里山の子供たちの学校 2
里山の子供たちの学校 2
里山の学校の先生たちは、いろいろな個性を持った人が多いのです。そんな中でも教育の熱心な熱血先生が必ずしも子供たちに人気があるわけではなく、先生としての仕事と子供たちとの間を置いて割り切って淡々と仕事をする先生のほうが子供たち受けをするのです。冷静な子供たちの先生に対する見かたは、少し距離を置いて接してくれて大人の人間として懐の深さや面白さなどが魅力なのです。先生は教師という職業の仕事人間になるのではなく、一人の普通の人間としての魅力ある人格を養うことも大切なことなのです。
チリーンチリーンと用務員さんが鳴らすベルの音でお昼になって、梅干しだけの日の丸弁当を食べて満腹になった子供たちは、運動場で思い切りに飛びまわって遊ぶのです。そんな子供たちは、気候の良い日の午後の授業に入ると先生の話も上の空でウトウトと眠くなるのです。勉強に集中できない授業に意味がないと察した先生は、途中で気分転換のために突然と大きな声を発して、授業とは全く関係のない話しをしだす機転の利いた先生もいるのです。とくにその先生は怖いお化けの話しをするのが得意で、その時ばかりは授業と違って眠気も覚めた子供たちは、目を輝かせて真剣そのもので背筋をゾクゾクとさせながら聞き入るのです。子供たちは世にも不思議な怖い話が大好きで、先生から教えてもらった話を未だ知らない子供に自分が怖さの体験をしてきたかのように得意になって話すのです。学校が楽しくて仕方がない子供も居れば、大勢の生徒の中には家庭の事情や子供なりきに何らかの都合があって学校に来たがらない子供もいるのです。そんな子供に接する先生は暖かい言葉で、○○チャンはこんな所がすごいねぇ~とチョットした何でもないことを褒めてくれるのです。声をかけてもらって先生と親近感を持った子供は、先生に褒められたことがうれしくて仕方がなく、両親よりも先生の言うことは喜んで何でも聞き入れるのです。
先生は子供たちにいつも甘いアメばかりでなく、時には厳しいムチもあるのです。忘れ物やいたずらが過ぎると教ダンの上に立っている先生の前に呼ばれて、悪いことをした罰を与えるのでひとつを選びなさいと怖い顔した先生に言われるのです。一、ビンタ 二、こめかみをグーでグリグリ 三、両耳を引っ張られる 四、ゲンコツ 五、両頬を引っ張られる このなかからひとつ選ばされる時の恐怖と、緊張する子供たちが全員の静けさが何とも言い難いのです。そんな怖さと優しさのある先生なのですが、子供たちにはとても人気があって信頼が絶大にあるのです。その理由は、一緒になっておもいっきり遊んでくれるからなのです。なかでも校外授業という名目で、抜けるような青い空の下でクラス全員が学校の近くにある小高い山に登って見おろす、里山の四季折々に色づく田んぼやその中を細くウネウネと曲がりくねって続く街道沿いに建ち並ぶカヤぶき屋根の家を、木々の枝のすき間から眺めて時間を過ごすのです。それぞれの家から立ち昇る煙が一筋に澄んだ空へと登る生活の匂いの漂う風景を見ながら、あそこにダレダレの家が見えるとか三輪車のトラックがデコボコ道をユラユラと土煙を舞い上げながら走る、箱庭のような里山のノンビリとした情緒のある景色を脳裏に焼き付けるのです。秋には紅葉が始まった林の中で、木登りの上手な子供は山猿のように大きな木に難なく登って、クリやアケビを採って登れない子供や女の子にあげるのです。それらを一緒に食べたりすることで子供たちの仲間が困ったことや自分ではできないことを、お互いに手を差し伸べ協力しあい助け合うことを自然の中の山遊びを通じて学ぶのです。そんな、自然体で子供たちと子供たちの心のつながりの大切さを指導してくれて、本気で怒ってくれるのも一緒に遊んでくれるのも一生懸命な先生がみんなの人気者なのです。
大勢の子供たちのなかには悪ガキも居る里山の学校に体罰という言葉はなく、悪いことをしたら先生から制裁を与えられるのは日常的に普通なのです。悪いことをしたら、あたりまえのように素手でのビンタや大きな定規でたたかれるなんてまだ生温い方なのです。分厚い辞典で思い切り頭をたたかれて大きなタンコブが本の背表紙状に腫れ上がり、先生が履いている硬い皮のスリッパで全くの手加減なしに往復ビンタされると、口の中やクチビルが切れて血が出るのです。今の時代ではまさに過激な体罰と言う言葉なのですが、里山の学校でたたかれた出来事について子供たちは、口が避けても家に帰って両親には言えないのです。先生より怖い父親に、尊厳のある先生にたたかれるなんてどんな悪い事したのだと雷が落ち、先生以上にたたかれて寒い外に放り出され夕ご飯も食べさせてもらえないことがわかっているからなのです。確かに、自分が悪いことをしたからたたかれるのは当たり前のことだと子供なりに素直に反省しながら、たたかれた痛さをこらえて冷たい布団の中にもぐり込み声をころして泣きながら納得するのです。
いつごろか学校ではスカートめくりが流行りだしていて、お目当ての気になる相手の下着への興味本位とイタズラ心で悪ガキが女の子の背後に気配を消して忍び寄り、いきなりスカートを腰までめくり上げてサァッーと逃げるのです。休み時間の校舎や校庭のあちらこちらから女の子の黄色い悲鳴が聞こえて、なかには運動場の真ん中でうずくまって泣き出す子もいるのです。小学校低学年から中学年では性に関する意識こそ芽生えているものの、幼さゆえにまだまだ性行動までは発展せずそれに結びつかないのです。口ではエロイといったり恥じらいを示したりするのですが、スカートめくりの行動などはいたずらのたぐいに属していて世間は寛容で問題にはならないのです。学校で男の子は女の子と一緒に遊ぶことはまずないのです。女の子と遊ぶ男の子は、女をかまうヤセ男と男仲間たちにひやかされるのです。女の子に興味がないように見せかけているのですが、むしろ人一倍関心があるのですが周りの子供たちが女の子と友達になることを許さない雰囲気があるのです。それでも男の子は、お目当てである先生にかわいがられてかわいい顔で勉強ができて人気のある女の子に対して、感心のあることをひそかに隠して周りには全く興味がないように装いながら、いろいろとイタズラやチョッカイをだして女の子に注目してもらおうとするのです。
初めて男の子と女の子がカップルになって、軽快なマイム・マイムやオクラホマミキサーとジェンカの曲にあわせてフォークダンスというものを輪になって踊るのは秋の運動会の練習の時なのです。最初は男女ともに手をつなぐことを恥ずかしがり、お互いに嫌がってつなぐフリをしてごまかそうとするのです。照れて手をつなぐのをためらう子供たちを見つけて、怒った担任の先生が三時間目の授業をつぶして四十五分の長い時間を教室内に男女が交互に輪になった状態で強制的に手をつながされて、微動だせずに沈黙のまま立たされるのです。そんなことの繰り返しで手をつなぐことやダンスに慣れてくると、好きな女の子と初めて手をつなぎ肩組みができるチャンスなのです。順番にいろんな女の子とカップルになって踊るのですが、もうすぐ好きな女の子と踊れる順番がまわってくる四~五人前の時はもうハラハラドキドキで緊張するのです。しかし、何が悲しいのかと言うとあと一人で好きな女の子と手をつなげるというところで曲が終わった時は、くやしさで友達に八つ当たりをするのです。そんなフォークダンスの踊りを通じて、男の子も女の子も初めて異性を意識することの甘酸っぱい淡い体験をするのです。