<プロローグ>「深淵より来たるもの。破滅の足音」
旧執筆状態のまま放置していたクトゥルフ神話を題材にした物語。
すでに何話か書いてありましたが、内容を変えようかと考えたりしている間につづきが書けなくなってしまいました。
タイトルの「夢寐」とは「眠って夢をみている間」といった意味の言葉です。
プロローグを読んでつづきを読みたいと思った人はブックマークお願いします。(もしくはクトゥルフ神話ものを流行らせたい人も)
ブックマークが2桁を超えたらつづきを本気で考えてみます。(1話の投稿のみで完結にしますが、ご了承ください)
プロローグで起きた事件を追って、政府の秘密機関が調査に乗り出す……みたいな話を予定。
内容はラノベのような感じになると思います。
「まったく、ひどい臭いだ」
男が暗闇を懐中電灯で照らしながら言った。すでに彼の部下はその臭いだけで胃の中の物を戻している。
土の壁に手をつきながらげぇげぇと、胃が空っぽになるまで吐きつづける部下をおいて、男は銃を構えながら先に進む。
ヴァルター・ホール警部補は奇妙な地下の空洞を調査しているところだ。
近ごろ彼の管轄であるベイスン市内では、行方不明者が数多く出ている。そして、夜な夜な動く奇妙な人影を目撃したという情報がそのころからとくに増加していた。
この目撃情報が失踪事件と何か関係があるか、まだ確たる証拠はないが。ヴァルターの勘が夜中に目撃されている人影と、この異臭のする洞穴に関連があると感じていた。刑事の直感にすぎないが、彼の感覚は何度となく彼の命を救い、そして犯人の検挙率にもつながっていたのである。
「この穴は間違いなく人工的に掘られたものだな」
茶色い地面には削り取られた跡がはっきりと残されている。──それにしても、かなりの距離を進みつづけたというのに、まだ行き止まりが見えない。
「分かれ道か」
斜めに分かれる二つの道。その先にはまだ光の届かない闇がつづいている。
強烈な臭いがどちらから流れてくるのか彼には判断がつかない。風の流れで臭いを嗅ぎ分けたりする嗅覚には自信があったが、いまの彼は周囲を腐敗した臭いで包まれており、空気の流れが死んでいる状態の中にいるのだ。
その腐敗した臭いは彼のよく知る臭い──人間の肉体が腐り、ぐずぐずに腐り落ちた異様な臭いであったが、それは一つや二つの死体から発せられるものではなかった。
(この臭い……間違いない。ここには行方不明になった者たちの死体があるはずだ)
鼻を袖でおおいつつ、懐中電灯を正面に照らして歩き出す。まずは右の通路を進んでみようと決め、彼は道の先へと進んで行く。
通路の先が広がっているように見えると、そこはがらんとした空間があった。大きな円形の広くなった場所は天井も高く、でこぼこの少ない地面や壁は、道具を使って丁寧に掘り出された物だとうかがわせる。
その空洞の奥に木製のテーブルのような物が置かれていた。それはひしゃげており、重い何かが上に乗っていたのだろうと思わせたが、汚れたテーブルの上が赤黒くなっているのを見ると、そこにあった物がなんだったのか、彼はできるだけ考えないようにして後ろへ下がって行く。
道を戻り今度は左の通路を進もうとすると、ゲロを吐いていた部下のベンジャミン・ファーロウが口をハンカチで押さえながらやって来た。
「平気か、ベンジャミン」
「いいえ、もう帰りたいです」
彼はそう言ったが手には懐中電灯が握られ、通路の奥を照らしている。
「よし、左の道を行くぞ」
ヴァルターは率先して通路を進み、その通路が当たりだと知った。腐敗した臭いがこちらから漂ってきたのを感じたのだ。
彼は銃を握りしめ、通路の先にある空洞に足を踏み入れた。
そこは死体置き場だった。
あるいはゴミ捨て場かもしれない。バラバラになった肉や骨や内臓が、そこかしこに放置され、それが山積みになっている。
ベンジャミンはふたたび壁に手をついてゲーゲーとやりはじめた。
この腐敗した密度の濃い臭いには、さしものヴァルターですら喉元に込み上げてくるものがあったが、気合いと冷静さを総動員して恐怖と嘔吐を飲み込んだ。
洞穴の先にあった空洞は天井が二メートル以上あり、広さは車が三台くらい入れそうな広さがある。
そして土の地面を削って作られた四方の壁は、ところどころが光を放っていたのだ。
「なんだ……この光は」
壁に近づいて見ると、そこには見慣れないキノコやコケが生えていた。ぼんやりと青い発光が洞窟を照らし出し、それは崩れた死体の上にも根を張っていた。
「死体にとりつくキノコだと……?」
彼は植物のことに詳しいわけでもないが、腐り落ちた人間の死骸に生えるキノコを調べようと警戒しながら近づいて行く。
それは確かにキノコやコケのようだったが、コケは青色に、キノコはどちらかというと白っぽい光を放っているようだった。
「けっ、警部ほ……おれ、もぅ……」
ベンジャミンはすでにふらふらで、いまにも崩れ落ちてしまいそうな感じだ。
「もういい、おまえは表に出ていろ」
応援が到着するはずだ、そう言って彼はもう少し周辺を調べることにした。すさまじい死臭と奇妙なキノコなど、それらはいままで彼の見たことのない、異様な何かを感じる場所だったのだろう。
ヴァルターの数十年のキャリアをもってしても、この空洞にある惨状は彼の理解を超えてしまっていた。凄惨な事件現場なら何度も見てきた彼でさえ、その死体置き場には腹の底から悪寒が込み上げてくるのを感じていた。
「痛ッ!」
死体置き場から離れようとしたとき、何かを踏んづけた。それが靴底を突き破り足の裏に刺さったのだ。
(くそっ、こんな衛生環境の悪いところで……!)
足の裏に刺さった物がなんなのか懐中電灯を当てて調べてみる。
壁に手をついて靴底を調べると小さな棘が刺さっていた。──それは小さく細い、黒色の甲殻類の棘を思わせる質感で、鋭く尖った先端が靴底を貫通し足の裏に小さな傷をつくっていた。
「……だいじょうぶだ、傷は浅い」
血がにじんできたが、棘はそれほど深く刺さったわけではない。彼は靴を履くと棘を捨て、通路を戻って行く。
洞穴から出たヴァルターは数台のパトカーとバイク、十人近い警官たちの姿を見て心底ほっとした。暗くて狭い洞窟を戻っているときに、彼はあの死体の山を作り上げた奴が現れて、恐ろしい姿をさらけ出すのではないかと恐怖を抱いていたのである。
「あんな死体ははじめてだ。まるでデカい猟犬に食いちぎられたみたいに、骨まで砕かれていたんだからな」
到着した鑑識にそう告げたヴァルターはそこではじめて、あの死体を作り上げたものが人間ではない可能性を自覚したといっていい。
救急箱を使って簡単に足の裏を消毒しながら、彼は洞穴を調査しに行く者たちに注意を促す。
ヴァルターは自宅に帰り、シャワーを浴びたあとでソファーに座ると、今日一日の出来事について考えていた。
あれほど凄惨な死体の山を作れるものが、人間の社会にまぎれていられるだろうか? 血を浴び、いくえにも重なった腐敗した死体の臭いを残さずに?
あれは本当に化け物の仕業だったのかもしれない。彼が自身の手帳にそう記録をつけていると──急に彼は眠気に襲われ、自宅のソファーに座りながら眠り込んでしまった。
* * * * *
ベイスン洞穴殺人事件などと呼ばれたこの事件は、犯人が特定されないまま一週間がすぎた。
不思議なことに鑑識や刑事は、その洞穴に入ることが許されなくなった。FBIの連中がやって来て、すべての捜査資料や痕跡を消すみたいにあらゆる情報が消えてなくなっていったのだ。
ヴァルターは当然上司に報告し、FBIの連中はいったい何をやっているんだと詰問した。
「落ち着け、これはFBIだけじゃない。州警察の上官命令でもあるんだぞ」
そんなバカな! 彼はなおも食ってかかったが、どうにもならんことだと言われ、しぶしぶとその指示に従った。
腑に落ちないものを感じていたが、警部補にはそれ以上の詮索はできなかったのだ。
その失踪事件が一応の決着を見たある日、ベンジャミン・ファーロウが失踪した。
まったく理解できないことが立てつづけに起こり、彼はすっかり憔悴してしまった。
なぜにベンジャミンが失踪しなければならないのだ?
犯人が捕まっていないとはいえ、あれだけの痕跡を残したまま犯人は、いったいどこへ消えたというのだろう。
そんな思いを抱きつづけたヴァルターがある日、意識を失って倒れた。
彼は医者の診察を受けると、最近の事柄を話そうとして──記憶の一部が曖昧になり、思い出せない部分があることに気づいたのだった。
それは過労のせいだろうと言われ、ヴァルターは点滴を打つことになり、一日だけ入院することになったのである。
──ところがその日の夜に、ヴァルターは病院から姿を消した。
* * * * *
ヴァルターは道路を裸足で歩き、草むらの中を移動して森の中へと入り込んだ。
彼は夢を見ているように感じていた。
誰かが自分を呼ぶ声がする。
暗闇の中に満ちる、じめじめとした霧。
雲の隙間から月の光がこぼれ落ちると、彼はしきりに腕や首を指でかきむしりはじめた。
「ああ……かゆい、かゆいかゆい……!」
彼はあまりの痒さに肌をかきむしり、皮がはげ、血が出るほど強く、体中をかきむしる。
体内を流れる血液が沸騰したみたいに、中から沸き上がるいい知れない力がみなぎってきて、彼は全速力で駆けだした。
夢なのだろうと彼はぼんやりと思いながら、手と足を使って駆け抜ける。
彼は四本足の生き物が走るみたいにすばやく草むらの中を移動すると、ある建物の中に入って行った。
そこは森の中にある小さな小屋。
閉められた戸を開けて中に入ると、床にある板をどかして地下へと入って行った。
(この地下には何があるんだろう)
彼の意識はどこか彼自身から遊離してしまい、その曖昧な感覚が彼を夢の中にいるのだと錯覚させていた。
体中から流れる血。痛みは感じないが、体中がうずいているみたいに熱を感じる。
地下には淀んだ空気のほかに、彼になじみの深い臭いが含まれていた。──生き物の体が腐敗した臭い。
だが彼の鼻は、それをいままでとは違った感じ方で受け取っていた。
(なんだろう……この腐敗した臭いの中に、あまい──あまい匂いがする)
四つ足で光のない地下道を進む。
闇の中でも彼の目には周囲にある物がはっきりと見えた。
先に進むほどに甘い匂いが強くなる。
彼にはその腐敗した臭いが、とても食欲をそそるものだと気づいた。
地下にある狭い穴の先が少し広い空洞になっていた。そこにはだらりと両腕を地面につけ、壁に寄りかかるように倒れた男がいる。
その男の体は腐りはじめ、常人には堪えがたい異臭と感じられる臭いを放っていたが、ヴァルターはその臭いを甘い匂いだと感じていた。
「ああ、……なンてうまソうなにおイなンだ」
ふがふがと呼吸を荒くしたヴァルター……だったものは、死体の着ている制服を鋭く尖った爪で引き裂くと、男の腹部を引き裂いてその内臓を手でつかみ、がぶりと食らいつく。
死んでいた男の制服から警察手帳が落ち、そのそばで光るコケが淡い光を放って、手帳に書かれた文字を照らし出す。
「ベイスン市警察。巡査ベンジャミン・ファーロウ」
そこにはそう書かれていたのである。