第3話:背負った鞄と、確かな足跡
アルスが旅立ってから、季節が一つ巡りました。
アルスの古い革鞄は、小さなノクトにはあまりに大きく、最初は引きずってしまうほどでした。しかし、不思議なことにノクトがその取っ手に触れると、鞄は魔法がかかったようにふわりと浮き上がり、彼の背丈に合うサイズへと形を変えたのです。
それは、長年アルスと共に夜を駆けた鞄が、新しい主人としてノクトを認めた証でした。
-魔法ではなく、心で届ける-
ノクトは、アルスのように言葉を話すことはできません。しかし、彼は「影」を通じて人々の感情を読み取ることができました。
ある雨の夜、ノクトは宛名が雨に濡れて消えかけた一通の手紙を託されます。
以前のノクトなら、困って立ち尽くしていたかもしれません。しかし、今の彼は違います。
封筒に残された、微かな沈丁花の香りと、古いインクの匂い。
街の影に溶け込み、その香りと一致する場所を過去の記憶から手繰り寄せます。
迷いはありません。彼は雨粒を避けるような軽やかなステップで、街の北端にある図書室へと向かいました。
そこには、大切な友人への返事が出せずに、暗い部屋でうつむいていた老婦人がいました。ノクトが窓をコツコツと叩き、青い徽章を輝かせて手紙を差し出すと、彼女の影はパッと明るく色づいたのです。
-「影を紡ぐ」ということ-
ノクトの成長は、単に配達が早くなったことだけではありませんでした。
彼は、アルスが言っていた『影が濃ければ濃いほど、すぐそばに強い光がある』という言葉の本当の意味を理解し始めていました。
悲しみや孤独という「濃い影」の中にいる人の元へ、ノクトはあえて近づきます。彼の黒い毛並みは、相手の悲しみを吸収し、代わりに鞄の中から温かな希望(手紙)を取り出します。
街の人々は、いつしか夜明け前に見かける黒猫をこう呼ぶようになりました。
**「幸運を運ぶ、夜明けの配達員」**と。
-アルスの匂い、ノクトの誇り-
時折、配達の合間にふと立ち止まると、鞄の底から懐かしいタバコと古い紙の匂い——アルスの匂い——がします。
そんな時、ノクトは胸のボタン(徽章)を毛繕いし、誇らしげに尻尾を立てます。
「アルス、見ていて。僕はもう、一人で夜を怖がったりしないよ」
ノクトの瞳には、かつての野良猫だった頃の鋭さだけでなく、誰かを守り、支える者の慈愛が宿るようになっていました。




