里山の晩秋の風景1
里山の晩秋の風景1
遠く上古の時代から、越中との国境に近い越後の日本海岸より数十キロ内陸部に入った信濃との国境付近は、雪の多さと渓谷の険しさで街道を歩いて旅する人たちにとって最たる難所の地でもあるのです。
旅人が歩く街道には安全と距離の区切りを知らせる一里塚が設けられていて、宿場まで歩く時間の目安となっているのです。また、街道脇には松の木が植えられていて、夏の暑い日差しをやわらげてくれる日陰をつくり休息の場としてつかい、冬は吹雪で宿場まで遭難せず道を踏み外さない誘導する意味合いとして街道の両脇のところどころに植えられているのです。往時の加賀街道と呼ばれた北国街道は、参勤交代の往来でこの街道を多く利用した加賀の殿様や行列に従う家来達も松の枝の日陰に恩恵を被った事と思われるのです。
古の密教修験行者僧が崇拝して止まなかった信仰と修業道場でもある険しい霊山(須弥山)が、山頂に鎮座する奥の院から下界の全てを包み込んで見下ろすふもとに有る宿場町が生まれ育った里山なのです。突き固めた砂利道は、北風に砂ぼこりが舞い立って曲がりくねりながら続く街道沿いに建ち並ぶ家々のかやぶき屋根に青いコケや草が生えたのやら、カヤが抜け落ちて雨漏りでもするのか急場しのぎにトタン板を被せた屋根もあって、それぞれに息衝いた民家が寄り添うように軒を連ねて冬将軍の到来に備え静まり返っているのです。寒さが厳しくなったので囲炉裏「ヨロリ」の火床に火を燃やし出したのか、それとも早い夕食の用意の為にカマドに火をつけたのか、民家の軒下の隙間から青白い煙が何軒からか立ち登って冷たい空へと吸い込まれていくのです。
冬の日本海の暖かい海水が、シベリア大陸から吹く冷たい風によって水蒸気をたっぷり抱え込んだ雲の冷気は、霊山(須弥山)にぶつかり多量の雪となってふもとの里山に降り積るのです。雪を落として身軽になった風は、信濃の国を凍てつかせて遠く上州でカラッ風となるのです。