1『プロローグ』
「祖曽様…!」
息を切らしながら女性は走っていた。背には十歳くらいの女の子を背負い、躓きつつも、この村で最も力のある者のもとへと走る。日が沈み、空は稲穂のような黄金色である。村を囲む森の中では夜鳴きの虫が今か、今かと夜を待っていた。
女性は、大きな木造の家の前に立つと、扉を数回、強く叩いた。
「祖曽様! この子を、この子を助けてください!」
ガチャリと扉が開くと、中から亀のような目をした老婆が出てきた。
「レーナか。入りなさい…」
老婆はこの村で最も長寿であり、齢は百に届こうとしていた。膨大な知識を持つ老婆がこの村を作ったことにより、村の住人からは祖曽と呼ばれていた。
枯れ木のような細腕、レーナが背負った子どもの頬に手を当てる。子どもが危険な状態であることを察知した祖曽は、香が焚かれた祭壇へと急いだ。
レーナは今にも泣きそうな顔で祖曽の後を小走りでついていった。
「レーナ、この子を助けたいかい?」
祭壇の前のスペースに布を敷き、そこに昏睡状態にある子どもを寝かせたレーナは、唇を噛みしめ、祖曽に力強く頷いた。
「…時間がないね。レーナ、活性術式の用意をしな」
レーナは子どもに手をかざし、呪文を唱え始める。しかし、子どもはついに力尽きたのか呼吸を止め、段々と顔が青白くなっていく。
「曾孫を救うためさ、やるしかないね」
レーナは祖曽の孫である。当然、レーナの娘であるこの子どもは、曾孫ということになる。
祖曽は大きく息を吸うと、呪文を唱え始めた。
額には脂汗が滲み、祖曽は胸の辺りを苦しそうに掴んだ。祖曽の唱える呪文は自らの魂を引き換えに、対象の魂を再定着させる禁術である。この呪文には重大な欠点があった。自らの魂を引き換えにしても、再定着した魂は元の魂とは限らないのである。獣の魂が入り混んだり、別の人間の魂が入り込む危険性もあった。しかし、蘇生魔術はこの方法以外知られていないのだ。人体の蘇生は禁忌とされ、長く秘匿され続けた。自らの魂を使った魔術は、それすなわち術者の死を意味する。
しかし、祖曽はそれを躊躇わなかった。孫であるレーナの娘、フィーナを救えるのならば、死神にこの魂をくれてやろうとも思っていた。
祖曽の前に人影が現れた。どす黒く、重々しい威圧を放つソレは、祖曽が呼び出したものである。
「…来たね…死神。ワシは充分生きた、この老いぼれの魂でいいなら持ってきな」
祖曽の視線の先には、大鎌を持ち、骸骨の顔を黒いローブで包んだ死神が立っていた。死神は右手で祖曽の魂を抜きとった。
「…!」
祖曽は前のめりに倒れ、手足の先が段々と冷たくなっていくのを感じた。祖曽は薄れゆく意識の中で、フィーナが健やかに育たん事を祈って目を閉じた。
「祖曽…おばあちゃん…」
レーナは祖母である祖曽の亡骸に涙を浮かべつつも、活性術式を止めず、懸命にフィーナの体を癒し続けた。生命活動を止めても活性術式を続けていれば命を長らえることが出来る。しかし、あくまで付け焼き刃でしかない。
死神が大鎌の先をフィーナの胸に近づけると、眩い光がほとばしる。するとフィーナの青白かった顔に段々と赤みがさしていく。
長時間、活性術式を使用していたレーナは苦しそうに息を吐いていたが、ここで止める訳にはいかなかった。魂の完全な定着が終わるまで中断は出来ない。レーナは朦朧としながらも、死神の鎌先から光が消えるのを待った。
「フィーナ。良かった…」
死神の鎌先から光が消え、フィーナはすうすうと寝息をたて始める。
レーナはフィーナを抱きしめ、意識を失った。
そして、フィーナは目覚める。
ぼちぼち始めたいと思います