32 進入した
街道はますます人の通りが多くなってきた。
翌日、午を過ぎたところで簡単な門と囲いが見えてきた。草叢に潜って近づくと、通行人が兵士のような男たちに断りを入れながら通過している。
聞こえてくる声によると、どうも領地の境界らしい。これまでがティルピッツ侯爵領、この先がキュンツェル伯爵領となっているようだ。
領の境に必ずこんな関所のようなものがあるのか知らないけど、まあ関所と言うほど厳しく検査されているようでもない。通行証のようなものが必要なわけではないらしいし、簡単に身分と用向きを口頭で伝える程度のようだ。
囲いもそれほど長く続いているようじゃないので、やろうと思えばここを通らずに境界を越えることもできそうだ。ただ右手はあまり好んで入りたくなりそうにない深い森だし、左手はかなり遠くまで見晴らしがいい。ふつうの旅行者が、わざわざこの兵士たちの目を盗む労を執りたくなる条件ではないだろう。
一方で、あたしならそちらの目を盗むのも簡単だ。丈の高い草叢の中を進み、囲いの少し離れた箇所で下を潜ることができる。その後もしばらく草の中を前進し、ときおり潜望鏡で周囲を観察する。
――もう、大丈夫かな。
人通りが絶えた頃に、街道に近づいていった。
また太い道に戻り、土の上を進行する。やっぱり、草の中よりは進みやすい。
そのまま変わらない進行状況で、夜を越した。
また一日進み続け、陽が暮れてきた。そんな頃、道の先で人が固まっているのが見えてきた。
草叢に潜って、近づく。
がやがやとした会話は意味がとりにくいけど、どうも数名の兵士がこの先は立ち入り禁止だと言っているみたいだ。通行人には、森の方へ大きく迂回しろという指示をしている。聞こえてくる言葉の様子では、半日程度のロスになるみたいだ。
聞き始めたタイミングのせいか、どうもその立ち入り禁止の理由が分からない。
街道の先を見通しても、土砂崩れや川の氾濫などで通行不能になる地形のようには見えない。
――さて、どうしよう。
迂回するのは簡単だけど、時間のロスは面白くない。
道自体が通行可能でも、他の事情で立ち入り禁止なのだとしたら。例えばお偉い人が通過するとか、凶暴な魔獣が居座っているとかの理由なら、あたしにはあまり関係ない。目立たないように脇を通り抜ければ済む話だ。
――試しに、行ってみるか。
もしあたしでも通過できない状況でも、それから迂回する道もありそうな気がする。問題なければ、時間の無駄なく進むことができる。
――ノベルなんかならこういうの、『フラグ』っていうのかもしんないけどね。
まあそれはそれで、面白いかもしれない。時間の無駄はしたくないけど、面白いものなら見てみたいという興味も惹かれる。
何しろこちとら、凶暴な魔獣相手でも破壊されない、食われたりしない、というある程度の自信が持てるんだから。そうでなくても、隠れて進むのは得意だし。
ということで、あたしは街道から少し離れた草の中を先に進んだ。
陽が落ちて、進むにつれて辺りは暗くなっていく。
しばらく進むと小さな集落らしいものが見えてきて、家並みの中央付近に火が焚かれているようだ。
この村らしきところを抜けないと街道の先へ進めないようなので、いつものように草の中に隠れながらその焚き火に近づくことになった。
ふつうならそれぞれの家で夕食をとり、間もなく就寝するという頃合いだけど、なかなかに賑わっている。ただし楽しそうな様子でなく、何処か緊迫したものが感じられる。何人かの大人が焚き火を囲み、難しい顔で話し合っているらしい。
「また増えた。もうすぐ村の者の半分ってことになるか」
「今日だけで十人増えたんだぞ。もうどうしようもねえ。明日には村を捨てて移動しよう」
「おい、うちの女房は見捨てられるんか」
「仕方ねえ。これ以上呪いが広がったら、全滅だ」
「何とかなんねえのかよお……」
話し合っている十人ほどの男たちの目が、ちらちらと奥の一軒家に向いては戻るをくり返しているようだ。
――増えたとか呪いとか、その対象があの家にいるのか。
別に関わり合いにもなりたくないけど、少しだけ興味惹かれて、あたしもそちらを見た。
試しに『鑑定』してみると、戸口の辺りにキラキラ光るものが見えてきた。
【一種のウィルス。地球の×ロウィルスに近い。致死率はやや高い。】
と出るものが、そこの戸口を中心に周囲に散らばっているらしい。
――ウィルスによる感染症か。
急激に感染が広がってなすすべなく、住人たちは『呪い』と判断しているのか。
さっきの街道封鎖していた兵士たちも同じ考えで、人を近づけないようにしているということらしい。
男たちの視線があの一軒だけに向いていることからして、患者は一箇所に集められているのだろう。治療の方法も分からず、感染というか呪いが移るのが怖くて、放置している状態か。
――それだけが立ち入り禁止の理由なのなら、あたしには無害ということになるね。
この身体で、ウィルスに感染するということはあり得ないだろう。
その意味では、このままあっしには関わりねえ、と通過してもいいんだけど。いつもの習慣だと、そろそろ充電場所を探す頃合いだ。
感染中心地区で一夜を過ごすのも気分のいいものじゃないけど、どうも少し横手に小川が流れ、小さな林があるみたい。あの辺なら充電に最適かもしれない。
焚き火から少し離れて、共用らしい井戸がある。その周辺も『鑑定』すると、それなりにウィルスが散らばっている。
そっと離れて小川に近づくと、その近辺にウィルスは見られない。
木陰に寄ると、充電強度は良好だ。安心して、動きを止める。
焚き火の近くでは、何人かの男が立ち上がって家に戻っていくみたいだ。二人だけ残ったのは、何か事態が急変した際のための見張りか。
しばらく待って。
会話の中心になっていたと思しき男が入っていった家に向け、念を送ってみた。
『失礼する』
『な、何だ、あんたは何者だ?』
『何者かは、気にするな。何か村に、異状が起きているのか?』
『あ、ああ。呪いが広がっているのさ。もう村の半分近くが倒れて、呻いている』
『呪いって、病気じゃないのか。どんな症状なんだ』
『みんないきなり腹が痛いってのた打ち出して、吐き気や下痢を起こしたりしてるんさ。それがほんと、ついさっきまで元気だったのが、いきなり同じように倒れるのが増えている。近づいた者がどんどん同じになるんで、看病もできねえ。一つの場所に集めるのがせいぜいだ。こんな病気なんぞ、これまで見たことがないさ』
『それでもそれは、病気だぞ。目に見えない小さな病気の素が身体に入って急激に悪さをする、感染症っていうものだ』
『そうなんか?』
『目に見えないんで難しいが、その病気の素に触らないようにすれば、他の者には移らない。発症した者は嘔吐や下痢で身体の水分が足りなくなって弱っていくが、水分をとらせるように看病すれば、回復する可能性がある』
『本当か?』
『患者を死なせたくないという気があるなら、対処法を教えるが。もちろん絶対うまくいくという保証はないが、やってみるか?』
『あ、ああ。教えてくれ』
これもまた「実体験派フリーライター」活動で、×ロウィルス対策講座に参加したことがあるんだ。
『まずその病気の素は目に見えないが、患者の排泄物や嘔吐したものから広がっていく。ただそれを口などから体内に入れないように気をつければ、まず感染は防げる。看病や処理をするときは、顔に布を巻いて口と鼻を覆う。作業が終わればよく手を洗う、着ていたものや触れた場所などは熱湯で消毒する、ということを徹底する』
『お、おう』
『石鹸というものはあるか?』
『セッケン? 何だそりゃ』
『なければいい。手を洗うのに役立つものだが、なければその分、徹底してよく洗うことだ』
『お、おう』
対策講座での説明によると、石鹸でそれほどウィルスを死滅させる効果はないらしい。とにかく手などを洗う徹底の助けになるだけだとか。もしかすると、諸説ある話かもしれないけどね。




