グリゼルダは次の瞬間わなわなと体を震えさせた。
「な、箒の飛行競争だって…?」
廃れかけていた『箒』という魔女のアイテムが着目され、今までに無い催しが開かれることに、グリゼルダは心躍った。同時に、最近の箒改良依頼の謎が解けた瞬間であった。
「なるほどね……そういうことかい」
グリゼルダが腕を組み、ニヤリと皺の入った口元を歪め、さらに皺を深めた。
箒屋を営んで数十年、すっかり人気の無くなった箒に対して焦点が当てられたことに、グリゼルダは心の底から喜んだ。
グリゼルダが笑いを零していると、ふいに店の扉が開き、運営委員と書かれた腕章を巻いた魔女が入ってきた。
「なんだい? あんたも箒の改良かい? 悪いけど、ウチは断ってるんだ、他所に行きな」
グリゼルダは箒の改良を請け負ってもいいと、内心考えるようになっていたが、既に断ってしまった者達に悪いと思い、受けない意を示した。
「いえ、『箒屋 グリゼルダ』には大会運営委員会から別件の依頼があります」
腕章をつけた魔女は依頼書を取り出した。王都魔術ギルドの正式な依頼書だ。
グリゼルダは「魔術ギルドの依頼書を受け取るのは何年ぶりだろうか」と思いつつ、依頼書の内容を確認した。
次の瞬間、グリゼルダは心底楽しそうに笑いだした。
「イッヒッヒ、こりゃあ、やりがいがありそうさね。わかった、受けよう」
グリゼルダが腕章をつけた魔女と握手を交わし、依頼書にサインした。
腕章をつけた魔女が店を出た後、グリゼルダは店を閉め、秘蔵のワインの栓を開けて、一人で酒盛りをした。
「長生きはしてみるもんだね」
グリゼルダは悪い魔女の代名詞のような笑い声を上げながら、美酒に酔った。
――――そして狩猟・魔術大会が開かれる期日となった。