雪降りの峠、春遠からじ2
雪降りの峠、春遠からじ2
冬の後半二月中ころになると、毎日降り続いた雪も落ち着きだすのです。日中の強い日ざしが真っ白な雪の原に反射してまぶしい日が多くなるのです。雪の降る毎日でお日様を浴びる機会の少なかった子供たちは、顔を真っ黒にさせて自然の恩恵である紫外線をいっぱい浴びて、体内のコレステロールから合成されるビタミンDを補い骨が変形する「くる病」にかからないよう活発に外で遊ぶのです。サングラスなんて物がなかった時代なので日ざしの強い日に長時間にわたって外で遊んで居ると、紫外線の影響で目が炎症を起して「ユキメ」赤い眼になり涙が止まらずゴロゴロとするのです。そのうえ家に入ると、囲炉裏で燃やすマキの煙が家中に充満していて目がしみて痛いのです。
これまでにかやぶき屋根の雪おろしをなん回子供ながら手伝いをしたのだろうかと、思い返しながらわが家の屋根を見あげるのです。屋根に残っている雪が暖かな日ざしと気持ちのいい南風に吹かれて溶けだした雪どけ水が、軒下のカヤの先端にできた小さな「ツララ」から「ポトポト」と水滴となって連続しながら落ちて積った雪に穴を開けていくのです。その風景と水滴の落ちる音を聴きながら春風の匂いを嗅ぐとやっと待ちに待った春がきたと感じるのです。冬の寒さが厳しかったほどに春の訪れが待ち遠しかったのです。そして太陽の暖かさが素晴らしく感じられて、早春へと変化を始めた風景を見ているだけでも心のやすらぎを覚えるのです。雪の里に住む人たちだけが味わうことのできる春の喜びなのです。
春が近づきだすと畑も野原も何もかも全てを被いつくした雪の表面は、日中のお日様の暖かい光で綿あめをつぶしたように水分を多く含む雪に体積を減らすのです。日が沈み、夜の気温の低下で冷された表面の雪は固く氷結して、朝になると「カンジキ」を着けなくても雪の原に足がうまらない硬さになるのです。うまらなくなった雪の原を自由自在に歩くことを「しみ渡り」と呼ぶのです。どこまでも続く起伏のある白い平原になるのです。雪の降るあいだ家に閉じ込められていた子供たちは、しみ渡りをして行動の範囲が広くなった雪の原を思いっきり遊べる開放感を満喫するのです。家からわずかな距離にある林の遊び場に何カ月も行けなかったのが、しみ渡りで子供たちは駆けっこをしながら苦もなく行けるのです。
杉の木の枝に積もった雪が春の暖かさで落ちるのを待っていた子供たちが、まず作って遊ぶのが空中の秘密基地作りなのです。杉の木に器用に登って同じ高さで放射状に伸びた枝を何本かをワラ縄で一カ所にたぐり寄せて枝が平らな床になるように縛り、杉の葉を敷いて空中の秘密基地の完成なのです。同じように集落の違う子供たちも違う林に自分たちの秘密基地を完成させてから、よその基地を奪おうとして襲撃してくるのです。
防戦の武器として杉の葉の先端に花が咲いている枝を折って束ねたものを投げると黄色い花粉が煙のように舞い上がるので爆弾と称して、敵側となる木の下にいる子供たちをめがけて投げつけるのです。自分たちが作った秘密基地を奪われないように杉の木の周りには深さ一メートルくらいの落とし穴を掘るのです。穴の気配を悟られないように雪のフタを被せて、敵側の子供たちを穴に落して容易に秘密基地に近寄れない防御もするのです。
攻防の決着がつかないときは空中の秘密基地から降りて、敵側との勝負は雪玉割「カチクリ」で争うのです。雪を両手で丸くできるだけ硬くにぎった雪球をさらに木に強く押し回して硬くすると、雪が溶け出して水が滴り落ちてきたら雪球に新しい雪を被せて丸く固めることを数回繰り返し十五センチくらいになったら合戦の開始なのです。相手の雪玉と自分の雪玉をぶつけ合い、最後の真まで割れた方が負けとなるのです。
林の中には杉の枝に積もった雪が地面に繰り返し落ちて、なん個もの雪の丘になっているのです。その丘と丘をつなげるために、雪のなかに一メートルくらいのトンネルを曲がりくねりながら掘りつづけるのです。当然に重要なのは掘り進むなかの雪をどうやって外に運び出すのかが知恵比べなのです。途中の丘のところでドームに掘ってそのなかに明り取り用の小穴を作るのも、子供心の怖さのから逃れるための工夫なのです。
子供たちが遊ぶ林の中には「山の神」が祭ってあるのです。小さなホコラでは神主から毎年に祝詞を上げてもらう、春一番の恒例の行事がおこなわれるのです。山の神様なので昔から神事を執り行う前に山仕事の目的で山に分け入っては行けない決まりがあるのです。行事の前は真冬の最中で天候のあれる日が多く、厳しい状況の時に無理を押して奥山に入ると遭難やけがの危険性が高いからなのです。山で事故が起きないことの祈願と里人たちへの一年間の健康を祈り、大自然に逆らわずに無理をしないで安全に生活できるように山の神様にお守りしてもらうのです。
神事が終わると大人たちは、秋に伐採して奥山に置いてある丸太や束ねた柴木「ボヨ」を雪のなかから掘り起こすのです。先端が反り返った自然木を二本にひき割って同じ形の長い角材に加工して、丸太で荷台を組んだ大型のソリを引っ張ってしみ渡りをしながら奥山に入るのです。掘り起こされた丸太や柴木はソリの荷台に山盛りに積み上げて乗せ、下り斜面を二~三人の家族で雪の原の最短距離を直線で何度も往復して運び出すのです。長い厳しい冬で使い果たそうとしていたマキやたき付けの柴木をわが家の燃料に使って、余分は山に入らない人たちに販売もするのです。
現代の子供たちは テレビ ゲーム パソコン など家の中での遊びが多くなったことで、自然を相手にした手作り遊びの必要がなくなったのです。思い返せば、その当時の子供たちはすごいと思うのです。大人に頼らずに子供たちだけで知恵をだし合い、過酷でつらくて長い冬を楽しみながら生き抜いてきたからなのです。子供たちは大自然を味方につけて、そのなかにあるいろんな物をうまく作って使う遊びの天才なのです。