34 斬撃した
雨はほぼ止みかかっている。
けれど道横の草叢は濡れそぼっていて、かき分け進むと一面水滴が飛び散り、まるで水中を泳いでいるような景色だ。
見晴らしも悪いし音もよく聞こえなくなるけど、とにかく草をかき分け森を目指す。
木立の並ぶ根元に潜り込むと、頭上は暗く覆われた。上空の枝葉に溜まっていたらしい雨水が滴り落ちて、むしろほとんど雨止みの森の外と裏腹に、豪雨に巻き込まれたかのようだ。
しかしそれもそのうち弱まるだろう、と濡れそぼった地面を踏みしめ奥へと進む。
わずかに木立が途切れ、数十メートル四方ほどの草地に出た。
ここまで入ればどうだろう、と耳を澄ます。間隔を置いて響く雷鳴は、まだかなり遠いようだ。こちらに近づくことはないのだろうか。
やや安堵、していると。違う方向から物音が聞こえていた。何か、喧噪とでも呼べそうな。それが、近づいているような。
わーー、わーー、というような人声。複数人だろうか。
それが近づく。その同じ方向から、いきなり咆哮がいきり上がった。
グワアアアアーーーー!
明らかに、動物の声だ。おそらく、かなり大きい。
様子を見るか、と少し横へ進路を逸れ、木の間に入る。
待つほどもなく。
「うわーーー!」
「急げ、追いつかれる!」
血まみれの男が二人、密集した木の間から駆け出してきた。
何処となくカルステンたちのような、護衛とか兵士とかっぽい服装で、それぞれ抜いた剣を手にしている。
何だろう、と思い巡らす暇もなかった。
その後方の大木が、バリリ、となぎ倒され。
ぐわ、と大きなトカゲのような頭部が現れた。
高さ、二メートルほどか。とは言えそれは、四つ足で這い進む姿勢での体高だ。体長にしたら、十メートルにも及ぶかもしれない。
全身鱗に覆われた、明らかに爬虫類の類いと思われる外観。見かけと裏腹に四つ足を高速で動かし、地を駆ける様相だ。
それが空き地に出た途端さらに前進速度を増し、人間を一呑みにできそうな大口を開いて先行の二人に襲いかかる。
「うわーーー!」
「来るな!」
逃げられない、と観念してか。一人が相棒を庇う姿勢で振り返り、手にしていた剣を投げつけた。
剣先が大トカゲの鼻面に命中。しかし傷を負わすこともできず、虚しく草の上に落ちていく。
グワア、と開いた大口が二人に迫る。覗いた多数の鋭い歯牙は、一瞬で人間を噛み砕きそうだ。
――やべ!
考える余裕もなく、あたしはその横へ走り出していた。
数メートル距離まで駆け寄り、レーザー砲を突き出す。
狙い過たず、水鉄砲は大トカゲの右目を射貫いていた。
――いや、「射貫いた」なんて、格好つけすぎ。
単に推定『高圧洗浄機』相当威力の水流が、目玉に当たった、それだけだ。おそらく、傷をつけてもいない。
それでもそのデカブツに、多少の刺激は与えたみたいだ。
足を止めて何度か目を瞬き、どでかい頭部がこちらに向けられた。
しかし低いながらも草の中、地面の保護色に近い小さな箱型、すぐには認識できないだろう。
視線が彷徨い流れる間に、草の中を全速力、大トカゲの灰色の後ろ足に近づく。
――ここまでする義理はないんだろうけどさ、目の前で人が食われるのを見たくもないからね。
太さ一メートル近くはありそうな後肢に接近。
風魔法を、一閃。
風刃!
斬る!
斬る!
斬る!
――――。
切れない。
傷一つ、つかない。
――うん、分かってた。
以前挑んだ熊魔獣に比べても遥かに大型、表皮の鱗は硬そうだ。
こちらの覚えたてのショボ魔法など、到底通用しそうにない。
しかしとりあえず、最低限の目的は果たせたようだ。
こんなデカブツにも、蚊に刺された程度かそこらの刺激は与えられたか。
すっかり前進は止まり、大きな頭部が振り返って、後足近くを探り見回している。
――今のうちに逃げろ!
と、見やると。
男二人は腰を抜かした態で、草の上に座り込んでいた。
実際に発声して注意呼びかけのすべはない。
仕方ない。
再度向きを変えて近づき、あたしは風魔法を振るう。
風刃!
斬る!
斬る!
斬る!
――――。
一瞬の後。
グワシャ、と音声が響いた気がした。
頭上に衝撃があり、あたしの全身は地にめり込んでいた。
――うわあ!
つまり。
大トカゲのぶっとい足に、踏み潰されたということらしい。
幸い、めり込みは数センチというところ。
風魔法のために突き出していたマジックハンドにも、異状は感じられない。
――どんだけ丈夫なんじゃ、この車体。
などと感嘆する暇もなく、次撃を避けてあたしは横へ急速移動した。
間一髪、一瞬前までいた場所に、再度大きな足が踏み下ろされていた。
おそらく奴には、こちらの外観ははっきり視認されていない。
最初の一撃も、ほぼ当てずっぽう程度のものだろう。
それが証拠に、その後の足踏み下ろしはまったく見当外れが続いている。
さらに相手の死角に回ろうと、あたしは腹の下に潜り込んだ。あの速さで高速前進するのだから腹部を地面に擦りつけるはずもなく、高さ数十センチほどの余裕がある。
さっきの攻撃は右後ろ足相手だったから、今度は左前足に近づき。
風刃!
斬る!
斬る!
斬る!
――――。
グワアアアアーーーー!
いきなり、トカゲは大きく咆哮した。
狙われていた足を持ち上げ、苛立たしそうに振り回す。
その隙に、右前足に近づき。
風刃!
斬る!
斬る!
斬る!
グワアアアアーーーー!
大声で吠え、両前足が交互に地団駄を踏む。
その左前足に駆け寄り。
風刃!
斬る!
斬る!
グワアアアアーーーー!
ドシン、ドシン、と地団駄。
次は左後足に接近。
風刃!
斬る!
斬る!
グワアアアアーーーー!
と、くり返すけど。
どう見ても、相手に損傷は与えていない。
どの足も痛みを感じている様子もなく、力強く地団駄がくり返される。
つまりは次々蚊の一刺しが移動して、いらいらが昂ぶるだけということだろう。
それでもこれで、人間を襲いかけていた足を止めることができているのだから。
微力だろうが、続ける。
風刃!
斬る!
斬る!
微力。しつこく。
何となく、既視感みたいなのがあって、気がついた。
――これ、まるで一寸法師やん。
いや、あの童話での攻撃は、もっと相手に効いていたかもしれない。
しかしまあ、とにかく。
微力でも、続ける。
四つの足を次々移動し。
風刃!
斬る!
斬る!
グワアアアアーーーー!
斬る!
斬る!
斬る!
斬る!
――――。
調子に乗るもんじゃない。
次の瞬間、思い知らされた。
頭上の巨体が、いきなり素速く横移動。
振り向きざま、大きく口が開かれ。
牙の間から――。
火が噴き出した。




