第1話 リストラされた42歳、退職金で中古の一軒家を買う。庭の土が少し変だけど気にしない。
流行りもの?に挑戦してみました。
「相田くんさぁ、もう今の技術についてこれてないよね?」
その言葉と共に突きつけられたのは、退職勧奨の書類だった。
ブラックIT企業に勤めて二十年。
終電帰りは当たり前、土日も呼び出しに応じ、身も心もすり減らしてきた。
その結果が、これだ。
「……わかりました。辞めさせていただきます」
反論する気力すらなかった。
四十二歳、独身。
残ったのは、慢性的な腰痛と、少しばかりの貯金と退職金だけ。
会社を出た瞬間、眩しい日差しに目がくらんだ。
ふと、思った。
「……もう、働きたくないな」
以前から夢見ていたことがある。
いつか田舎で、土いじりでもしながら、静かに暮らしたいという夢だ。
「よし、買おう。家」
その日のうちに、僕は不動産屋へと足を運んでいた。
◇ ◇ ◇
「本当に、この物件でよろしいんですか?」
不動産屋の若い担当者が、困惑した顔で何度も確認してくる。
僕が選んだのは、都心から電車で二時間。さらにバスで三十分という、山奥の平屋だった。
築年数は不詳だが、リフォーム済みで内装は綺麗だ。
何より、広大な「庭」がついている。
それでお値段、なんと百五十万円。
都心のワンルームの初期費用と変わらないレベルの破格だ。
「はい、ここがいいです。静かそうですし」
「いや、静かというか……その、以前の住人の方が『夜になると地鳴りがする』とか、『庭の土が勝手に動いた』とか仰っていて……」
「ああ、地盤が少し緩いんですね。気にしません」
「(地盤の問題じゃないんだけどなぁ……)」
担当者が何かボソボソと言っていたが、僕の決意は揺るがなかった。
契約書にハンコを押し、晴れて僕は「一国一城の主」となったのだ。
◇ ◇ ◇
引っ越し当日。
必要最低限の荷物を運び終えた僕は、さっそく一番の目当てである「庭」へと出た。
「ふぅ……空気がうまい」
腰をさすりながら深呼吸をする。
目の前には、五十坪ほどの家庭菜園スペースが広がっていた。
ただ、少し気になるのは「土の色」だ。
黒土というレベルではない。
まるで闇を煮詰めたような、漆黒の土。
じっと見ていると、土の表面が脈打っているような気さえする。
「栄養満点って感じだなあ」
僕は深く考えないことにした。
都会の喧騒に比べれば、土が黒いことくらい些細な問題だ。
僕はホームセンターで買ってきたスコップを握りしめた。
記念すべき最初の野菜。
選んだのは、初心者でも育てやすいと言われる「プチトマト」の苗だ。
品種名は『スイート・ルビー』。
札には「甘くて育てやすい!」と書いてある。
「よし、頼むぞ。大きく育ってくれよ」
ザクッ。
スコップを土に入れた瞬間だった。
ドクン。
スコップを通じて、心臓の鼓動のような振動が伝わってきた。
気のせいか、土から紫色の靄が立ち上ったように見えた。
『――条件を満たしました』
「え?」
頭の中に、無機質な女性の声が響いた気がした。
疲れだろうか。最近、耳鳴りもひどいからな。
僕は気にせず苗を植え、水をたっぷりとやった。
『固有スキル【神域の庭師】が覚醒しました』
『対象エリアを【神界ダンジョン・第1階層】として認識します』
『植えられた種子【プチトマト】に対し、進化促進を開始します』
まただ。
今度は目の前に、半透明の青いウィンドウのようなものが浮かんでいる。
昔ハマっていたRPGのステータス画面に似ていた。
「最近のAR(拡張現実)グラスはすごいな……裸眼でも見えるのか」
僕はこめかみを揉んだ。
やはり、長年の過労が祟っているらしい。幻覚まで見えるとは。
今日はもう休もう。
これからは毎日が日曜日なのだ。焦ることはない。
「おやすみ、トマト」
僕は漆黒の土に植えられた、ひょろひょろの小さな苗に優しく声をかけ、家の中へと戻った。
◇ ◇ ◇
その夜。
僕が煎餅布団で泥のように眠っている間のことだ。
庭の土が、ボコボコと沸騰するように泡立ち始めた。
地中深くから、莫大な魔力が噴き出し、たった一本のトマトの苗に集中する。
『進化プロセス完了』
『個体名:スイート・ルビー → 変異種:クリムゾン・エンペラー(帝王トマト)へランクアップ』
小さな苗が、ミシミシと音を立てて急成長を始めた。
茎は鋼鉄のように太くなり、葉はカミソリのような鋭利な輝きを帯びる。
そして、真っ赤な実が一つ、脈動するように実った。
「ピィ……♪」
それは、生まれたばかりの赤子のような産声を上げ、月夜に向かって葉を伸ばした。
最強の庭師と、最凶のトマト。
僕の平穏なスローライフ(予定)は、こうして幕を開けたのだった。




