寒さと貧困との戦い3
寒さと貧困との戦い3
居間「チャノマ」の西側にある炊事場「ナガシバ」には、大きな花こう岩を平らに四角く削り掘った流し台「ナガシ」が裸電球の下で寒々と備わっているのです。その横に水おけ「ミズオケ」が手押し水揚げポンプから半丸流水管「トヨ」につながり、井戸「エド」からくみ上げた手の切れるような冷たい水がくみ置きされているのです。
この手押し水揚げポンプも最近購入したばかりで、それまでは直接井戸に滑車とロープを使い、釣瓶「ツルベ」のオケを落として水をくみ上げていたのです。女性には過酷な労働だったものが、近代化とはこんな便利で楽な物が出てきたのだろうかと、釣瓶での水くみのつらさを忘れかけているのです。
くみ上げた冷たい水と金たらいを使って、洗面や食後の洗い物から大きな木のタライと洗濯板を使って衣類の洗濯を行いすべての洗いものを石の流し台でするのです。煮焼きは囲炉裏で行い炊飯と蒸し物は土間に据付けてあるモミ殻を燃料とするヌカ釜「カマド」だけなのです。
長い冬に食べる副食「オカズ」はほとんどが保存食で、秋に漬け込んだ多彩な野菜の漬物と、越冬野菜の根菜類を使った煮物に、囲炉裏の火でじっくりと煮込んだ豆類や、乾燥や塩漬けをした山菜の煮付けが毎日の食卓に上がるのです。数日置きかに、塩でガチガチに漬けられたマス、サケ、イカ、ニシン、サバ、イワシ、サメ、など塩蔵魚と干し魚の切り身が貴重なタンパク源の副食なのです。それらが食膳に出た時はご飯も多く食べてしまうのです。
塩の結晶が吹き出た塩辛い「ショッパイ」塩蔵魚でも、まれにしか食べる事が出来ない為か体が要求するのか非常にうまいのです。食べ残すなどはとんでも無い事で、残った骨をさらにオキ火で香ばしく焼き上げて、お湯「サヨ」を注いで骨に付いている残り身をしゃぶり、カリカリになった骨をかみ砕いて、塩加減のちょうど良いお湯かけご飯にして胃に流し込むのです。
今の豊富な物流から考えたら笑い話なのですが、当時のいい大人になっても、海の水は塩辛いのだから海で取れる魚は全部が塩辛いのがあたりまえで、川で取れる魚は塩辛くないのだと信じていた素朴な人もいたのです。
まれに買う魚屋や肉の包装紙は新聞や経木「材木を薄く紙状に削った物」に包まれていて、肉や魚を取り出した後の紙は火を燃やす時のたき付けに使うのです。家の中全部が天然の冷蔵庫なのですから、よほどの事がない限り腐る食べ物は出ないのです。もち論、食べ残しも出る訳もないのです。炊事で出る野菜の切りくずなどは家畜の飼料と一緒にして与えるので残飯やゴミは出る事はないのです。現代の大きなゴミ問題なんて想像もできない事柄なのです。