26 回想した
『何ともお労しい境遇の王子殿下なのです。正妃殿下の第一子でいらっしゃりながら、生後すぐにお母様を失い、ずっと王位継承争いで命を狙われる中で育ち、もともとお身体は弱いのにその上奇病を患うという』
『確かに、お気の毒な境遇だな』
『まだ十二歳だというのに、子どもらしい楽しみも知らずお育ちになっているのです。これがいいことか分かりませんが学究的好奇心の強い方なので、せめてそうした望みは叶うよう命を取り留めていただきたいと思います』
『ああ』
この夜もやはり、一時間弱で通信は途絶えた。
ほとんど最低限の情報交換を果たしたという成果だ。
こちらとしてはかなり大雑把ながら現在地の把握ができたことに加えて、向こうの進捗状況を知って目的地への焦燥が高まったという感覚だ。
新しい情報は、颯人が転生しているかもしれない少年が王子だったということ。
やっぱりそれほど詳しいことは打ち明けてはもらえないけど、勉強や研究が好きだというあたり、颯人に通じるものはありそうに思える。
――あの子も、その辺は突出していたから。
とにかく、読書や勉強と名のつくことの好きな子だ。
一方で。
颯人は、小学校の六年間をほぼ不登校で過ごした。
この辺、身内としては贔屓目などを抜きにして語るのが難しいけど。事実としてまず認識に齟齬はない。
単純に言うと原因は、颯人の頭がよすぎたことだった。
入学当初、いわゆるピカビカの一年生の頃は、本人も周囲も無邪気だった。
その中で、学校の授業になると、颯人の理解は飛び抜けて速い。当然、「これが分かる人ーー」という先生の問いかけに、率先して答える。一度や二度でなく、毎回必ずだ。
これに、担任の女性教師は難渋したらしい。
全体に考えてほしいことを、毎回一人がすべて即座に答えてしまう。これでは全体授業にならない。
仕方なく、小鹿原颯人にだけ挙手を制限して応答を進めることになる。本人たちに納得のいく理由をつけることもできず、妙な成り行きになってしまう。当然ながら、当の本人が最も承服いかない。
教師の隙を突いて挙手しようとしたり、勝手に回答を口にしたり、ということがたびたび起きるようになった、らしい。
困憊した教師が、教壇で口にしたという。
「小鹿原さんは人と協調することを覚えなさい」
「我が儘を抑えなさい」
納得はできないまま、颯人は自分が我慢しなければいけないのだということを理解した。
それだけで済めば、まあ何とか収まったのかもしれない。
ところが。
一定数の子どもにとって、これはそれなりに愉快な成り行きだったらしい。
「ワガママーー」
「ワガママ小鹿原さんーー」
そういった子らから、颯人はそんな呼称を向けられることになった。それは間もなく、クラス全体に広がっていた。
母親たる我が姉は共働きということもあって、そうした実情を知るまで時間がかかったらしい。事態を知ったときには、もう誰も手のつけようがなくなっていたようだ。
その担任教師に話を聞きに行っても、「小鹿原さんに協調してもらうしかない」という返答だったとか。
授業への参加も、教室内での交友も、自分が我慢するしかない。
そう知った颯人は、通学を拒否するようになった。
不登校が続くようになる。
担任が数度家庭訪問してきたが、出る言葉は「お子さんに我が儘を許さないで」という調子のものばかりだったという。
両親が校長に談判に行っても、のらりくらり言い逃れられたそうだ。基調は担任の言い分を聞いて「子どもの我が儘」という捉え方になっていたとしか思えない。
この時点で両親が、他の親たちや別の機関などを味方につけてうまく動けば、違った展開になったのかもしれない。しかし姉たちにそうした知恵や知識はなかった。
近所の以前からの知り合いである親に相談を持ちかけても、理解は得られなかったという。言ってみれば「子どもの頭がよすぎる悩み」といった捉え方になり、嫌味に聞こえる向きもあったのか。
一方で当の颯人はさほど落ち込む様子もなく、家で自学や読書に耽っていた。むしろ好きなだけ本を読む時間ができて伸び伸びしている、という様子に見える。
「お子さんに勝手を許してはいけません」
「学校には通わせる必要があります」
担任だけでなくそうした指導担当らしい教師もたびたび訪問してきて説き伏せようとしたが、もう親子とも耳を貸そうとしなかった。
一昔前と変わってこうした不登校対策として「子どもに無理をさせない」ことが肝要、という学説も目にするようになっていた。両親はそちらに従うことにしたという。すべて子どもと家庭に問題があることにしようとする、学校側への不信感が拭えなくなっていたという事情もある。
あたしも姉から相談を受けたけれど、結局本人の意向に合わせようという結論になった。
子どもの勉強が遅れる、という心配はまったくなかった。
颯人は教科書のすべてを読み終え、完全に理解している。親が買い与えた学習教材も、どんどん消化していく。算数だけを言えばあっさり理解を進め、高学年用の教材もこなすようになっていた。
読書も広範囲に手を広げ、市役所図書館の子供用図書を制覇しそうになっている。
心配なのは友だち付き合いの面、だけど。
少し離れた地区の放課後児童クラブに通わせることにしたところ、それなりに周りとうまくやっていた由。どうもそちらでは、勉強の出来をひけらかすような真似を控えるようにしたらしい。
そうして、月日は過ぎ。
小学校では、二年ごとにクラス替えがある。三年生に進級した時点で改めて学校側からの勧めがあり、通学を試みた。
新しい若い男性教師は、かなり気を遣ったらしい。
結果、これ以上考えられないほどの腫れ物扱いになる。
颯人の方も以前の反省から、授業で積極的に答えるということをしない。ほとんどいるかいないか分からない存在になる。
一方で他の子たちにとって、彼が特異な存在であることは変わらない。当然ながら元のクラスの子も一定数いる。「ワガママ小鹿原さん」なる呼称も記憶されていて、秘かに聞こえよがしに蒸し返される。
ひと月経たないうちに、颯人は登校をやめた。
意味がない、と言う。
教室内で居心地が悪い上、授業内容はすでに理解していることばかりなんだから。自宅で読書している方が、よほど得るものがある。
その後校長に説得されて、図書館登校の形でしばらく通っていた時期もあるらしい。カウンセラーのような人が傍についているが、基本自由に図書室で読書をしていられるのだそうだ。
しかしそれも、二ヶ月程度で終わりとなった。図書室のめぼしいものは読み尽くしたから、だという。
そのまま学校側からはもう諦めたのか、交渉はなくなっていた。
五年生から六年生に上がる頃、家族の中で話し合いが持たれた。
「中学はどうする?」
という問題だ。
学校が変わるのだから、教師側の対応も違ってくるかもしれない。
ただ、このままの住所で進学する中学では、ほとんどが同じ小学校からの生徒になる。
父親からは、住居を変えようかという提案があったらしいけど。今住んでいるのは、夫婦二人が結婚後購入したマンションだ。持ち家を手放すとなると面倒が多いし、今の家に愛着もある。
そんなところに、あたしが案を持ち込んだ。
「私立中学という選択もあるんじゃない?」
知り合いにそちらの関係者がいたので資料をもらって、姉の家に持参した。
「生徒の個性と才能を伸ばす」という謳い文句が何処まで鵜呑みにできるかは定かでないけど、中高一貫で大学進学に実績を上げているというのはよく知られている。少なくとも公立義務教育校のように、周囲から突出しているのを抑えられるということはないだろう。
いろいろ情報を漁って、説明会も聞きに行って。
それなりに、颯人本人が気に入ったようだ。
今のあたしから振り返って、体感ひと月あまり前、入学試験に臨み。数日前、合格を知らされた。




