「人を騙すキツネ」と信じて疑わなかった頃5
「人を騙すキツネ」と信じて疑わなかった頃5
半矢の野ウサギを追いかけながら、気持ちに余裕がでてきた息子が何かが変だと気が付くのです。普通に考えれば小さな林だから少し歩けば林を突き抜けて雪の原に出ても良いはずなのと、失血している野ウサギに体力がそんなに残っているはずがないと思ったその瞬間に、息子に疲れがどっと体中に押し寄せてきて雪の上にへたり込んでしまったのです。追いかけることにタバコを吸うことさえ忘れていた息子は、タバコにマッチで火をつけて大きく吸い込みホットひと息をつくのです。紫煙のうまさに誘発されてか非常に空腹感を覚えて、思い返すと小さな林に入る前におにぎりを食べるか迷ったのだが、時計を見ると正午の少し前でもあり野ウサギに追いつくのにわずかな時間で済むはずだろうと思いそのまま追跡をはじめたのです。
真っ黒なのりで包んだ大きなおにぎりを食べ終わった息子は、汗をかいたためか少し寒さを感じて太陽の沈む西の山を見たのです。すると、杉の木の影が長くなっていてお日様が今にも山の白いりょうせんを赤く染めながら沈もうとするところなのです。正午の少し前に小さな林に入ったはずなのに、なぜうす暗くなるまでの長い時間をこの小さな林の中に居たのだろうと不思議な気持ちになったのです。息子は食後のタバコを吸い終わって気が付いたのが、早く家に戻らないと不慣れな猟で銃が暴発してけがをしているのではないか、雪崩に巻き込まれて動けなくなっているのではないかと老猟師が心配していると思い腰を上げるのです。
立ち上がってなに気なく林の雪面を見ると、なんと、息子が歩いた「カンジキ」の足跡と野ウサギの血がなん重にも渡って同じところに無数に付いているのです。足跡を追いかけている途中でも目に入らなかったのか気が付かなかったのか、息子は自分の回りでなにかが起こっていたのかがく然として林の光景を見入るのです。傍らには射止めた野ウサギを入れたリュックが外側まで血でぬれてにじみでていて、リュックを持ち上げると血が滴り落ちて雪を点々と赤く染めるのです。息子はリュックの自から滴り落とした雪の上の血を半矢の野ウサギと思い込み、夢中になって追いかけていたのです。正体の知れない恐怖に駆られた息子は、早々に林から抜け出して朝きた雪の原につけた自分の足跡を頼りに、うす暗くなりかけた雪明りのなかを足早に帰るのです。
家に戻った息子は、老猟師に午後に遭った不思議で恐ろしかった出来事を報告したのです。話を聞いた老猟師が言うには、小さな林は昔からキツネ林と言って一人で猟に行く場合は絶対に入ってはいけない老キツネの住処としている林だと言うのです。なん日も吹雪が続いてキツネ林の老キツネも餌に飢えていたとみえて、息子が背負っているリュックの中の血を滴らした野ウサギをなんとか奪おうと必死になっていたのだろうと言うのです。猟に夢中になりすぎてわれを忘れている息子は、いとも簡単にだまされたと注意もされるのです。なぜ老キツネにだまされなくて野ウサギを取られなかったのかは、老キツネが一番嫌うタバコの臭いで息子をだますことがそれ以上にできなくなって諦めたのだろう、また、タバコを吸ったことで息子が覚醒してわれに帰ったことが幸いしたとも言うのです。
息子があのまま老キツネにだまされながら夢中になって野ウサギを半矢と勘違いして追いかけていたら、自分の体力を使い果たして夜の雪の原でどうなったかを考えると、息子は自然の怖さと恐ろしさに身を持ってしったのです。里山の人も野生の動物も大自然界の厳しい条件下でいかに空腹を満たして生き抜いて行くのかを常々に考えているのです。恵みを与えてくれる山や川と共存と共栄しながら先人の知恵や技を受け継ぎ、里山でのゆっくりと流れる時間の中で生活していくのです。