第6話 ――氷の手、火の指
ルイーゼは、何事もなかったように戻ってきた。
「ごめんなさい、昨日は……なんだか、少しだけ、溶けてしまっていて」
冗談のように笑うが、その頬はどこか透けるように淡く、熱がない。
アロイス――いや、レンは言葉を探したが、結局、何も聞けなかった。
言い淀んだまま、昼下がりのサロンに並んで座る。
窓の外は、一面の銀世界。
鳥たちは、今日もルイーゼの手のひらに舞い降りる。
彼女がそっと差し出した掌の上に、バターを啄みにくる。
「この子たちは、私のことを忘れないの。不思議よね。毎年、初雪が降ると、こうして来てくれるの」
「覚えているんだよ。……誰も君を、忘れてなんていない」
思わず漏れた言葉に、ルイーゼが目を見開く。
「……ありがとう。でもね、わたし……ずっと昔のことが、あまり思い出せないの」
「昔?」
「そう。館の外にいたころのこと。……思い出そうとすると、遠くに霧がかかったみたいになって」
レンは、その言葉に違和感を覚える。
この“姫”は――自分の過去を、本当に知らない?
(それとも……記憶そのものが、精霊としての性質に巻き込まれているのか?)
ルイーゼは、カップを手にして微笑んだ。
「ねえ、レン。あなたは、春になったら帰ってしまうの?」
「ああ。任務だからな……でも、」
言いかけて、言葉が詰まる。
なぜ、自分はここに残ろうとしているのか。
なぜ、彼女の笑顔を見ていると、任務の意味が揺らいでくるのか。
「……春になったら、私はいないの」
ぽつりとルイーゼが言った。
「毎年そう。春になると、雪と一緒に……わたしは“溶けて”、眠ってしまうの」
アロイスは息をのむ。
「死ぬわけじゃないの。ただ、また固まるまで、時間がかかるだけ。来年まで」
彼女が手を伸ばす。
アロイスもまた、手を伸ばす。
けれど、指先が触れあう直前で――彼は、その手を引いた。
「触ったら、君が溶けてしまいそうで」
彼の言葉に、ルイーゼは微笑んだ。
「そうかもしれない。でも、少しだけなら……」
ふわり、と彼女の指が、アロイスの手に重なった。
雪よりも、氷よりも冷たい手。
でも――
その指先には、火のような熱があった。