第2話:最期の配達、最初のひとり立ち
ノクトが「夜明けの配達員」になって数年後、アルスの背中は、いつの間にか以前よりも小さくなっていました。
配達の途中で立ち止まり、激しく咳き込むことが増えた冬の朝。ノクトは彼の足元に身を寄せ、その震える手を自分の温かい毛並みで温めるのが日課になっていました。
「ノクト……すまない。今日の配達は、儂には少し荷が重いようだ」
アルスはベッドの中から、壁にかけられた古びた革の鞄を指差しました。その中には、一通の青い封筒が入っています。宛先はありません。ただ一言、**「夜明けの来ない場所へ」**とだけ記されていました。
-最後の教え-
「これは、儂自身の最後の荷物だ。これを届けることができれば、儂の仕事は終わりになる」
アルスは震える手で、ノクトの首に結ばれていた青いボタンを、銀色の細いチェーンに付け替えました。それはもう単なるボタンではなく、立派な「配達員徽章」のようにノクトの胸で輝いています。
「いいかい、ノクト。儂らは光を届けるが、光そのものにはなれない。儂らは影だ。けれど、影が濃ければ濃いほど、すぐそばに強い光があることを証明できる……それを忘れないでおくれ」
ノクトは悲しげに喉を鳴らしましたが、アルスの瞳には揺るぎない信頼が宿っていました。ノクトは意を決したように青い封筒をくわえると、窓から冬の夜気へと飛び出しました。
-影を紡ぐ、祈りの疾走-
ノクトは走りました。アルスと歩いた石畳、二人で雨宿りをした軒下、いつもおまけのミルクをくれたパン屋の角。
「夜明けの来ない場所」とは、人々の心の奥底にある「孤独」という名の暗闇でした。
ノクトは自身の影を長く伸ばし、それを橋にして人々の夢の間を駆け抜けました。
届けるべき場所は、街外れの古い教会の鐘つき塔。そこは、かつて若き日のアルスが初めて手紙を届けた場所でした。
ノクトが封筒を塔の窓辺に置いた瞬間、封筒は柔らかな光の粒となって、冬の星空へと溶けていきました。それはアルスがこれまでの人生で受け取ってきた、街の人々からの「ありがとう」という想いの結晶でした。
-ひとり、夜明けを見つめて-
ノクトが急いで家に戻ったとき、部屋の中は朝凪のような静寂に包まれていました。
アルスは、眠るような穏やかな顔で横たわっていました。もう、苦しそうな咳は聞こえません。机の上には、ノクトへの最後の手紙が置かれていました。
『親愛なる相棒へ。君に夜明けを託す。これからは、君がこの街の光の道標だ』
太陽が地平線から顔を出し、部屋にオレンジ色の光が差し込みます。
ノクトは一人、アルスの愛用していた鞄の横に座り、長く、切なく、けれど力強く鳴きました。
黒猫の影は、朝日に照らされて長く伸びていきます。
それはまるで、彼がこれから紡いでいく、たくさんの「光」の物語を予感させるようでした。




