表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/42

里山の子供たちの学校6

里山の子供たちの学校6


桜の花の匂いに包まれた里山の春は、子供たちの新学期がスタートする季節なのです。入学式の時とは違い、学校になれた子供たちの顔は新しい友達との出会いがあることの期待でみんな生き生きとした顔をしているのです。その他に進級で一番気になるのは担任の先生が誰になるのか、それとクラスの入れ替えになって同じクラスに誰と一緒になるのだろうか、隣の席や前後の席に誰が座るのだろうか、半日の土曜日には授業の時間割がどんな科目が割り当てられるのだろうか、図工や音楽など特別な授業が何曜の何時限になるのだろうか、それを受け持つ先生は誰になるのだろうか、不安と期待で子供たちはワクワクしながら新しい先生と友達の出会いを想像するのです。


降り積った雪も消えて、春という良い季節の学校行事の新学期は、新しく担任となった先生は子供たちが生活をする家庭に戸別訪問をするのです。担任になったばかりの先生が、自転車に乗ってまわってくる先生や歩いて生徒の家を訪ねるというのは、非常に心労の多い行事なのです。子供は子供で、家に先生が来るのを待っている時間のソワソワ感と、次の順番の子供の家に先生を案内する途中で二人だけになった時に何を話したらいいのか、頭のなかは不安感が交差して落ち着かないのです。先生は玄関の古いシミだらけの障子戸を開けて土間に入り、あいさつをすませてアガリガマチに腰を掛けて話し出すと、母親に学校生活での素行や成績の悪い事を言われないかと非常に心配なのです。先生は子供たちの家をまわると、必ずお茶やお茶菓子が出ることは必須なのです。飲み食いしないでいたりしたら大変に申し訳なく思うので、何軒も教え子の家をまわる特に女の先生は正直におなかもイッパイになってトイレが近くなって苦痛なのです。


小学校生活では出席番号はなく、先生に何々チャンと名前で呼ばれて親近感があるのですが、中学校に入ると先生は教科選任になり毎日出席簿を持って登場して出席番号順に出席をとり問題を当てるのです。ひょうきんな男の子がいて、先生が授業で問題の解答を求めて何々番と彼を当てると、答えの分らない男の子はギシギシと音のする木製の椅子からニヤニヤとして頭をかきかきながら立ち上がって「おいらゃぁ~せんのぉ~」とか、必ず何かしらテレビに感化されたはやりのギャグで子供たちや先生を笑わせるのです。


学校では教室や教育のいろいろな面で、子供たちを番号管理されるのです。朝礼や体育の並び順は身長順なのですが、その他は大抵出席番号順なのです。クラスの入れ替えでいつも思うのが、教室で座る机の席順はどうやって決めるのだろうか不思議なのです。子供たちのうわさによると席順は成績順で、成績の悪い子供から前に座るように先生が決めるのだと聞くのです。そんな席替えのときの女の子の会話は面白いのです。席替えの前は、これまでの仲良し同級生と「隣同士になれたらいいね」とか「同じ班になれたらいいね」という会話をしているのです。ところが、席替えの結果が無常にも離れた席になって班も別々になってさぞガックリしているだろうなと思っていると、新たに隣の席になった女の子と手を取り合って「良かったね」と満面の笑みで喜ぶのです。最初から望んでいた事のように大喜びをするのです。恐れるべし、この年頃から女の子は友達とのつながりがうまいのです。団塊世代が育った昭和の時代に行われた村々の大合併や学校の統合にほんろうされ、子供たちのクラス入れ替えや席替えを何度も経験をして友達が増えていくのです。


クラスの子供たちには誰でもなれるのではない週番と言う役目があって、成績が優秀なクラス委員や学級委員が順番に行うのです。週番と刺しゅうされた腕章を付けて、全体朝礼の時に子供たちの前に出て、校長や先生に対するあいさつの号令を全員にかけるのです。その他にも校門前にに立って登校する子供たちの服装の乱れや風紀の取り締まりをするのです。もう一つの役目に日直があって、クラスの子供たちが全員で順番に男女ペアーになっておこなうのです。ペアーの決め方は、机の並び順の隣の女の子とおこなうのです。その日直の仕事というと、学級であった一日の出来事の日誌をつけることと、黒板拭きを片手に持って窓の外に出して白墨の粉を棒でたたき出し黒板をキレイに拭き、授業が全て終われば日誌を完成させて職員室に居る担任の先生に持って行くという仕事なのです。全体朝礼で全員が運動場に行った後に、日直の当番だけの女の子と二人が教室に残っての気まずい瞬間があるのと、学級日誌の日直名に二人の名前を並べて書くのが恥ずかしい気持ちが心に強く残るのです。日直は全員が下校したかを確認した後に帰るので、いつもはいっしょに帰る友人もいないのであれやこれやと何かを一人で思いながら家路につくのです。日直の仕事はいつもが、どことなく女の子とのほろ苦い思いを心に残しているのです。


団塊世代の子供たちは、戦後の民主主義教育を受ける最初の世代ということで、その重要な観点の一つが男女同権の考え方なのです。子供たちは恋愛に限りなく憧れるのですが、女の子を好きになるといっても恋愛感情とは大きくかけ離れていて、退屈な授業中の話し相手と難しい問題の答を教えてもらえる存在という感じなのです。その程度の女の子に対しての思いと気持ちなのですが、男の子は誰でもひそかに女の子にエロい気持ちが芽生え始めていて、体操着姿の女の子のお尻やふくらみ始めた胸を見ると反応する変化が現れるのです。


教室での席が入学式から長く変わらなかった隣の女の子が席替えで変わると知ったとき、変わると分っても変わってしまうと何か変に寂しく思うのです。女の子が自分の席の少し前の席に移って、別の男の子と並んでいるのを見ると悔しさがこみ上げるのです。以前に一緒に並んでいた時は全然意識がなくて、後でわかるのですが実は学年でも人気の女の子だったので惜しい気持ちと後悔の思いを持つのです。その女の子とはその後に別のクラスになって、さらに別の学校に転校してしまい、消息も分らなくなりどんどん離れて遠くの人になって淡い思いだけが残るのです。なぜあの時に憧れた女の子を前にして、少しでも好意のある素振を見せることができなかったのが今になって悔やまれるのです。子供たちのあいだでは男の子と女の子が仲良く遊んだり話したりすることを、とても照れ臭く感じたり別の男の子に冷やかされるのが一般的なのです。お互いの名前に「さん」や「くん」をつけて呼ぶのさえ恥ずかしくて、乱暴に名字だけで呼び捨てにするのです。相手に好意を抱いていても、ざっくばらんに打ち解けて遊ぶなどということはとうてい出来るものではない葛藤があるのです。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ