第1話:影の猫、夜明けを拾う
街が深い紺色に沈み、人々の寝息が白く凍る午前三時。
路地裏のゴミ捨て場に、その「黒」はうずくまっていました。
名前はまだありません。ただの、腹を空かせた影のような野良猫。
金色の瞳だけが、冷たい月光を反射して鋭く光っていました。
「……おまえも、ひとりぼっちか」
不意に頭上から降ってきたのは、掠れた、けれど温かい声。
見上げると、そこにはボロボロの青い制服を着た老人が立っていました。背中には大きな革の鞄。彼は「夜明けの配達員」と呼ばれ、街の人々から忘れかけられている老配達員、アルスでした。
-運命の「落とし物」-
アルスは、震える黒猫の前に一つの中身のない小箱を置きました。
「ちょうど、相棒を探していたんだ。この街の夜道は、年寄りには少し暗すぎてね」
黒猫は警戒し、シャーと短く威嚇しました。しかし、アルスは動じません。彼は鞄から一通の手紙を取り出しました。それは、病気の娘が遠くの街に住む母親へ宛てた、まだ切手も貼られていない書きかけの便りでした。
「これは『希望』という荷物だ。だが、今の儂にはこれを届けるだけの『速さ』がない。夜明けまでに届けなければ、この手紙はただの紙屑になってしまう」
アルスが手紙を小箱に入れると、不思議なことが起こりました。黒猫の周囲の「影」が、まるで意思を持ったかのように小箱を包み込み、猫の背中にぴったりと固定されたのです。
-夜を駆ける-
黒猫は、なぜか体が軽くなるのを感じました。アルスの指が示した先は、まだ星が輝く丘の上の時計塔。
「行っておいで。おまえのその黒い毛並みは、闇に紛れるためじゃない。夜を通り抜けるための鎧だ」
黒猫は走り出しました。
路地を抜け、屋根を跳ね、影から影へと飛び移ります。まるで夜そのものが自分を後押ししているような感覚。街灯の光さえも足場にして、彼は夜の静寂を切り裂いていきました。
-夜明けの配達員「ノクト」-
東の空が白み始めた頃。
時計塔のポストに、その手紙は静かに差し込まれました。
役目を終えた黒猫がアルスのもとへ戻ると、老配達員は満足そうに微笑み、猫の喉元を優しく撫でました。
「見事だ。おまえはもう、ただの野良猫じゃない。夜(Noctis)を味方につけた配達員だ」
アルスは自分の制服のボタンを一つ外し、猫の首輪代わりに結びつけました。
「今日からおまえの名はノクト。儂らの仕事は、夜の間に迷子になった光を探し出し、正しい場所へ届けることだ」
こうして、影を紡ぐ黒猫ノクトの、長く優しい配達の旅が始まったのです。




