62 水拭された
「前にも言ったように僕は、隣国王女との会見の場で自分が魔法爆発を起こして国王陛下夫妻を巻き込む、その結果第二王子殿下が王女と組んで王位簒奪を果たすという夢を見て、それが正夢になることを恐れている。こんなことはエトヴィンにしか相談できないわけだけど」
「はい。陛下や宰相閣下に話しても、一笑に付されるだけでしょう。しかしここに来て、殿下の病状経過や第一王子殿下の行方不明の件、今回の小麦危機の可能性などを見ると、あり得ないものとうち捨てることもできないと思われます」
「小麦の件に絡んで、その侯爵と伯爵の動きがこれに影響しそうなのかな」
「もし小麦供与の協力を餌に第二王子派閥から懐柔されたとしたら、大きな影響が生じることになるでしょう。何よりもこの二領は、王宮警備のための兵を貸与しています。この兵たちがもし寝返ったとしたら、まちがいなくたいへんな事態になります」
「ああ、そうか」
――王宮警備に影響が出るのかあ。
第二王子のクーデターに、大きな追い風になることはまちがいない。
しかしそうすると、小麦に打撃を与えることに失敗したとしたら、かの神さんはどうするのだろうか。
その王宮警備兵の寝返りが計画実現に絶対必要なのか、実態を検討してもらわなければ何とも言えない。
それにしてもいざとなったら神さんは、警護の肝心な箇所の数名だけを操って計画実現を図る暴挙に出ることだって考えられそうだ。もしそうなったとしたら敵も味方もあったもんじゃない、地上界の人間たちに抵抗のすべはない、ということになりそうだ。
――当分のところそんな暴挙の必要はないと神に判断させるか、そんな事態が起きても対処できるように準備するか、だろうなあ。
とにかく何が何でも、王子の魔法爆発に到ることはないように手を尽くす。
できる限り南の伯爵侯爵領で小麦被害が出ることのないよう、情報収集を続ける。
そうしたことを、王子とエトヴィンの間で再確認している。
さらにいくつか確認を交わし、科学者主従は部屋を出ていった。
いろいろな会話を重ねたけどまだ時刻は午前中、午までにかなり間がある。
少し空き時間ということらしく、王子は水と布を用意させてあたしの車体を一通り拭ってくれた。使用人たちに見えない角度で、マジックハンドやレーザー砲なども綺麗にしてくれる。
その後、机に向かって勉強をする日課だという。
この先は気が散らないようにと、オーラフを呼んであたしを寝室のテーブルに運ばせた。
照明のない暗い部屋で、あたしは久しぶりに孤独に浸ることになる。
考えることはいくつもあるんだけど。
――一連のことが神さんの仕業だとして、次にはどんな手を打ってくるか。
といった辺りが、最も気になるところだ。
あちらは、王子の黒夢病根治は阻止したと考えているだろう。
その認識をかい潜って、王子の魔法爆発だけは阻止しなければならない。とは言え、こちらに対する手立てはもう限られている。
一方、小麦収穫に打撃を与えるためと思われる試みは、ここまで分かっている限りことごとく食い止めたことになる。神さん側もそう認識しているところだろう。
さっきも考えた通り、予想が当たっているならばさらに何か仕掛けてくるんじゃないか。それもおそらく、今日明日のうちに。
これについてはとにかく、情報を待つしかない。
さらに何か報せがあったとしても、王子の側で何かできるか。こちらも可能性は限られていることになりそうだ。
しかし何にせよ、細かに情報を集めていかなければならない。
考えているうち、向こうの部屋で動きがあった。
訪問者があって、オーラフが応対したようだ。
かすかに、主従の会話が聞こえてくる。
「殿下、エトヴィン様から何やら荷物が届いたようです」
「ああ、頼んだものだね。調薬というのがどうやって行われているのか一端でも知りたいから、空いている道具を貸してもらうことにしたんだ」
「そうなのですか。確かにガラスの器など、化学実験器具のようですね」
「後でよく見せてもらうから、寝室のテーブルに置いておいて」
「畏まりました」
そんなやりとりの後、あたしのいる部屋へ運んできた。
物を置くだけなので、側仕えは照明を点けない。戸口から差し込む光だけで用を済ませ、またすぐ出ていった。
その後はずっと、静寂が続く。
しばらくして、また向こうの部屋に会話が生まれた。
昼食の頃合いらしい。
もちろんあたしには無用なことなので、暗い部屋で大人しく待機を続ける。
午後からも王子は勉強を続け、その後少し仮眠をとっている。
合間合間に通信会話を繋げたり、王子がこちらの部屋に短時間入ってきたりということはあったけど、ことさら外から大きな報せが入るということもなく、日暮れ時を迎えていた。
夕食後、またエトヴィンたちが訪ねてきた。とりあえずの治療薬ができたという。
エトヴィンと向かい合って座り、王子はまたあたしを手元のテーブルに運ばせた。
「お断りしたように、これだけでは全治を期待することはできません。それでも、症状悪化を阻止できる望みは持てると思います」
「分かった」
使用人たちにも聞こえる音量のやりとりの後。
差し出された小さなガラス瓶の中身を、王子は躊躇なく飲み干す。
エトヴィンの処方した薬については毒味なども不要ということで、国王にも許可を得ているという話だ。
「苦い。けどやっぱり、大きく何かが変わったという実感はないな」
「それは、そうだと思います」
「これで、最悪は避けられることになるといいけど」
「はい」
あまり晴れない顔のまま、言葉を交わす。
二人とも本当に、この薬にあまり期待を持てないことは承知しているんだ。
何よりも、今回のエトヴィンの調薬にはまったく妨害が入らなかった。
想像通りならこれは、かの神さんがこの薬の無意味さを確信しているという証明になっていそうだ。
少し王子の落ち着きを待つ様子の後、エトヴィンは話し出した。
「実は、また小麦被害に到りそうな事象発生の報せが入っています」
「どんな?」
「大目鼠という魔獣の大発生ということです。王都南西の端の村を襲い、そのまま南へ向けて大移動を始めていると》
「南――キュンツェル伯爵領方面か」
「そういうことになります」
説明では。
大目鼠というのは体長四~五百ミター(ミリメートル)程度の魔獣で、名前の通り目が大きく、鋭い牙でいろいろなものを噛み千切る。
雑食だがあまり動物を食らわない。一方、最も好む食物は生育中の小麦と言われる。
群れをなして移動しながら、主に畑の作物を襲う。今回の報告では数百匹、もしかすると千にも及ぶかもしれない群れということで、襲撃された村では立ちどころに畑を捨て、人々は避難した。
どうも本能や勘なのか何か匂いでも感じるのか、着実に小麦栽培の畑を狙って進軍を続けている。間もなく山岳地帯を抜け、キュンツェル伯爵領の広大な小麦栽培地帯を目指していると思われる。
現在、王都と伯爵領領都から征伐のための兵を出したところ。
しかしどちらからでも、その群れに遭遇するまで二日程度かかると思われる。
山岳地帯を抜けて伯爵領の平地に出るところで、岩地が狭まって通過の幅が制限される箇所がある。千匹の群れならば横に百匹以上並んで走り続けていると思われるが、その岩地の箇所ならば横並び十匹程度になりそうだ。
そこで迎撃できるなら、かなりの効果が望めるかもしれない。
しかしこのまま日夜休まずの進行として、群れがその地点に達するのは一日半後、翌翌日の早朝頃と予想され、軍が間に合わない可能性が高い。




