結婚
新たに中隊長になった俺が、まず始めに成すべき事は、自分の部下の掌握である。
戦場で死なない為の、絶対条件だ。
しかも、時間的猶予はあまり無い。
現在、王国の領土は、過去最大になっているが、辺境の地は、まだまだ不安定で、先日の敗戦が、その情勢に拍車をかけている。
近い内に、反乱が起きる可能性が高い。
それまでに、部下達が、俺の命令を聞いてくれるようになるか不安だったが、意外にも彼等は、俺に協力的だった。
最初の実戦までは、様子見と言ったところであろうか?
「戦場に向かう事を恐れるような連中は、此処には居りませんが、皆は内心、生きて戻りたいと思っているのです。その点、隊長の下に居れば、生き残れる可能性が高い。」
部下の一人であるマウアーという男が、兵士の本音とやらを呟く。
『生きて戻りたい』という思いだけは、上官も部下も同じという訳か。
「しかし、自分には実績が無いが…。」
「実績?実績なら有るじゃないですか。『不死身』という実績が。」
団長が吹聴した、『不死身のランドルフ』という、あまり有り難くない異名は、少しは役に立っているようだ。
不死身の人間など、居るはずもないのだが、今は、その異名を利用すべきであろう。
「『不死身のランドルフ』の奥方になる女性は、軍人の妻でありながら、未亡人になる可能性が低い。そこで、娘を優秀な男に嫁がせたいと願う父親として、隊長に確かめておきたい事があります。私には、10歳になる娘がおりますが、隊長の奥方の席は空いておりますか?」
「いや、それは…。まだ10歳なのだろう?」
「10年も経たない内に、釣り合いが取れるようになります。ああ…、そういえば、隊長には公爵令嬢がいるのでしたな。失礼致しました。」
誰が吹聴したか知らないが、こちらの噂は、早急に打ち消さねばならない。
何処の馬の骨とも分からない男が、公爵令嬢と結婚する訳がないのだから。
それは、相手が伯爵令嬢であっても、同じ事が言えるのかも知れないが…。
* * *
「ランドルフ、お前の方はどうだ?」
「まあ、何とかなりそうです。」
辺境の情勢が、抜き差しならなくなって来た頃、ミュラー殿下に、「たまには付き合え」と言われ、酒場に繰り出した。
お互いの近況報告などを肴に、酒を酌み交わすが、殿下の本題は、別のところにある気がしていた。
「そういえば…、俺の兄上が、婚約されるそうだ…。まだ、内々の話だが、お前には言っておこうと思ってな…。」
これが、本題なのか?
「それは、おめでとうございます。」
「まあ、確かに、めでたい事ではある…。大多数の人間にとってはな…。」
口振りからして、殿下は何故か、少数派の側のようである。
「お相手は?」
「それが…、マインツ伯爵令嬢…だ。」
「えっ…。」
殿下の話によると、少し前から、王太子妃選びが始まっていたそうだ。
王太子殿下の御歳23。
それに釣り合う年代である、数人の貴族令嬢が、候補に上がった。
その筆頭は、21歳のフランツ公爵令嬢だったようだが、公爵家は断ったそうだ。
「当家は婿養子を貰わねばならぬ故。」という理由らしい。
そして、次点であった19歳のマインツ伯爵令嬢に、白羽の矢が立ったそうだ。
マインツ伯にとって、娘の夫に相応しいのは、出自のはっきりしない傭兵より、王太子の方であるのは、誰の目にも明らかである。
「マインツ伯も、一度は断ったそうだ。しかし、こちらは認められなかった…。大方、宰相であるブラウミッツ侯辺りが、暗躍したのであろう。今回ばかりは、マインツ伯の人の良さが仇となったな…。」
殿下の推測によると、公爵家が断ってくるのは、予想出来ていたらしい。
但し、形式上、無視する訳にはいかない存在である。
公爵家の現当主は、国王陛下の従兄弟であるから、家柄は申し分ない。
そのご息女を無視して話を進めたとなると、公爵家の立場、並びにご息女の自尊心を傷つける事になる。
もし、断られなくても、それはそれで問題ない。
しかし、伯爵家令嬢の方は話が別だ。
野心が無く、人の良いマインツ伯は、王室の外戚としては理想的な人物である。
始めは、断られるとは思っていなかったらしいだけに、宰相達は大慌てである。
更に次の候補になると、野心を抱えた外戚が、漏れなく付いて来る。
そこで、宰相が暗躍したのであろうという事だった。
最初から、マインツ伯爵令嬢に決まっていたのだ。
「すまない…、ランドルフ…。」
「ミュラー様が謝る事ではございません…。」
漸く、話が繋がった。
手紙の返事が、来ない理由が…。
「早まった真似はするなよ。」
「ご心配には及びません…。そこまで、熱い男ではございませんので…。」
俺は、作り笑いを浮かべる事が出来ていたであろうか?
* * *
程なくして、マインツ伯の使いが、俺の元にやって来た。
傷病見舞金と称した手切れ金を持って…。
意地を張って、突っ返そうとも考えたが、マインツ伯の「申し訳なかった」という伝言を聞き、貰っておく事にした。
マインツ伯が、打算や計算でなく、今回の事を決めたという確信を得たからだ。
この方が、マインツ伯だけでなく、シャルロット嬢にとっても良いのだ…。
そして、王太子殿下の婚約は、発表された。
敗戦により、沈みがちだった国威高揚の意味合いを込めての発表であろう。
ご成婚は、国内情勢が落ち着いてからという事になりそうだ。
俺はというと、とても吹っ切れたと言える状態ではなかったが、それを、表立って見せる訳にはいかない。
俺は軍人であり、多く部下の命を預かる隊長なのだから…。
* * *
幾つかの反乱を鎮圧した一年程後、俺は大隊長昇格の辞令を受ける為に、団長に呼び出された。
「ミュラーのような指揮官は、確かに優秀ではある。だが、ああいった指揮官は、他にも大勢いる。しかし、お前のような指揮官は、この上なく貴重だ。お前の部隊の生還率は、群を抜いているのだからな。よって、『不死身のランドルフ』のおこぼれに与れる兵士を、一人でも多くしようという訳だ。」
「はっ、より一層の精進を誓います。」
指揮官としての実戦を積み、多少なりとも自信がついた今、出世出来るのは喜ばしい事である。
俺にも、それなりに出世欲はあるし、又、給料が上がるのだから、喜んで貰っておこう。
「しかしだ…。お前に、一つだけ、忠告せねばならん。お前のように、指揮官が、真っ先に敵陣に斬り込んで行くのは構わん。だが、お前自身の生還も考えろ。若いのに死に急いでどうする?本当に自分は不死身だと、思っている訳ではあるまいな?」
「自分は、血の通った人間です。『不死身』という話は、団長が…。それに、考え無しに斬り込んでいる訳ではないのですが。」
「俺には、そうは見えないという事だ。以前にも言ったが、お前には、何れ、兵団を預かる立場になって貰わねばならん。ミュラーが国軍司令部に転属になった今、俺はお前に、大いに期待しているのだ。」
「それは、団長の買いかぶり過ぎです。」
「俺は、一団を預かる立場の人間として、人を見る目は、最低限、あるつもりだ。見込みの無い奴に、こんな事は言わん。」
指揮官としての初戦は、確かに、無謀とも言える突撃をしたかも知れない。
しかしそれは、若い指揮官が、歳上の部下を掌握する為に必要な事だったのだ。
考え無しに突っ込んだ訳ではない。
今は、無謀な突撃などしなくても、歳上の部下達は、付いて来てくれるようになった。
「お前にも、帰るべき場所が出来れば、考えも改まるであろう。お前は幾つになった?」
「20歳になりましたが?」
「そろそろ、結婚を考えてはどうだ?相手はいないのか?お前のような男なら、引く手あまたであろう?」
「それが中々、相手が見当たらず…。」
二人ほど、心当たりがあるにはある。
しかし、一人は、二度と手の届かない相手だ。
そして、もう一人は、顔も知らない少女だ。
こちらは、その娘の父親の戯れ言に過ぎないであろう。
「俺は、兵団内に流れているお前に関する噂が、真であっても、一向に構わないぞ。」
「『不死身の』という噂と、俺自身の結婚相手にどういう関係が?」
「違う。『公爵令嬢が』という噂の方だ。」
そう言って、団長はニヤリと笑った。
「根も葉もない噂です…。」
「ところが、そうでもないようだぞ。」
「はっ?」
あの日以来、自身の結婚について考える事は止めていた。
俺みたいな男が、結婚して幸せな家庭を築くなど、無理な話である。
仮に結婚しても、新たな未亡人を生み出すだけである。
* * *
奮戦の甲斐あって、国内情勢が、漸く落ち着いた頃、王太子殿下と、マインツ伯爵令嬢のご成婚式典が、盛大に執り行われた。
王太子殿下は、御歳24、王太子妃は、20歳。
偉丈夫の家系である王室の太子と、眉目秀麗な伯爵令嬢の二人は、誰の目に見ても、お似合いであった。
式典には、俺の意思とは関係なく、近衛兵団は、大隊長以上の指揮官の出席を義務付けられ、席の末端から、複雑な思いで式典を見守った。
最近は、考える事も少なくなっていたが、事実を目の前に突き付けられると、胸が締め付けられた。
* * *
「次期近衛兵団の団長には、俺がなるつもりでいたが、その席はお前に譲ろう。」
「俺に、そんな気はありませんよ。死ぬ前に連隊長ぐらいになれれば、ミューゼル家の先祖に顔向け出来るという程度の出世欲はありますが。」
「20歳で、近衛兵団の大隊長が何を言う。あと数年で連隊長ではないか?団長の覚えも、めでたいであろうに。」
式典後、ミュラー殿下に呼び止められ、暫し、歓談をする。
殿下は、俺の様子を伺っているのは明白だったが、核心部分には、一切、触れてこない。
「これは、ミュラー殿下、お久し振りでございます。」
その最中、一人の貴族令嬢が声をかけて来た。
「これはこれは、フランツ公爵家のフェリス嬢。益々、お美しくなられましたな。」
「またまた、心にもない事を。煩いのが来たと思っているのでしょう?」
公爵令嬢は、俺を一瞥しながら、ミュラー殿下に憎まれ口を叩く。
二人の邪魔をしては悪いと思った俺は、二人の前を辞そうと思ったが…。
「あっ、そうだ、こんな場所で油を売ってる場合ではなかった。フェリス嬢の相手は、私の友人、ランドルフ・ミューゼルがする故、失礼!」
どこか芝居掛かったセリフを残した殿下に、貴族令嬢の相手を押し付けられてしまった。
「お久し振りです、ランドルフ様。あれから、夕食にお誘いしても、一度も、いらっしゃってくれませんのね…。」
「大変失礼を致しております。何分、以前より時間を取るのが難しくなった身ですので。」
『お父様の盾』から、『ランドルフ様』とは…。
俺も、随分と出世したものだ。
「又、出世なさったそうですね。父がよく申しております、『次期兵団長はランドルフだ』と。」
「自分は、そこに辿り着く前に、戦場で朽ち果てる運命でしょう…。自身では、そんなつもりはないのですが、周りからは、生き急いでいるように見えるそうで。」
「でも、『不死身』なのでしょう?」
「不死身の人間など、居りません。自分は、"怪物"ではなく、普通の人間ですので。」
フェリス嬢も、俺の様子を伺っているような感じがした。
こちらの方は、それが何故なのか、分からなかったが。
途中、団長が俺の視界に入って来たが、フェリス嬢と話している俺を見ると、ニヤリと笑い、踵を返して、何処かへ行ってしまった。
「では、そろそろ失礼致します。」
この日は、精神的に疲れた為、早く帰って休みたかった。
フェリス嬢の話に、夜中まで付き合わされるのは、勘弁して貰いたい。
以前、団長のご自宅にお邪魔した時も、ご息女の質問攻めにあい、帰宅は日付が変わっていた事を思い出していた。
「お待ち下さい、ランドルフ様!明日、軍人の皆様は、お休みでございますよね?」
何故か、意を決したような面持ちで呼び止められた。
「ええ、まあ。」
「昼食を我が家でいかがですか?」
「…。是非…、お伺い致します…。」
今まで、何だかんだ理由を付けて、彼女の誘いを断って来たが、今回は逃れられないようだ。
翌日、公爵邸にお邪魔した時、団長が、「うちの娘は、狙った獲物は必ず仕留めるのだよ」と、意味深な言葉を呟いていた。