里山の子供たちの遊び「初夏」7
里山の子供たちの遊び「初夏」7
奇麗に舗装された道路に、一円玉や十円玉が落ちていても見向きもされない現代なのですが、物のなかった時代の子供たちは小遣い稼ぎにクズ鉄を拾い集めるのです。くぎ一本空き缶一個でも真剣になって探し回るのです。ある程度の量をためてから、クズ鉄屋さんが来る時に売るのです。
壊れて鳴らなくなったラジオを見つけて来て、スピーカーの部品でU字形の強力な磁石を取り外すのです。初夏の直射日光に照らされて、むせるような草イキレが顔を包むデコボコの砂利道や空き地を、ヒモに括り付けた磁石を引きずり回して鉄ものをくっ付けて拾うのです。また、川の流れの中に何度も投げ込んでは、上流から流れついた空き缶やクギをくっ付かせて拾うのです。物のなかった時代にクズ鉄がお金になることを知った子供たちは、売る商品としてポピュラーなのが鉄クズ、価値があるのは銅、さらに値があるのが鉛なのです。子供たちが集めるクズ鉄は圧倒的にクギや空き缶が多く、次に針金の類やトタン板なのです。 皮肉なことに高価な銅や、真ちゅうなどは磁石にはくっ付かないのです。高価な金属ほど額に汗して探し回らないと、手に入らないところに世の中の巧みさを感じるのです。「赤がね」と呼ばれる銅は銅線で見つけるのがほとんどで、大きな送電塔や木製電柱下の草の根元をかき分けて、銅線の切れ端を真剣に探すのです。真ちゅう類を見つけて手に入るとうれしくて、その色模様の似ている金塊を見つけたような心境になるのです。なかには悪知恵をはたらかす子供もいて、空き缶の中に石ころをつめて通るトラックにひかせて重さを増やそうとするのです。しかし、大人のクズ鉄屋さんは全てお見通しで鉄クズを棒はかりで計って、石の重さを引いたお金を黙ってくれるのです。子供ゆえの幼い思いで、磁石はなんで鉄だけにしかくっ付かないのか不思議で悔しくて仕方なかったのです。
晩春から初夏へ移り変わる新緑の美しい里山は、「フキノトウ」「コゴミ」「ウド」「ぜんまい」「ワラビ」「タラの芽」「コシアブラ」「竹の子」など、さまざまな山菜が野山でたくさん採れる宝庫となるのです。なかでも里山で採れる竹の子は太いモウ宗竹ではなく、「姫竹 根曲り竹 細竹」と呼ばれて親指大の野山に群生する山竹の子供なのです。「姫竹の子」はモウ宗竹の竹の子と違いアクやえぐみが少なく、かすかな甘味があって味が浸みやすいのが特徴なのです。竹の子は雪の早く消える標高の低い竹ヤブから出始めると、里山の人たちは早速に採りに行ってくるのです。採れた竹の子は家族全員で手間のかかる皮むきと硬い節を抜いて、「ジャガイモ」「豚肉」「卵」「サバの水煮缶」「玉ネギ」を入れたみそ汁仕立の竹の子汁を独特の風味と食感を楽しむのです。
竹の子の採れる時期で子供たちが一番楽しみにしているのは、学校行事と地区少年団行事が合同で行う竹の子狩りなのです。その前日は、竹の子を採に山に行く為に学校が休みになるのです。地区少年団の子供たちは、朝から一斉に団長の家の前に集まって来て、上級生に連れられて竹の子を採りに山へ出発するのです。竹ヤブの竹は大人の背丈以上の高さで密生していて、太い竹と竹の間に足や体が挟まれると身動きが取れなくなるのです。まわりに居る子供と離ればなれにならないように、先導する上級生のお尻の後にくっ付いて竹ヤブの中を必死に這いつくばって前進するのです。枯葉が厚く折り重なって、フカフカになっている土からニョキニョキと鬼の角のようになって突き出ている竹の子を探すのです。竹の子を見つけると、根元付近に指を土の中にさし込んでギュっと音をたてながら折って採ると実に爽快なのです。土に隠れていた部分は赤い皮で、伸びた地上部はみずみずしい緑色をしているのです。一本一本採れた竹の子は、腰の前に帯ヒモでぶら下げた袋前掛けに入れるのです。みんなで採って山積みされた竹の子は翌日の竹の子狩りに使う分を残して、後は里山の家庭に安価で買ってもらうのです。そのお金で、肉やサバ缶と玉ネギを買う為に使うのです。夜は団長の家に集まり、竹の子の皮むきと節取りをすませてから下ゆでをして翌日の準備をするのです。
当日も朝から少年団長の家の前に全員が集まり、大鍋やマキに竹の子汁の材料を子供たちが分担して持って行く用意をするのです。それと一緒に、それぞれの母親が思いを込めて作ってくれた、大きな梅漬けの入った真ん丸で真っ黒なノリで包んだ爆弾オニギリとオワンを小さな肩に背負って出発するのです。会場になっている草原へと向って行く途中のまわりは、肥よくな土をおこしたばかりの畝跡が、うねって続くのどかな畑の中の草だらけの細い道をゴム長靴の音をさせながら一列に繋がって行くのです。道の合流点で、顔見知りの少年団旗を誇らしげに掲げて歩いてくる子供たちと一緒になって会場に着くのです。草原には早くも石で造ったカマドから煙を上げている少年団もあって、早く自分たちも枯草で覆われてわかりづらい昨年のカマドを焦りながら探すのです。一少年団に二十人ほどの子供たちが居て三十団体の子供たちが一斉に露天で煮炊きをするのですから、新芽が未だ淡い初夏の日差しで乾燥して枯れた草原では、山火事を起こさないように気を付けることが必要なのです。上級生は、陽射しで炎の見えづらいカマドの火が枯草に燃え移らないように最善の注意を払いながらマキを燃やして、下ごしらえをしてある材料を大鍋に入れて竹の子汁を作るのです。昼ごろにはそれぞれの少年団が思い思いの味をつけた竹の子汁が良い匂いをさせて出来上がると、学校のお気に入りの先生を招待してくるのです。子供たちは枯草のジュウタンの上で大鍋を囲み大きな爆弾オニギリにかぶりつき竹の子汁のおかわりをして、強い初夏の日差しの下で楽しく食べるのです。
里山の残雪が残る険しい山岳へとつながる山には、初夏から秋にかけて実のなるいろいろな木が生い茂っているのです。「山さくらんぼ」「桑の実」「木イチゴ」「山柿」「クリ」「アケビ」「サルナシ」「山ブドウ」「クルミ」などさまざまな実を採って食べるのです。絶えずおなかのすいている子供たちは、実の熟するのが待ちきれずに青いうちに口にするものもあるのです。未成熟の実は固くて渋くて酸っぱいのですが、それをガリガリかんで食べるのがそれなりにうまいのです。熟している山ブドウでも最初は甘くて夢中になって食べると舌がブドウ色に染まり、後になってヒリヒリと痛くなる酸っぱさはじん常ではないのです。舌が染まるといえば山桜の実もそうなのです。山桜の花が咲いてやがて花が散ると、青い小さな粒が顔を出すのです。その実が赤くなって熟すると木に登って食べるのですが、舌が紫色というより真っ黒になり指まで黒く染まるのです。秋のアケビや山柿など熱したものは、それぞれに独特の甘さと風味があって柔らかくぽたぽたしていてすごくうまいのです。
大きな麦わら帽子を被って白いシャツを着たおじさんが、夏の陽に照り返されて乾ききった街道を、「チリリン チリリン」と学校の用務員さんが授業開始に鳴らすベルと同じ音としもに道の曲がり角から現れるのです。キャンディーと染め抜いたのぼり旗を立てた自転車を押してやってくる、アイスキャンディー屋さんは夏の風物詩なのです。荷台の水色の四角い木製のアイスボックスには、カラフルな円柱状の氷に割りばしの刺さったアイスキャンディーがぎっしりと詰まっているのです。ケーキや甘いお菓子などのなかった時代に、アイスキャンディーは夏の火照った体を癒やしてくれる冷たくて甘いおやつなのです。木箱の内部はトタン板の貼った魔法瓶のような二重構造になっていて、内部は断熱材としてオガクズなどが詰めてあるのです。 おじさんのアイスキャンディーの作り方は、高級品で砂糖が手に入らない代わりにサッカリンを水で溶かして甘味を付け、イチゴ レモン メロン のエッセンスで香りを付けて、着色剤でそれなりの色に染めてガラスの容器で凍らせたものなのです。真夏のゆだるような暑さの中で、冷たくて固いキャンディーをなめてかぶりつくと、それぞれの果汁の甘味と香りが口中にしみわたり忘れられないうまさなのです。