里山の人たちと子供たちの衛生生活環境と健康
里山の人たちと子供たちの衛生生活環境と健康
里山の伝統がある祭りの日か、家庭に祝いごとがない限りは連れて行ってもらえなかった食堂は国鉄の停車場付近に一~二軒しかなく、しかも農家の土間にテーブルと椅子を置いたような小さな食堂なのです。そんな食堂の「中華そば」は、家庭で食べる事のできない未知なる刺激的な味なのです。鳥ガラと煮干しでだしを取ったあっさりとしていて塩蔵メンマの匂いのする濃いしょう油の味のスープなのです。中華麺は、卵が入って黄色の色が濃く、かん水が利いてチリチリの縮れ麺なのです。チャーシューはたれを付けて長い時間をかけて焼きあげたものを薄く切って麺の上に乗せられ、刻んだ長ネギと斜めに切った鳴門巻に甘辛く煮込んだメンマの何とも言えない風味に、普段は粗食に耐えている子供には異次元の味の食べ物なのです。
普段の家庭で良く食べられた食材は、主食のコメ 季節の野菜や豆類 たまに食べる肉は飼っている鶏やウサギに野生の鳥などで魚類は干物や塩蔵した塩辛いイカ サンマ アジ メザシ 川魚にみそ汁の具は豆腐 大根 季節の野菜などが多い自給自足の生活に近い食生活なのです。子供が風邪をひいて熱があって食欲のない時は、親がヤギの飼っている家に行き一升瓶にいられた乳を買って来てくれるのです。具合の悪い時にしか飲めない滋養のある乳なのですが、暖めるとヤギの青臭い匂いが鼻に抜けていくのです。果物の類は少し時代の過ぎた頃は、具合が悪いと高価なバナナと牛乳なのですが、その少し前の時代は、もらいものを大切に保管していたミカンや白桃の缶詰を甘いシロップと一緒に食欲のない胃袋に流し込むのです。
里山の大人たちは五十歳の前後の年齢で、子供たちの目から見ると実年齢よりも老けていて立派なジイちゃんに見えるのです。欧米の平均寿命が五十歳をこえていたとき、戦争の影響もあるのですが日本人の平均寿命は三十歳の後半を低迷するという状況なのです。短命の要因は朝の早くから夕方遅くまでの、山仕事や農作業での過酷な重労働なのです。毎日がキツイ仕事をおこなう普段の食生活はきわめて質素で、漬物をおかずに大量の白いご飯と味の濃いみそ汁で食べるのです。盆か正月のなにか祝い事のある時でしか食せない、高カロリーの動物性たんぱく質や脂肪の摂取の不足なのです。時が過ぎて、いざなぎ景気の高度経済成長時代の好景気のころから、食生活が豊かになるに伴い米の摂取量が減り、その代わりに牛乳や乳製品や肉が増加するのです。食生活の欧米化と食物が過剰のぜい沢に飽食するようになった人々は、化学物質や添加物と医薬品で腸内細菌がダメージを受けて、アレルギーなどの自己免疫疾患が増加するのです。戦後の間もないころに増え続けていたカッケと結核に脳血管疾患の死亡率が減少しはじめ、今は死因第一位の座はガンが取って代わることになるのです。
家族が排せつする原始的な便所「アッパンジャ」は、粗末な引き戸の奥に大便や小便「アッパ ションベン」をためて置く、肥えための上に幅二十センチ程の板を二枚乗せた上にまたいで排便する粗末なくみ取り式のポットン便所なのです。後始末に使う紙は古新聞紙の切ったもので拭くのですが、新聞を良くもまないで使うと、お尻がただれてしまい痛くなるのです。自分が落とした丸見えの肥えための中に外の割れ目から雨水が浸み込んで、肥えためが液状化した時は排便するのにテクニックを必要とするのです。塊の大きな便を勢いが良く落すと、「オツリ」と称して液状化した肥えが落ちた勢いで跳ね上がってきてお尻を汚すのです。小さく分散して排せつするか、それとも我慢できずに一気に大きな塊を落とす場合は、オツリが跳ね上がって来るのを想定して排せつしたすぐに腰を捻って避けるのです。里山のどこの家でも引き戸を開けると、玄関に近いくみ取り式便所からは人プンの異様なにおいが家中にこもっているのです。
牛馬と共に生活しなければならない家は、非常な状態の不衛生さなのです。馬屋「マヤ」には牛馬のフン尿と混ざってグショグショになっている敷きワラは、悪臭を放ちハエや蚊の大量に発生する培養の場所になっているのです。人間のフン尿をため置く便所の肥えためには、ウジ虫が大量にうごめいていて、そのウジ虫は成長のスピードが早く数日間でハエに成るのです。成虫になったハエは便所から飛びだして家の中をところ構わず飛んで、食物や小動物のフンに小さな卵を大量に産み付けるのです。空中ではハエが自由に活発で飛びまわるのですが、小さなシラミやノミは、目のつきにくい畳やムシロの下とか寝具と衣服の綿の中や繊維のすき間を住みかとしていて、畳に座り衣服を着ると人や動物に侵入して毛の根もとに潜んで寄生しながら吸血をするのです。化学肥料は高額で買えない里山の人たちは、牛馬のフン尿と虫になる卵が混ざりあって発酵した堆肥と、人のおなかの中に寄生虫が産み付けた卵は大便と一緒に肥えの中に落されて、寄生虫の卵まみれの肥料として田畑の土に混ぜ込まれるのです。里山の人々は衛生についての知識も乏しく、収穫された畑の土が着いた野菜は川で水洗いするだけなのです。当然に寄生虫類の回虫やギョウ虫にサナダ虫の卵は、不衛生な野菜と一緒に口から体内に入り卵から成虫になってとどまるのです。人の体の外部からは、田畑の中に裸足で入る人たちが足裏の皮膚から入り込まれて、栄養状態の良くない人たちをさらに体内で成長した寄生虫が腸内の栄養分を吸収するのです。
そんな子供たちが暮らす毎日の生活環境ですから、学校では定期的に回虫検査のため検便が行われるのです。小さなマッチ箱に朝の便をとって入れ、紙袋などに組と名前を書き込んで持っていくのです。クラスごとにダンボール箱に入れておくのですが、ビニール袋のない時代なのでどこの教室からもいろんな匂いが混ざりあって廊下に異様な匂いが漂うのです。回虫検査は定期的に行われ、その都度ほとんどの子供たちは陽性反応が出るのです。陽性反応が出て虫下しの薬を飲むのを嫌がる子供たちに強制的に飲まされると、強い薬のようで見える物全てが黄色く見えて頭がクラクラするのです。一晩たつと白いミミズのような寄生虫がコウ門の近くまで降りてきて便といっしょに排せつされるのですが、始末に悪いのがサナダ虫で、頭に鍵状なものが付いていてそれが腸内に引っかかってコウ門の近くまで下りてこないのです。
子供たちは元気に飛びまわっていても栄養状態が極度に悪い影響で、絶えず粘度の濃い青い色の鼻水が両方の鼻の穴からズルズルと垂れてくるのをすすっては出てくる繰り返しなのです。栄養状態が悪いために、体力の低下が子供たちに感染症を発症しやすい状況にしているのです。子供たちは野山を駆けめぐって遊んでいると、どうしても転んでしまいすり傷や切り傷を負ってしまうのです。赤チンやヨーチンを塗るのですが、必ず傷口は化ノウをして炎症を起すのです。そんな時は、家の周りに自生している、「ドクダミ」や「ユキノシタ」の葉っぱを火でアブって患部に張り付けて一晩たつと不思議にウミが傷口から出て炎症が楽になるのです。
里山での生活では、ほとんどの人々は月に一度か二度くらいの頻度でしかお風呂には入れないのです。大量の井戸水を必要とする風呂桶「セイロオケ」にツルベで何回も水をくみ入れる労苦は大変であるのと、生活には絶対に必要とする水を井戸の底にためて置かなければ成らないからなのです。井戸の水に余裕があって久々にお風呂をわかした家では、となり近所にお風呂をわかしたこと知らせてまわり、入りに行ったり来たりの「もらい湯」の風習があるのです。毎日お風呂に入れない不衛生さの上にさらに着替える下着や衣服が少なく、お下がりのアカが浸み込んでツギハギだらけの衣服を何日も着ているのです。その下着と衣服や頭髪には当然のようにシラミやノミが寄生して、女の子は長く伸ばした髪の毛の根もとがシラミで白く見えるのです。シラミによる産卵や吸血で、あらゆる所の皮膚がいちじるしいカユミで子供たちや人々を悩ますのです。しかし、カユミ以上に人々を恐れさせるのが、シラミは発疹チフスなどの伝染病をバイ介をするのです。学校では子供たちが衣服を着たままの状態で、手押しの噴霧器で頭からDDTの粉剤をふりかけられ全身が真っ白になって殺虫消毒をされるのです。
里山に生まれる少し前の戦後の貧しい時代の死因は、呼吸器感染 胃腸炎 脳血管疾患 老衰なのですが、なかでも上位を占めるカッケと結核が二大国民病なのです。食物事情の悪化で多くの人を死に追いやったカッケという病は、ビタミンB一が不足することによって発症する病気なのです。重症になると、心不全で下肢のむくみがひどくなって抹消神経の障ガイによって、下肢のしびれが起きてしまい寝たきりになってしまうのです。結核という病は結核菌が人から人に感染することによって、主に肺に炎症を起こす病気なのです。栄養状態が悪く体力のない人たちに結核菌が簡単に伝染する結核は、死因のトップなのです。重症の結核患者を隔離して入院させる施設が少ないので、日常の暮らしで結核菌は結核患者のせきやくしゃみで飛び散り、それを別の人が吸い込むことで爆発的に空気感染するのです。家族のなかから結核患者が出ると、貧困で入院できなく在宅療養しているその家へ訪ねる人もなくなり、家族に幸せな縁組の話があっても病を理由に断れるのです。ほとんどの人は、結核菌に感染してもすぐに発病せずに結核菌は冬眠状態に入るのです。遠くになりつつある昭和の時代に、結核菌を吸い込んだ人たちが今になって発病しているケースが多く、そこから知らないうちに若い人たちに広がっているのです。結核は歴史上の病気でも途上国の病気でもなく、今に生きる日本人にも身近な病気なのです。
半年毎に回ってくる富山の薬の行商人は、家庭の置き薬の販売のルーツなのです。大きくて長くて四角い合わせフタ付二重行リの中に風邪薬 腹痛の薬 頭痛の薬など数種類いれて、「それじゃ~半年後にお伺いします」と置いていった越中富山の薬は、家庭の常備薬として大勢の里山の人たちを救うのです。置き薬がない家では発熱や腹痛を起こした時に、あわてて医者や薬屋がある町まで行かなければならないのです。多少に体調の悪い時はこの富山の置き薬の紙袋を開けて、子供から大人まで服用して治る頼りになる中身なのです。半年後に帳簿とつき合わせて使った分だけお金を払えば、次の分を置いて行くのです。子供たちは紙風船やゴム風船「タヌキ」などの、おみやげがもらえるのを楽しみに待っているのです。うわさを聞いて、家にも寄ってほしいと近所の家から声がかかって人気があるのです。陽のあたる当たる縁側「デンジモト」にどかっと大きな行リを置いて帳簿を片手に、閉鎖的な里山の人々の知らない世間に有った出来事の話しをしてくれるのが楽しみなのです。有名で人気の商品が「ケロリン」「六神丸」「トンプク」「熊のイ」などがあるのです。