~水辺の約束~
呪文の降りたつところ。1 ~水辺の約束~
水面に浮かぶ、まあるい月。
柔らかな緑に囲まれた湖の辺で私は踊る。
本当は歌も歌いたいけれども、見つかってしまったら怒られてしまう。
こんな夜中に森に出てはいけない。散々言われてきた言葉だ。
けれどもこの時間でなければこんな素晴らしいステージにはなってくれない。
くるくると廻り、ステップを踏む。
少し腰を落として水平にステップを刻み、軽くジャンプしてふわりと音を立てないように着地する。
舞踏会で踊るようなものではないけれども、私はこういった踊りの方が好きだった。
そもそも、舞踏会なんて私にとっては噂に聞く程度のものでしかないのだけれども。
「でも、一緒に踊ってくれる相手がいたら、もっと楽しいだろうなぁ」
こんな森の中じゃ、無理なんだろうけど。
口から零れてしまった自分の呟きに苦笑しつつも気を取り直してステップを刻む。
軽やかに、風のように。
しばらくそうやって踊っていたのだけれど、少し疲れたので休憩しようかと思って足を止めた。
その時。
パチパチと拍手の音がした。
びっくりして振り返ると水辺に知らない男の人がいた。
「ああ、すまない。驚かせてしまったかな」
その人は水辺に佇んだまま、少し困ったように笑った。
踊りに夢中になっていたから気づかなかったのかな…?
「ありがとうございます。でも、こんな時間に森にいるのは危ないですよ?」
「それは君も同じなんじゃないかな」
くす、と男の人が微笑む。綺麗だな、と思った。
「私の家は近所なので大丈夫です」
夜は外に出るなと五月蝿いくらいに言われているのだけれども。
ふぅん?と少し笑うような感じで首を傾げて。
それからおもむろに、私に手を差し出した。
「え、っと…?」
意図がわからずにその手の主の表情を伺う。
「せっかくだから、一緒に踊ってくれないか?」
「…ぇ」
私は困ってしまう。
だって、一緒に踊るためのステップなんて、私は知らない。
私が手をとるのを躊躇っていると、男の人が優しく微笑んだ。
「いいものを見せてくれたお礼だよ。大丈夫、僕がリードするから」
おずおずと手を伸ばして差し出された手に重ねると、きゅっと手を握られてしまった。
自分のものよりもずっと大きな手に、どきりとした。
「そうだな、君の足を僕の足の上に乗せてしまってくれるかな」
腰を抱き寄せられながらそんなことを言われた。
今更だけれども、こんなに密着した状態なんて恥ずかしい。
やっぱりお断りしようと思って体を引こうとしたら。
「逃がさないよ、妖精さん」
ふわり、と体を持ち上げられた。
半ば抱きかかえられるようにしてステップを刻む動きと一体化する。
なんだか変なことを言われた気がしたけれども、自分の知らないステップを、それも自分の意思で刻むのではなく体験する感覚は、とても新鮮で、不思議で
、そしてなによりも楽しかった。
やがてステップを刻む動きが止まる。
私は男の人を見上げてお礼を言った。
「ありがとう。とても楽しかった」
にこ、と笑いかける。
けれどもその人はなぜか押し黙ったままだった。
しかもステップを刻むための、密着した体勢のまま。
「あの…」
放してもらえますか、という前に、男の人が呟いた。
このまま僕の国に連れて帰ってしまおうか、と。
私は思わず体を強張らせた。
急にこの人のことが怖くなった。
人攫い、という感じはしなかった。
むしろあまりに綺麗で、人ではないもののように思えた。
そういえばこの人はどこから来たんだろう。
こんな深い森の中に、こんな時間に、どうやって。
そんなことを考えていると、ふ、と笑うような気配がして、私はそっと地面に降ろされた。
するり、と腕が離れて解放される。
「冗談だよ。さ、もうお帰り。でないと本当に攫ってしまうよ?」
くすりと微笑むその姿はとても綺麗で。
思わず一瞬見とれてしまったけれども、ぺこり、とお辞儀をして男の人に背を向ける。
少し歩いたところでなんとなく振り返ると、微笑んで私を見ていた。
かける言葉を見つけられずにいると、一陣の風が吹き抜けた。
また、ね。
距離があるはずなのに、なぜかその声は耳元で囁かれているかのように聞こえた。
月光は静かに降り注ぎ、水面はただその姿を縫いとめる。
それは水面が月を傍に留め置きたいと思ったからなのか。
それとも月が水面に降りることを選んだのか。
月は空から静かに光を降らせ、水面にはただまあるい月が浮かんでいた。
そんなに長い話にはならない予定なのですが、はっきり何話くらいで終わるという目処も立っていない状態です。
恋愛要素を強く出していく予定ですので苦手な方はご注意くださいませ。