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抜擢

「これはどういう事か説明しなさい!貴方の役目は、お父様の"盾"ではないのですか?」


女性特有の金切り声は、疲労困憊の身体に、酷く堪える。

気の強そうな目に、栗色の髪が印象的なその女性は、団長閣下のご息女と思われる。

黙っていれば、世の男を惹き付けるのに充分な顔立ちではあろうが、今は、気の強そうな目を更に吊り上げ、直ぐにでも、俺に殴り掛かって来そうな鬼の形相である。

軍人の端くれである俺だが、今は、反撃すらままならないであろう。

もっとも、女性に手を上げても良い、という教育はされていないが…。


「申し訳ございません…。」


俺は俺なりに、役目を全うしようとしたから、今、此処にいる。

団長の首を繋げたまま、ご自宅に連れ帰ったのだから、満点ではないにしても、合格点には達しているはずである。

しかし、今は、謝っておくのが賢明だ。

出来るだけ早く、この場を切り抜けるには、これが最善策である。


「騒ぐな、フェリス!俺は大事ない。少々、疲れておるだけだ。」


尚も、何か言いたげなご息女を制するように、団長が口を開く。


この度の戦は、負け戦だった。

味方と思っていた一団の裏切りにより、有利に進んでいた戦況は、いとも簡単に覆された。

しんがり軍を任された近衛兵団の奮戦により、戦線崩壊は免れ、敵国の王国侵攻を防ぐ事だけは出来たはず…である。

確信が持てないのは、俺の役目が、団長付次席副官と言う名の、団長の"盾"だからである。

部隊同士の連絡もままならない状況下、兵団後方の最前線部隊の様子は分からない。

帰還途中にもたらされた状況報告から、推測するしかないのだ。


「"軍神"などと持て囃されていたが、聞いて呆れる…。」


ご息女に支えられながら立ち上がった団長が、弱々しく呟いた。

今回、敗戦の責任は、近衛兵団は勿論の事、団長にもない。

しかし、団長は、大きな責任を感じているようだ。

多くの部下を死なせてしまった責任を感じているという事であれば、俺自身の身体を張る価値がある人物という事だ。

ただ、あまりにも弱々しい立ち姿には、王国軍の象徴である近衛兵団長、泣く子も黙る"軍神"こと、フランツ公レオナルド将軍の面影は無かった。


「ちょっと貴方!ボーッとしてないで手を貸しなさい!」


例の金切り声に促されるように、団長に手を伸ばす。

今は、腕を上げる事すら億劫なのだが、反射的に出しただけだ。

ようやく帰還出来た安堵感からか、意識は朦朧とし始めている。


「大丈夫だ。ランドルフ、役目、ご苦労であった。お前も帰って休め。」


ご息女を制した団長のこの言葉は、俺の任務終了を意味する。

大量の汗をかいたからか、先程から背中が冷たい。

早く着替えて横になりたい。

そう思いながら団長閣下とご息女に敬礼し、踵を返し駆け出した…つもりだったが、実際には、よろよろと足を踏み出しただけだった。


「きゃっ!」


「おい、ランドルフ!ちょっと待て!」


団長に呼び止められ、のろのろと振り返ると、俺の居た場所から今居る場所に向かって、血痕が点々としていた。

どうやら、傷口が開いてしまったようだ。

冷たかったのは、汗ではなく、血だったか…。

そしてここで、俺の意識は途絶えた。

意識が途絶える直前、「きゃー!」という女性の悲鳴と、「おい、ランドルフ!しっかり致せ!おい、誰か手を貸せ!」という団長の声だけは聞こえた。



* * *



気が付くと、そこは医療施設と思われるベッドの上だった。

近衛兵団駐屯所内にある施設であろう。

周りのベッドには、俺と同じ状況の奴等ばかりだ。


「うっ…。」


もぞもぞと動こうとしたら、背中に激痛が走った。


「団長!ランドルフが気が付きました!」


声を上げたのは、俺の直属の上官である、団長付主席副官ヘッセンリンク。

30代にして頭髪には白髪が混じり、軍人にしては細身だが、長身の男だ。


「そのままで良い!」


痛みを堪えて、起き上がろうとした俺を制しながら、団長が駆け付けて来る。


「あの出血で、よくもまあ…。お前は不死身なのか?」


笑いながら問いかけてくる団長に、苦笑いを返す事しか出来ない。

不死身の人間など、この世に存在するわけがないのだから。


俺は、倒れてから丸二日、寝たきりだったようだ。

団長は、軽傷だったようである。

俺は、何とか任務を全う出来ていたようだ。


医師から、水と痛み止めの薬を渡され、それを飲み干すと、団長が口を開いた。


「意識を取り戻した早々だが、お前に伝言が二つある…。」


その口振りから、良い知らせではないようだ。


「今朝、兵団のしんがり部隊が帰還した。いや、帰還と呼べる代物ではないな…。生き残った10数名が駐屯所に辿り着いた。その内の一人、連隊長付副官ドレンテが、お前に伝えて欲しいと言ってきた。」


一個連隊が、わずか10数名になるだけでも、衝撃的な事実である。

そして、伝言を頼んだという兵士の役職だけで、伝言の内容まで想像出来る。


「伝言内容は…、『ユルゲン・ミューゼル連隊長は戦死した』との事だ…。」


最前線部隊が、あの戦闘で生き残るのは、至難の技である。

連隊長ともなれば尚更である。

『上官は、一人でも多くの部下を家に帰す為に知恵を使い、身体を張る。部下は、上官を家に帰す為に身体を張る。これが、軍隊のあるべき正しい姿だ。』

養父の口癖が、頭に浮かんだ。

俺は、実の父母の顔を知らない。

母は、俺が生まれて直ぐ亡くなったと聞いている。

軍人だった実父は、その直ぐ後に戦死したとも聞いている。

実父の上官だった養父は、独り身であるにも関わらず、孤児となった俺を引き取り、厳しく育てた。

代々軍人の家系ではあるが、さして名門でもないミューゼル家の跡取りとして。


「気を落とすなよ、ランドルフ・ミューゼル。代わりの養父は、俺が責任を持って見つけてやる。」


「18歳にもなった今、新しい養父は必要ありません…。生きるも死ぬも自分次第という場所に、身を置いているのですから…。」


作り笑いを浮かべて、団長の申し出を丁重にお断りした。

尊敬する養父の代わりなど、必要ない…。


「もう一つの伝言だが、こちらは、そんなに悪い話ではない。ある女性からの伝言だ。」


団長の後ろに控えている近衛兵団の同僚から、冷やかしの声や口笛が一斉に上がった。

俺の脳裏には、ある女性の顔が浮かんだ。


「『短気をおこし、責め立てるような真似をして、申し訳ございませんでした。無事、回復されることを、心よりお祈りしております。』との事だ。俺の娘からの伝言だ。後日、直接会って謝罪するよう、言い含めてある。」


気の強そうな目をした女性が脳裏に浮かび、例の金切り声が再生された。

それは、脳裏に思い描いていた女性とは、違う女性からの伝言だった。



* * *



俺の身体は、意外と丈夫らしい。

その点に関しては、顔も知らない実の両親に、感謝しなければならない。

一月程で、日常生活を送れるようになり、二月程で、職務に復帰出来た。

そして、復帰早々、団長に呼び出された。


「よう、不死身のランドルフ!お前も団長に呼び出されたのか?」


「ミュラー殿下も呼び出されたのですか?ところで、『不死身のランドルフ』とは、誰の事でしょう?」


「『殿下』は止せと、言っているだろう。『不死身のランドルフ』とは、お前の事に決まっているだろ。お前は、ランドルフ・ミューゼルなのだから。『死の淵から舞い戻った不死身のランドルフ』と、団長が吹聴している。」


「大袈裟な呼称を付けないで頂きたいものです。落ち落ち、風邪も引けなくなります。」


気心の知れた悪友、もとい、友人、王太子の弟であるミュラー殿下は、士官学校の同期である。

士官学校の同期でなければ口も聞けない程の、尊い人物だ。

体格は、人の目を引く程の大柄。

士官学校卒業後から伸ばし続けている顎髭は、似合わないので止めた方が良いと思うのだが。

安全な場所で、優雅にお茶を飲んでいても、誰にも咎められない身分にも関わらず、自ら志願して近衛兵団にいる変人王子だ。

本人は、「俺が死んでくれた方が都合が良いと考えている輩もいる」と嘯く。


「最近、お前は、兵団内では有名人だぞ。不死身という噂もだが、男勝りで有名な、フランツ公爵家のご令嬢を射止めた色男として。」


「はっ?誰ですか、そんな根も葉もない噂を流した奴は!俺は、あそこのご息女に、罵倒されたんですよ。『父の盾になって死ね』と。」


例の金切り声が、またしても再生される。

その再生音は、直接的に『死ね』とまでは言っていないが、似たような言葉で俺を罵倒してくる。


「あそこのご令嬢の性格からして、そちらの方が、しっくりくるな。彼女が、『ランドルフ様をお慕いしております』と、団長に伝言を頼んだらしいと、俺は聞いていたんだが。」


「そんな伝言、聞いた覚えがございません!」


罵倒した事に対する、謝罪の伝言があったのは事実だが、内容がまるで違う。


「噂とはそんなものだ。ところで、最近、愛しの伯爵令嬢には会ったか?」


「一応、生存を知らせる手紙は書きましたが、返事が来ないので…。」


「そうか…、やはりな…。」


「えっ?」


恋人であるマインツ伯爵家のシャルロット嬢は、俺がミュラー殿下の友人でなければ、言葉を交わす事すら、叶わなかったであろう。

二人の間だけではあるが、将来を誓い合っている。

マインツ伯も、俺達の仲はご存知であるが、黙認という形であろうか?

しかし、出征以来、一度も会えず、時だけが過ぎる。

声だけでも聞きたい。

手紙の返事だけでも…。

口振りから、手紙の返事が来ない理由を、ミュラー殿下は知っているのではと思ったが、確かめる前に、団長の執務室に着いてしまった。



* * *



「元々、近衛兵団は、身分の上下、軍歴の長短に関わらず、実力がある者を抜擢する事で、今の名声を得てきた。今回の敗戦を機に、その制度をより顕著にしていく。お前達両名は、まだ10代であるが、士官学校の主席と次席で将来有望な軍人である。それに、王族の子息と傭兵の子息で、俺の決意を皆に知らしめる、うってつけの存在だ。お前達の奮闘に期待する。」


俺と殿下は、中隊長に抜擢された。

実際問題、今回の敗戦により、指揮官の数が足りなくなったのは事実である。

しかし、実力主義の近衛兵団に於いても、異例の早さだ。

団長は、もっともらしい理由を並べているが、殿下を中隊長に抜擢する為に、俺を利用しているだけだ。

殿下が、王族だから出世が早いと言われない為に。

殿下は、身分ある人物だから、妬み嫉みは意に介する必要はない。

しかし、俺は違う。

戦功を上げている殿下は、中隊長に抜擢されて然るべきだが、俺は団長に付いて逃げていただけだ。


「団長の期待に添えるよう、更に精進致します。」


殿下は、目に涙を浮かべながら、団長の演説に聞き入り、精進を誓っていた。


「ランドルフ・ミューゼル、お前はどうだ?」


「自分は、大した戦功も上げておりませんので…。」


「そんな事はない。敗戦の中、俺の首を繋げたまま連れ帰るというのは、お前の職務上、立派な戦功だ。お前の上官、ヘッセンリンクの推薦もあった。あいつの人を見る目は、かなり信頼が置けるものだ。」


「そこまで言われては、精進を誓わざるを得ません。」


決して納得しているわけではないが、これ以上、意地を張るのも馬鹿らしい。

給料を上げてくれると言うのだから、素直に貰っておこう。


「お前達両名には、ゆくゆくは、兵団を率いる立場になって貰わねばならんのだ。いや、俺がとやかく言わずとも、何れ、その立場になるであろうな。」


最後に、そう付け加えた団長の目は、何故か、俺の目だけを見ているような気がした。


団長の前を辞そうとした時、俺だけが、呼び止められる。


「そうだ、ランドルフ!お前、今晩は暇か?熱くなり過ぎて、危うく、伝え忘れるところであった。」


「特に、用はありませんが?」


「うちのじゃじゃ馬娘が、先日のお詫びとして、お前に自らの手料理を振舞いたいそうだ。娘は、意外と根に持つ方だからな。断ると後が怖いぞ。」


聞き耳を立てていた殿下が、冷やかしの口笛を鳴らしながら退室する。

根も葉もない噂に、殿下が、更なる尾鰭を付け加えないよう、祈るしかない。






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