第六話
技術の進歩というのは恐ろしいもので、現実世界の個人の脳波パターンを汲み取り、特定の刺激を受けた時にどんな反応が身体にもたらされるのかを計算してVR世界に反映する事さえ現在では可能にしている。
つまり、現実世界でタンスの角にぶつけた小指の痛みは、そのまま同じ痛みがゲームの中でも再現可能という事だ。
といっても、それを百パーセント純粋に反映した場合、洒落にならない話が浮上してくる。
例えばそれが、ショック死するほどの刺激だった場合は?
ゲームの中ではもちろんそれを防ぐため、刺激を何割かにカットして人体に危険が無い範囲に抑えている。再現は可能というだけの話で、かといって何も感じないのではVRの意味が無いから故の対応だろう。
例は痛みに限定したが、これは何もそれだけに限った話ではなく、五感全てに言えることで、さらにその上の感覚さえも現実世界と遜色無い。
疲れたら眠くなる。動けば腹が減る。好きな人が愛おしく感じる。
「大丈夫大丈夫!俺は冷静だから!」
「お、落ち着いてください!いくら何でもそれはご勘弁を!」
「頼むからこんな事でその手を汚さないでくれ!」
現在、俺はとある宿屋にて二人の男女に取り押さえられていた。一人は前衛職らしく体格の良いナイトのスルトで、もう一人は金髪のローブの魔導師、ユーリという女の子。
そして目の前にはスヤスヤと世界一可愛い寝息を立てているリシィに、その神秘の女神にあろう事か身分も弁えず頬ずりしている黒髪の少年がいた。消す。
「何だこの力、俺達二人がかりでも抑えられない……!?」
「スルトさんその恵体は飾りですか!マスターが殺されますよ!?」
「やだなあユーリちゃん。俺はただ、リシィを起こしに来ただけであいつ消す」
「本音漏れてますから!だったらそのナイフを下ろしてくださいよぉおお!」
何やら勘違いしているようだが、俺は別に首を撥ねたりなんかしない。そんな事したら何割カットしようが即死確定である。
「何だようるさいなぁ。俺はロリコンなんだよ悪いか」
クソガキがこっちに気付いたかと思えばいきなり開き直りやがった。しかも考えうる限り最悪の告白である。自分の血管が千切れる音がした。
「よし。俺は殴っていいと思う」
まず手を離したのはスルトだった。俺の半身が自由になる。
「もうアレは私が消します!ギルドの汚点です!」
ユーリに至っては室内で魔法をぶっ放し始めた。
「ちょ、危ねーよ!おい、お前ら裏切るのか!?俺はお前らのボスだぐべほっ!」
皆まで言う前に、俺の拳がクソガキの顔面を打った。
「ちょ、何やってる、エルー!可哀想!」
リシィが騒音で起きたようだ。
「大丈夫だリシィ、お兄ちゃんが害虫を駆除してやる」
だから安心して寝ていればいい。
「た、助けて……お姉ちゃん」
ふっ、何を今さら。うちのリシィがそんな手に引っ掛かる訳が……。
「離れる。来たら、撃つ」
「総員退避だ!うちの妹が洗脳された!」
くっ!卑怯な。リシィの優しさにつけ込むとは人類史始まって以来のクズめ!
「へぇ、リシィちゃんっていうのかー。ちっちゃくて可愛いねー。胸とか」
「や、やめろ!それは禁句」
コンマ数秒後、リシィが放った弾丸が頬を掠ったことでガキは大人しくなった。
それから俺達は、とりあえずギルドの本部に案内された。町の中心に建つそこそこ立派な建物だった。
「すまんすまん。さっきのは冗談だ。これから互いに信頼し合う仲間になれるか試したんだ」
「もう関係を修復しようがねえよ!」
あれだけの事をしておいて、今さら仲間とはどの口が言えたのか。ここまで図々しい奴には初めて会った。
「俺はギルドマスターのコウタ。今日からお前達のボスになる男だ」
偉そうに腰掛けた椅子から足を組んで不遜に言っている。もちろん冗談じゃない。
「俺は嫌だぞリシィ。アレに付いていくなんて」
「エルドさん、アレでも腕は確かなんです……」
隣に立っている案内役のユーリがフォローに入るが、その目はゴミを見るような目に見えた。
「エルー、俺は今でもマスターに従ってる自分が信じられないよ」
スルトもその大きな手で自分の顔を抑えている。とりあえず人望ゼロって事は分かった。
「おいお前ら!アレ呼ばわりとは失礼だぞ!」
その色白で短い手足をばたつかせてコウタは何やら喚いている。
「私はいいよ、エルー。この子、実力、あるし」
おいおい本気か妹よ。何を以ってそこまでの評価に至ったのか甚だ疑問なんだが。
「さすがリシィちゃん!俺の事分かってるねぇ。チューしていい?」
「黙れ」
「あ、はい」
こんなのがトップで大丈夫だろうか。
……まぁ、リシィがそう言うなら少しだけ付き合ってやる事にするか。どうせ上手くいかずにすぐ抜ける事になるだろう。俺達兄妹に、他人との関係が長続きした試しなんて無いのだから。
「ところで、お前達が戦ったあの黒竜、ありゃゲートキーパーだ」
その単語で場の空気がガラリと変わった。さっきまでコウタを包んでいたどこか間の抜けた雰囲気は一変し、今の奴はまるで歴戦の戦士のようだ。
「マスター、それってつまり……」
「あぁ、ついに見つけたぜ。一体目を」
ユーリは信じられないというように口を抑えた。
「あれが……」
だが、とコウタは続けた。
「まだ完全じゃない。不完全……というより、あの黒竜は幼体だ」
「ちょっと待て。あれで子供だって言うのか?」
あんな化け物がさらに成長するなんて悪い冗談だろう。もしそうなら俺達に勝ち目なんてありはしない。
「現場近くに、本来加入テストで戦わせるはずだったワイバーンの死体が幾つも発見された。捕食された痕から考えるに、奴は今も成長途中に違いない」
「だったら、その前に、叩く」
リシィが力強く言った。
「確かに、奴は今弱ってるし、リシィちゃんとユーリの魔法があれば火力は充分だ。だが、どうやって奴を探す?見つけた時には成体でしたじゃ返り討ちだ」
反論の余地は無かった。確かにその通りだ。がむしゃらに探したところで、時間も労力も無駄になる。
「……エルー、どうする?」
俺に聞くのかよ。うーん……。
「目撃情報を集めるがてら、万が一に備えて戦えるようにレベル上げと、あとは戦力増強で仲間探しか?」
「なるほどエルド。お前、頭良いな。参謀決定」
なんでこんなに偉そうなんだこいつ。
「戦力は元々集めてたんだ。今このギルドは俺達を含めて十人になった。ここにいるメンバーはもちろん、いない奴もそれぞれ実力は確かだよ」
スルトが補足してくれた。という事は他にも後五人、このギルドに属しているという事だ。
「しかし、疑問だ。エルドはどうしてビショップらしいスキルをまるで備えていないんだ?賢いのか馬鹿なのか分からんぞ」
いきなりコウタが俺に難癖付けてきやがった。
「俺はこれでいいんだよ!っつーか、なんで俺のスキルや職が分かったんだ?」
「マスターはローグっていう盗賊系の職業ですから、固有スキルでモンスターや他人の情報が分かるんですよ」
くそ、何だか丸裸にされたみたいで不快だ。しかも、よりによってこいつに。
「って、エルーはビショップなのか!?」
あぁ、スルトはまだ勘違いしてたのか。
「そうだよ。文句あるか」
「いやぁ、ごめん俺気付かなくて……」
おい、今のがっかりした顔はなんだ。素直すぎて失礼だぞ。
「もう分かってると思うが、スルトはナイトで、ユーリはソーサラーだ」
「んでコウタはローグか」
「おいエルド、マスターと呼べマスターと」
やなこった。こんなクソガキ俺は認めていないのだから。
「それより、リシィさんの魔法、すごいです!私よりレベルの高いソーサラーさん初めて見ました!」
いきなり手放しで褒められて、露骨に困った顔で俺の方を見てくるリシィ。別にユーリに悪意は無いのだから、ちゃんと相手をしてあげなさいと目線で合図する。
「私、別に、ソーサラーじゃ……」
「またまたご謙遜をー。リシィさん教えてくださいよ。さっきの魔法」
「うぅ、エルー……」
背の低いリシィだが、ああして並ぶと負けず劣らずユーリも似たような体型だった。彼女は肩までの金髪を揺らしながら、にこにことよく似合う笑顔を振りまいている。
「そんな訳で、これからよろしくな」
スルトが俺には出来ないような快活な笑顔で手を差し伸べてきた。
「まぁ、よろしく」
どうせちょっとの間の付き合いである。ちょっとの間。
「という訳で、早速クエストか」
「今回はふた手に別れて黒竜に関する情報を集めます!よろしくですよエルドさん」
「お、おう」
俺とユーリ、リシィとスルトに別れて東西別々の町で発生するクエストをこなすらしいが何だろうこの編成は。
コウタ曰く親睦も兼ねての狩りとの事だが、俺がコミュ障すぎてそれどころじゃない。二人きりとか罰ゲームか何かに違いない。あのクソガキ……。
「エルドさん、見えてきましたよ!あれがウエストレイクの町です」
「あぁ」
さっきから隣を歩くユーリの、ローブ越しに見える身体のラインが気になって仕方ない。これはエロい目で見てるとかじゃなくて目と目を合わせられないから仕方なくそこに目線がいくってこれはエロい目じゃねーか!
「どうしたんですかエルドさん?」
「ゆ、ユーリは、レベルいくつなのかなーって」
聞くと、ユーリはポンと納得したように手を叩いた。
「円滑にクエストを進めるために、互いの情報を把握しようという事ですね!流石エルドさん」
「いや、単に下心で」
「私のレベルは秘密です!だって恥ずかしいです。私が恐らくギルドで一番低いでしょうから」
「そうか。じゃあ一緒に頑張ってレベル上げしようねぐひひ」
爽やかに笑いかけようと思ったのに完全に不審者である。慣れない事はやめよう。
閑話休題。
「ところで、今、本部にいない奴って何してるんだ?」
「それですねー。それは追々マスターから説明されると思いますが……そうですね。簡単に言うと、彼らもまた、ゲートキーパー殲滅のために動いているのですよ」
「そんなにみんな、帰りたいのか」
野暮な事を聞いてしまったかもしれない。そりゃそうだ。普通は帰りたいに決まってるし、だからこそこうして戦っている。
「本音を言うと、私はあんまり……ですね。あっちじゃ私、役立たずですから。でもここでなら、そこそこ私、強いんですよ。リシィさんが来るまでは、ギルド最高火力のソーサラーでした」
「そっか……」
意外な答えが返ってきたので俺も口篭ってしまう。ユーリも俺と同じように、現実をあまり快く思っていないらしい。
突然、ユーリは困ったように笑って、両手をバタバタと振った。
「あぁ違うんですよ!これじゃ私、リシィさんに嫉妬してるみたい。強い人が来てくれた方がいいに決まってますよね!」
「よし、ユーリ!」
俺が彼女の小さな肩に手を置くと、その身体がびくっと強張るのが分かった。
「はい!?」
「君にリシィの弱点をひとつ教えてあげよう」
俺は右手をチョップの形にすると、そのままユーリの脇腹に突きを入れた。
「ひゃん!?」
「これで一歩リシィを上回ったな。安心しろ。うちの妹はそんなに大した奴じゃない。俺がいないと何にも出来やしないんだ」
言い終わると、ユーリはくすくすと笑っていた。
「エルドさん、私、頑張ります!だから、よろしくお願いしますね」
「うむ。その意気だ。こちらこそ」
俺達二人に何故か奇妙な友情が芽生えつつあった。とりあえず触って分かったがユーリはリシィと違って意外に巨乳である。