55 起床した
『ですのでここまでの件については、被害の広がりや小麦収穫量などへの影響の点では最悪の事態に到らず沈静化できたということになるようです。王太子殿下の行方についてはまったく安心できないわけですが』
『で、その他にも起きていることはあるのかな。魔物の出現や小麦に被害が出そうな案件が』
『他はまだ詳細が分かっていないのですが、あるようです。あと数件、魔物の出没らしいという報告が』
『ふうん――』
――もしかして、例えば、デカモグラの群れとか、か?
あの件はわずか二日前の出来事で、あたしがミーマでショートカットしてしまったから、かなり情報より先回りしてしまったかもしれない。おそらく伯爵領の兵が現地に入るのが昨日くらい、まだ他にジャイアントモールの残党はいないかなど、調査の最中なんじゃないか。
さらに、あと数件ということは当然、あたしが関わっていないその他の案件もあるということになる。
『その後また国軍の関係に問い合わせて、できるだけ詳細を調べたいと思います』
『それがいいと思う』
『目覚め次第残りの薬液の状態を確かめ、その辺の調査を入れた上で、王子殿下のもとに報告に上がります』
『私は、今の件について王子殿下と話し合っておく』
『よろしくお願いします』
急いでまとめのようなやりとりになったのは、エトヴィンの声が少しずつぼやけてきている感触があったためだ。そろそろ目覚めかけているということだろう。
まもなく、通信は切れた。
改めて暗い室内に耳を澄ますと、外にはますます人の動きが増えているようだ。
あたしが鎮座している王子の居間ということになるんだろう部屋に、間もなくオーラフが入ってきて照明を点けた。窓のない部屋なので、日中でもランプみたいな灯りが欠かせないんだ。
隣の寝室では、王子が起き出す気配。
「お早うございます、殿下」
「お早う」
オーラフと侍女がそちらに入って、世話をしているようだ。
朝の支度をいろいろ進めているうち、もう一人の侍女が外から入ってきた。木製の高い台車に食事らしいものを載せて、寝室に運んでいく。朝食は自室でとる習慣なんだろう。
そんな日課めいたそれぞれの動きの末、王子は整えた服装で寝室から出てきた。
昨日仮眠をとっていた、長椅子に腰を下ろす。
横に立って、オーラフが話しかける。
「間もなく、エトヴィン様がいらっしゃるかと存じます。それまでは安静にしていらっしゃるのがよろしいかと」
「うん、少し横になっていたいな」
「畏まりました」
王子が横たわると、これも昨日と同様、侍女が布を運んできて胸から下を覆う。
その後いつもの習慣らしく、側仕えたちは部屋を出ていった。
そのまま王子は仰臥の姿勢で、目を閉じている。
この時間に横になるのがいつものことかどうかは知らないけど、今日に限ってはあたしと会話するのが目的と思われる。周囲の静まりを確かめて、王子の脳内に意識を繋げる。
『お早う』
『うん、お早う』
『よく眠れたの?』
『うーん――やっぱりいつもよりは、熟睡できなかった感覚かな』
『まあ、無理もないよね。それで早速だけど、落ち着いて聞いてね』
『あ――調薬の結果? もしかして、エトヴィンと話ができたの?』
『うん』
『それでそういう切り出し方っていうことは、失敗なのかな』
『うん、残念だけど。でも、まだ望みが尽きたと悲観しなくていい』
何ともやっぱり、聡明な王子と評判をとってるというのに相応しく、察しのいい子だ。
あたしはできるだけ感情を抑えて、薬草が焼失した経過を伝える。
『その残った薬液で、今後の症状悪化は防げる望みがあるらしい』
『――そうか……』
この会話の最中はあまり動きや表情変化を見せないようにしているはずだけど、さすがに王子は長々と溜息をついている。
無理もない。と言うかふつうの12歳の子どもなら、絶望に叫き散らしても不思議のない伝達内容なんだ。
『その方法で症状を抑えて改めて調薬の方法を探すことになるわけだけど、その前にあと七日になるのか、隣国王女の訪問に備えていかなくちゃならないね』
『そうだね。大きくは、僕が両親の近くで花粉を浴びせられないようにすることと、ティルピッツ侯爵とキュンツェル伯爵が小麦絡みでエクヴィルツ侯爵に懐柔されるということがないように根回ししたい。あとはもちろん、王太子殿下の行方を調べて無事を確認することだね』
『うん。それへ向けて、ここで考えられる限り考えておこうよ』
『分かった。協力してね』
王子の口調は、落ち着いている。今し方病回復の望みを狭められたばかりとは、思えないくらいに。
一応安堵して、話を先に進めたいと思う。
何しろこれからの話題は、そんじょそこらの衝撃じゃ済まなくなるかもしれないんだ。
『まずここいらで、事態の根本のところを押さえておきたいと思うんだけどさ。ほとんど昨日話したことのくり返しになると思うけど』
『うん』
『それじゃ、行くよ。近く予想されているこのオイレンベルク王国を破滅に導く一連の事態は、隣国クーネンフェルス王国が企図したもので、それにこの国のエクヴィルツ侯爵が加担していると思われる』
『そうだね』
『この隣国がこちらの国の北部地域に攻め入り、自国領としてその地を押領した。その際、あちらに都合のいい形で大雨や川の氾濫という災害が起きている』
『うん、そう』
『ほぼ同時進行で、第三王子の黒夢病罹患と発症、悪化が進んでいる。最初の罹患原因は、古くから仕えていた侍女に突き倒されて黒い花の花粉を吸い込んだこと、と考えられる』
『うん』
『この王子の治療のため白夢草という薬草の採取を目指したが、再三にわたって失敗した。その原因は、大雨などの自然要因、魔獣の襲撃、掏摸や盗賊などの被害、護衛や王宮職員などの突然の叛意のような行動、とさまざま』
『うん』
『また一方でごく最近、こちらのティルピッツ侯爵領とキュンツェル伯爵領でいろいろと大がかりな危機的事態が起きている。はっきりしているのを挙げると、ティルピッツ侯爵領の南部でゴブリンの大群が出現した。ゴブリンは数匹程度ならたいしたことないけど、百匹以上の群れになると征伐も困難、へたするといくつもの村が滅ぼされる被害まで予想される。これについては何とか、最初の村が総出でゴブリンの集落を攻撃し、根絶やしに成功したと報告が入っている』
『そう、なんだ』
『次に、キュンツェル伯爵領の南部複数の村で呪いが広がっているという騒ぎが起きた。この正体は感染系の病で、一つの村である程度治療に成功し、感染は抑えられている。放っておいたらもっと広範囲に被害が広がりかねず、呪いのかかった麦だなどと焼き払うなどすることになったら、国全体への大打撃になりかねないところだった』
『へええ、それも初耳だ』
『その後、キュンツェル伯爵領の東部に地面龍が出現した。これがそのまま侵攻したら、伯爵領から王領まで広範囲に蹂躙されて不思議はない。それによって小麦収穫に大打撃をもたらしかねない、ということになる。ただこの件についてはその後、多数の兵の死体と地面龍の死骸が森の中で見つかっている』
『そう……』
『それからこの数日前、キュンツェル伯爵領北部の村に、大きなモグラの魔物三十匹程度が接近してきているということが起きた。こいつらが通過した畑や村の住居は、軒並み全滅の恐れがあると言われる。ただこれも何とか、二つ目くらいの村で殲滅することができた』
『……へええ』




