里山の子供たちの遊び女の子「春」5
里山の子供たちの遊び女の子「春」5
里山の女の子は、男の子の遊びのように攻撃的で活発ではなく、静かにゆったりと遊べる点にあるようなのです。
まだ春寒の残っている冷たい空気の中に、何やら芽や花のにおいが交じっている外は朝から雨ふりなのです。そんな日でもいつもいる軒下にはだれも遊んでいなくてつまらないと思っていたら、半開きの玄関の粗末なシミだらけの障子戸の奥で子供の遊ぶ姿を見つけたのです。小さな裸電球のともる薄暗い土間で女の子たちがポーン、ポーンと軽やかに「紙ふうせん」をついて遊んでいるのです。紙ふうせんの遊び方にとくにルールがあるわけではなく、二~三人で交互に手で突いて地面におとさないように遊ぶのです。紙ふうせんの小さな穴に口をすぼめて空気を吹き込んでふくらますと、中に細かく切った紙きれが入っているものもあるのです。手のひらや甲で突かれて空中に舞い上がるたびに裸電球の灯りを逆光にうけ、影絵のチョウか小鳥が群れ飛ぶように見えるのです。 女の子達は、言葉少なく夢見るように、それぞれの思いを持ってメルヘンの世界に遊ぶのです。紙ふうせんわ、家庭配置薬の交換に毎年来る富山の薬売りのおじさんに貰ったものなのです。
春の陽の当たる縁側や板の間に何人かの子供が集まって良くする「おはじき」遊びは、丸い平たいガラス玉のおはじきをバラバラになるように床一面に広げるのです。バラバラにしたなかから二個のおはじきを選んだら、みんなにこれとこれだよと宣言をして二個のおはじきの間を床につけた小指で線を引くように通すのです。選んだおはじきの一つを人さし指でパチンとではじいて、もう一個のおはじきに当てるのですが、当たらなかった場合や選んだおはじき以外に当たった場合は、アウトになって次の人の番になるのです。はじいたおはじきと当てられたおはじきの間を小指が通れば当てられたおはじきを貰えるのです。二つのおはじきがくっついているのや、隙間が狭くて小指を通す時におはじきに当たってしまったら、アウトになってしまい次の人の番になるのです。当たると何回もはじけられて一番多く取った女の子が勝ちになるのです。おはじきは、ただの緑がかったガラス色のものか、それにちょっと色が混ざっていて格子の押し型がついたものが主流なのです。透明なガラスの中にどうやって色をつけたのか不思議で仕方がなかった思いがあるのです。日本でおはじき遊びが行われるようになったのは奈良時代のことで、最初は宮廷の中での大人の遊びだったのが、江戸時代に女の子の遊びとして発展したそうなのです。おはじきをお日さまの光に照らすと、キラキラ光って奇麗なのです。
「あんたがた どこさ ひごさ ひごどこさ くまもとさ くまもと どこさ せんばさ せんばやまには たぬきが おってさ それをりょうしが てっぽで うってさ にてさ やいてさ くってさ それを このはで ちょっと かくす」
「一かけ二かけて三かけて 四かけて五かけて橋をかけ 橋のらんかん腰を掛け はるか向こうをながむれば 一七、八の姉さんが花と線香を手に持って 姉さん姉さんどこゆくの 私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘です 明治十年三月に 切腹なされし父上の お墓参りにまいります お墓の前で手を合わせ なむあみだぶつと拝みます」
いろいろな歌にあわせて、小豆や大豆や数珠玉を入れた色鮮やかな布の小さな袋、「お手玉」を順に投げ上げて、左手で受け、右手に移して素早くまた上へ。空中のお手玉を二つ、三つと多くして、スピードを競う遊びなのです。他には、おさらい、お手のせ、おはさみ、などがあって手の甲にのせたり五本の指の間にはさんだりで、どれも歌に合わせて女の子たちが遊ぶのです。
昔からの馴染み深い遊びの「綾とり」は、一本の毛糸を端と端を結んで輪にしたものを両手の親指と小指にかけ、中の三本の指を使ってかけたり、はずしたりしながら、いろいろな物の形をつくる遊びなのです。ほうき、はしご、富士山、東京タワー、舟…と、ふたりが交互に受けとりながら、アイデアをこらす指先の器用な女の子たちならではの遊びで、高度な技になると口や足の指、ひじ、ひざを使うこともあるのです。