第2話 ホームセンターのプチトマトを植えたら、翌朝に世界樹(?)になっていた件。
小鳥のさえずりで目が覚める。
そんな爽やかな朝を期待していた。
「ギョエェェェッ! グルルッ……」
「……ん?」
なんだろう。
今の鳴き声、カラスにしてはドスの利いた、ジュラシックな響きだったような。
僕は煎餅布団の上で身を起こした。
時計を見ると、朝の六時。
会社員時代なら、満員電車に揺られている時間だ。
「そうか。もう会社に行かなくていいんだ」
二度寝の誘惑を振り切り、僕は大きく伸びをした。
不思議だ。昨日の引っ越し作業で体はボロボロのはずなのに、妙に目覚めが良い。
空気が綺麗なせいだろうか。
「さて、トマトの様子でも見るか」
僕はカーテンを開け、庭に面した縁側のガラス戸に手をかけた。
ガララッ。
「おはよう、トマ……ト?」
僕は言葉を失い、その場で固まった。
「……………………」
記憶が確かなら、昨日僕が買ったのは「築年数不詳の中古物件」だったはずだ。
決して、「未開のジャングル付き物件」ではない。
一夜にして、庭の景色が一変していた。
五十坪ほどの家庭菜園スペースだった場所が、鬱蒼とした密林に飲み込まれていたのだ。
地面を覆い尽くす下草は、なぜか青白く発光している。
庭の隅に生えていた雑草は、僕の背丈を超え、毒々しい紫色の花を咲かせていた。
そして、何よりも目を引くのが――庭の中央だ。
「で、でかい……」
昨日、僕が植えたはずのプチトマトの苗。
高さ十五センチほどの、ひょろひょろとした苗だったはずだ。
それが今、見上げるような巨木になっていた。
高さは三メートルを超えているだろうか。
幹の太さは大人の太ももほどもあり、表面は金属のような光沢を放つ緑色だ。
枝葉は四方八方に広がり、その一本一本が、まるで血管のように脈動している。
「田舎の土って、すごいんだな……」
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
都会の痩せた土地とは、栄養価が桁違いなのだろう。
加えて、昨日まいた肥料が効きすぎたのかもしれない。
『警告:対象個体の魔力濃度が上昇しています』
『スキル効果により、従魔契約が成立済みです』
まただ。
視界の端に、あの青いウィンドウが浮かんでいる。
「AR(拡張現実)の不具合かな。あとで眼科に行こう」
僕は手で空中の文字を払い除け、サンダルを履いて庭に下りた。
恐る恐る、巨大化したトマトの木に近づく。
威圧感がすごい。
近くで見ると、葉の縁がノコギリのようにギザギザしていて、うっかり触れたら切れそうだ。
「よしよし。一晩でこんなに大きくなって、偉いぞ」
僕は幹の部分に手を触れ、優しく撫でた。
すると。
ズルルッ……!
「うおっ!?」
巨大なトマトの木が、身をよじるように動いた。
そして、ムチのようにしなる太い枝が、僕の体にするりと巻き付いてくる。
「っ……!?」
締め上げられるのかと身構えたが、違った。
枝先についた葉が、僕の頬をペロペロと舐めるように撫で回してくる。
まるで、帰宅した飼い主を出迎える犬のようだ。
「ピィ〜♪ ピィッ♪」
「……鳴いた?」
植物から、電子音のような可愛い声が聞こえた。
幹が小刻みに震えている。どうやら喜んでいるらしい。
「ははっ、なんだ。くすぐったいよ」
最初は驚いたが、こうして触れ合ってみると愛着が湧いてくる。
見た目は少しイカツイが、中身は僕が植えたプチトマトのままだ。
「そういえば、品種名は『スイート・ルビー』だったかな」
僕は巨大な葉をかき分け、枝の先を見た。
そこには、ソフトボールほどの大きさがある、真っ赤な実が鈴なりになっていた。
宝石のルビーよりも深く、血のような紅。
黄金色の粒子が、実の周りを蛍のように舞っている。
『鑑定結果』
『種族:クリムゾン・エンペラー(帝王トマト)』
『ランク:神話級』
『状態:極めて良好』
視界にまた文字が出たが、僕は「クリムゾン」という単語だけ拾った。
「クリムゾン・エンペラー? 最近の品種改良は名前が派手だなあ」
きっと、糖度が高い高級品種なのだろう。
見た目がこれだけ立派なら、味も期待できるに違いない。
「よし、名前を付けよう」
僕は枝を撫でながら言った。
「お前はプチトマトだから……『プチ』だ。どうだ?」
三メートルの巨木に付ける名前としてはどうかと思ったが、響きが可愛いので良しとする。
「ピィ! ピィーーッ!」
プチは嬉しそうに枝を振り回した。
その風圧で、庭の雑草(※魔界の食人草)が数本、根こそぎ吹き飛んでいったが、元気があってよろしい。
「お腹も空いたし、さっそく収穫させてもらおうかな」
僕は一番赤く熟れている実を一つ、もぎ取った。
ずしりと重い。
表面はパンパンに張っていて、今にも果汁が弾けそうだ。
「……いただきます」
朝日に照らされた庭で、僕はその巨大なトマトにかぶりついた。
ジュワァァァッ!
「!!」
口に入れた瞬間、濃厚な甘みと酸味が爆発した。
トマトというよりは、極上のフルーツに近い。いや、それ以上の何かだ。
噛むたびに、熱い奔流が喉を通って胃に落ち、そこから全身へと駆け巡っていく。
ドクン、ドクン。
心臓が早鐘を打ち、指の先まで力がみなぎるのを感じた。
昨日までの重い体が嘘のようだ。
「うまい……! なんだこれ、めちゃくちゃ元気が出るぞ!」
これが、採れたて野菜の力か。
スーパーの野菜とは生命力が違う。
僕は夢中でトマトを食べきり、口の周りについた赤い果汁を拭った。
ふと、庭の池(元々は小さな水溜まりだった場所)に映る自分の顔を見た。
「あれ……?」
水面に映っているのは、疲れ切った中年の顔ではなかった。
肌はツヤツヤと輝き、目の下のクマは消え去り、髪にはコシと潤いが戻っている。
まるで、二十代の頃に戻ったような――いや、それ以上に精悍な顔つきの男がそこにいた。
「田舎の水って、肌にいいんだなあ」
僕は自分の頬をペチペチと叩いた。
まさかトマト一つで若返るわけがない。
きっと、ストレスから解放されたおかげで、顔色が良くなったのだろう。
「よし、今日も一日、庭の手入れを頑張るか!」
僕は生まれ変わったような軽い足取りで、スコップを手に取った。
背後でプチが「ピィッ!」と頼もしげに鳴いた気がした。
この時の僕はまだ知らなかった。
この庭が、国家レベルの「特級危険指定区域」になろうとしていることも。
僕が食べたトマト一つが、死者すら蘇らせる伝説の霊薬以上の価値があることも。
ただ、朝ごはんに食べたトマトが美味しかった。
それだけのことで、僕の一日は最高にハッピーに始まったのだった。




