23 殺戮した
走る速度は、敵わないか。
少し草が途絶え土が露出した場所に出て、あたしは決断した。
――忍法、土遁の術。
何処かの受け売りみたいな名称だけど、勘弁願いたい。
土魔法で、自分直下の地面に縦横50センチ、深さ20センチほどの穴を開ける。あたしのこの車体だと、それですっぽり収まってしまう。すぐ真上から土を被せ直すと、まったく姿は見えなくなるはずだ。
以前から方法は考えていたものの、実行するのは初めてだった。人間の身体だと無理だけど、呼吸の必要がないあたしにはこんなことができてしまう。
何も見えず聞こえなくなるけれど、何となく真上辺りを地響きみたいなのが通り過ぎたようだ。
少し間を置いて、柔らかめにしておいた頭上の土を貫いて潜望鏡を突き出した。
数メートル先に、緑色の後ろ姿が五つ、右往左往している。さっきまでの速度関係で、見失ったのが納得いかないんだろう。
手分けして探すことにしたのかやや広がり、辺りを探し回り、やがてまた集結してくる。
――さて、どうするか。
少し落ち着いて、あたしは熟考に沈んだ。
いや元日本人の癖というか、ほぼ一択で非戦闘の方針を選んだわけだけどさ。相手は二本足とはいえ、人間じゃない、森の中の魔獣と同様、征伐する選択もあるわけだ。
さっきあのゴブリン五人衆は、人間三人衆を追いかけていた。
人間の逃げていった方向には、村とかがあるのかもしれない。
これはラノベなんかの知識だけれど。もしゴブリンが大きな集落を形成していて、狩りなどに出た少数が人間を獲物として見つけた場合、集落に戻って報告、数を増やして人間の村を襲うことになるかもしれない。さっきの『鑑定』結果もその想像を補填する。
あたしにとっては人間もゴブリンも、他人と言っちゃ他人なんだけどさ。やっぱりどちらを味方するかということになったら、人間だろう。
利己的な目的としても、人間は生きていてくれれば情報を得ることができるかもしれないしね。
この五人衆をゴブリン集落に帰還させて、人間の村が襲われることになったら、寝覚めが悪いことになりそうだ。
――やって、みるか。
頭の上の土を消し。脇の土壁は斜めにしておけば、キャタピラで登ることができる。
穴を埋め戻し、なるべく草に隠れるようにしてゴブリンたちに近づく。
何か相談をしている様子の五匹は、まだこちらに気がつかない。
全速で、その足元に近づく。
ようやくこちらに気がつき、振り向くけれど。
足元を、通り過ぎざま。
――風魔法、『風刃』!
一閃(光らないけど)、人間で言うアキレス腱を切断。
ギャ、と一匹が屈み込む。
全員が戸惑う間にその足元を駆け回り、次々と腱を切断していった。
五匹の片足を使えなくして、続けて残る足の腱も斬っていく。
これで逃げも抵抗もできないだろうし、それぞれ屈み込んで頭部が低くなっている。五十センチ程度の高さなら届く、ということでその首目がけて風刃を振るった。
首筋から緑色の血を噴き出し、やがて五匹ともに動かなくなっていた。
あまり身近に経験したことのない、酸鼻極まる光景。嗅覚のないことが、ありがたく思える。
――長居は、無用。
急いでその場を離れ、あたしは街道に戻った。
どの程度人間のためになったかは、分からないけど。こいつらが集落に報告してすぐに村が襲われる、という緊急事態程度は防げただろう。
そのまま、北方向への旅に戻る。
元通り、人も獣も見えない長閑な風景が続く。
前進、ただ前進。
――と、続けたのだけれど。
――さて、困った。
一キロも進んでいないだろうところで、あたしは立ち止まってしまった。
三差路、いわゆるY字路に突き当たったんだ。
二つの道、どちらを見通しても遥かずっと続いている。
地図のない悲しさ、どちらが王都に続くものか分からない。当然というか、標識のようなものもない。
もしかすると両方王都に至るのかもしれないけど、どちらかが無駄骨に終わるルートなのかもしれない。見通した限りで、ある程度試しに進んで目処が立つ、という希望も持てない。下手すると、何日も進んだ末に無駄と分かる、という顛末さえ想像してしまう。
――誰かに尋ねるのが、最善なんだろうなあ。
とは言え、周囲に人はいない。これまでの旅程を振り返って、誰かが通りかかるのを待つのも望めそうにない。まあ当然、会話ができないんだし。
時刻は、間もなく日が落ちる頃合いだ。ますます、人通りの可能性は低まるだろう。
他に策は思いつかず。あたしは元来た道を引き返した。
幸いにと言うか、どれだけ寄り道になろうと身体の疲労はない。充電は、ほぼ何処でもできる。
問題は時間の浪費の面だけで、あの分かれ道のどちらかを選ぶ博打の悪い出目よりも被害の少ないだろう方策をとろうと思うんだ。
ついさっきのゴブリン殺戮現場近くに戻る。
その手前、道というほどもなくただ草を踏みしめたみたいな跡。紛れもなく逃亡三人衆の向かった方向だ。
そちらに向けて、道を折れる。
草叢をくぐり続け、しばらく進むと畑に出た。その向こうに、人家らしきものが見えてくる。木造平屋が、十数軒といったところだ。
辺りはすっかり夕闇に沈んでいるけど、そんな家並みの脇に焚き火が見えた。
近づくと、二十人ほどの人間が焚き火近くに座り込み、がやがや言葉を交わしている。青年から壮年といった年齢層の男ばかり、麻か何からしい作業用めいた簡素な衣服を身につけている。
なるべく茂みが続く径路で姿を隠して近寄ると、何とか言葉が聞きとれてきた。
「本当に、今から避難した方がいいんじゃねえか」
「何度も言わせんな。夜の道行きは危険すぎる。女子どももいるんだ」
「だけどよお、夜の間に襲ってきたらどうすんだ。百匹以上もいるんだってのが本当なら、ひとたまりもねえぞ」
「ゴブリンは、夜間に無理な動きはしないんだと。特別それほど夜目は利かねえし、明かりに火を使う知恵はねえそうだ。それを信じるしかねえ」
「ウドたちを追っかけてきた五匹だかも、途中で諦めたみたいだしな。まだこの村の場所も正確に分かってないはずさ。それで夜に無理はしないさ」
「とにかく、決定だ。この十八人で夜っぴて交代で見張り、夜が明けたら女子どもを逃がしてさっき決めた十人で森を調べにいく。後番の九人はしっかり寝ておけ」
「分かった」
頷き合って、ぞろぞろと九人が立ち上がる。
それぞれ分かれて、自宅に戻るみたいだ。
そのうちの最年長に見える男の後ろ姿を目で追い、入る家を確かめた。
その後しばらく焚き火の方を観察していたけれど、男たちはある程度散って村の外に気を配ることにしたようだ。それ以上会話もなく、全員真剣な顔で外部を睨みつけている。
その場を離れて藪の中を伝い、あたしは最年長男が入った家の裏手に近寄っていった。やや高い木があったので身を寄せると、けっこうの強度で充電ができる。
そうしながら、念じると。
目論見通り、ぼんやり空間が現れた。
少し先に、さっきの男らしい姿が座っている。
『少し、失礼していいだろうか』
『何だ? 取り込み中だ、邪魔しねえでくれ』
『何かあったのか』
『村の者が、森の中でゴブリンの集落を見つけた。百匹以上はいそうだって言う。そいつらがこの村を襲ってきたら、ひとたまりもねえ』
『森の中、近いのか』
『森の口から、三十ミーダ(分)くれえ入ったところだってよ。いつの間にそんなの入り込んだんだやら――とにかく今夜襲ってこねえことを祈るしかねえ。夜明け近くなったらすぐ逃げ出すこった。時間がねえ。しっかり寝ておかなくちゃならん。見張りもやらなくちゃならん。ああ、何てこった。どうしてこんなことになった――何代も前の祖先から受け継いできたこの村を、捨てなきゃいかんのか。情けねえ。死んだ親父に顔向けできねえ。しかし、娘や孫やを死なすわけにはいかねえ。どうしてこうなった。情けねえ――』
その後もぶつぶつ、独白のような繰り言が続く。あたしの話しかけなど、夢の中での雑音くらいの受け止めなんだろう。
こちらとしては例の分かれ道について教えてもらいたいんだけど、切り出す余地もないみたいだ。
夢の中だというのに必死に考え続けているみたいで、邪魔するのが申し訳なく思えてしまう。
諦めて、あたしは夢から出た。




